mixiユーザー(id:7016667)

2021年01月12日20:05

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ストレス源は自分自身であることの証明

*昨日記事の続き
同一条件でもストレスを感じない人間もいれば自ら死を選ぶほどストレスを感じる人間もいる。

それはなぜか?

他のことでは論理的な人間でもこの命題では非論理的になるケースが多いようだ。
「変化によるストレスだ」「その人の性格だ」「周囲との人間関係は千差万別でケースバイケースだ」と言われるがどれも正確ではない。より明確な共通項、正確な表現があるではないか?「ストレスを受ける人が介在する」ということだ。

悲しいことだが、ストレスを受けた人物の中には自らの存在を抹消(自殺)してしまう人がいる。私は「自殺はストレスから逃げる合理的な手段の一つだ」とは認める。
実際、「ストレス(不幸)を感知する自分自身がいなくなれば」「無力で大嫌いな自分自身がいなくなれば」今直面しているストレス(不幸)からは確実に逃れることができる。

ただし「自己焦点主義で大変身勝手な方法だ」「人間は幸せになるために生きてるのだから、自殺してしまっては本末転倒」とも必ず付け加える。
自殺するほど視野狭窄に陥っている人間は、自分の選択が周囲にどれほどの悪影響を与えるのかを理解していない、あるいはそこまで配慮する余裕がないのだろう。私は「自殺はストレスから逃げる合理的な手段の一つだ」とは認める。だから周囲は「自殺するくらいなら相談してくれれば(逃げてくれれば等)」の反応を示すわけだ。

しかし問いたい。
「あなたはあなた自身を好きになる最善を尽くしたのか?」と。

おそらく自殺を選択する人間の大半がそれをやれてない。自分が大好きであれば、くだらない周囲や環境のせいで自殺など選ぶわけがないのだ。

ゆえに筋トレをして鍛え上げた体を誇示する人たちのように、私はナルシストになるべきだと思っている。

では、自分を好きになる方法は?

理想の自分と現実の自分のギャップで人は思い悩む。
イチロー選手のように理想の自分を目指して長期間の努力にまい進するか
私のように理想の自分を押し上げてラクをするかだろう(私は怠惰だw)。
自己成長を成し遂げ、社会的成功をしたいのならイチロー選手の道を選べばよい。
とりあえずラクでいたいのなら私の道を選べばよい。
このように書くと私が完全無欠なダメ人間のようだが、必ずしもそうではない。
理想という目標をかなり簡単に設定していることは認めるが、一応「自分の領域の努力はしている」のだ。なにやら政治家の言い訳みたいになっちまったが(笑)。

言いたいことを言ってやりたいことをやりながらも。
労働して毎月黒字になるようにする。家族や友人と良好な関係を築く努力はする。
なによりもその結果として発生することはすべて受け入れる覚悟を決めている。
ただ私はイチロー選手ほど高いところに目標を設定していないだけのことだ。
しんどいので(笑)。

ついでに「自分以外の領域を変えようとしてはいけない理由」も述べる。
「不合理非効率」「労多くして益少なし」。要は「苦労する割に報われず簡単にひっくり返るから」だ。

まず自分の領域外とはたとえば気になるあの人に気に入ってもらうとか、降雨を快晴にするなどである(あなたが天気の子であるならそれはあなたの領域になるが)。自分の領域の努力は良いが、結果まで求めるのはとても苦労する。たとえば気になる異性に借金して貢ぎまくって歓心を引くようなものだ。無理をしても維持できず、いずれ破綻する。

そんな努力をするよりも、目標設定を変えるなど、自分自身の領域にあることで最善を尽くそうということだ。
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