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2019年12月07日07:47

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使わない能力は落ちるし、文化は寂れる

松本人志も嘆く読解力の低下…原因はSNS議論も大人に責任問う声
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=145&from=diary&id=5891150


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個別の原因を探るというよりは、単に事象を受け入れた上で「どうすれば解決するか?」というアドラーっぽいアプローチで考えてみたいです。

まず現状把握としては表題に書いた通り。

「やりたいこと」「できること」「やるべきこと」
使いたいと思わない能力は使わないし、使えなくなった能力はさらに衰えますし、使う必要を感じない能力を使おうとは思いにくいでしょう。


・・・最近、味覚が変わっておでんや納豆の「カラシ」「マスタード」にはまったりしてます。煮物や日本茶がおいしいなと感じたり、フライドチキンを5つも食ったら胸焼けするようになりました(華麗なる加齢現象ですね)

何が言いたいかといいますと、論理力とか推理力、文章読解自体の魅力や面白さに触れる機会さえ半ば強制的にでも与えて種をまいておけば、復興立て直しは可能ではないかなと思うわけです。上記に書いた味覚は幼少期に覚えさせられたことではなく、生来のものでしょうから、たとえとしては不適切ですけど、要は「素因さえあれば、あとで気づく機会が得られる」かなと。論理性は味覚とは違って学ばせておかなければならないので、なるべく幼少のうち、義務教育機関でディベートや将棋などの論理力を鍛える遊戯的強化を取り入れてはどうかなというわけです。

ともすれば日本は「空気を読むこと」「大人な対応」「事を荒立てないこと」ばかり重視される傾向が強いように感じます。エビデンスまで上げなければ肝心の論理力に欠けるのですが、すべてのことにエビデンスを掲げるのは正直しんどいので感覚で書いてますが。

譲ってはならないことではあえて空気も読まず、事を荒立ててでも解決を目指すべき。そういった「おかしさ」に気づくためにも「論理力」「注意力」「違和感を機のせいにして流さないこと」が必要だと思いました。

要は小中学校の間に論理の楽しさを教えるために「将棋」などの論理パズルやディベートなどの論理学に触れる機会、対人議論の練習をさせてはどうかなという意見が書きたかっただけですね。

幼少期に義務教育で学び、楽しさを知って「使いたい」と思わせ、「使える」ようにしておけば。大人になって仕事などで「使うべき」となったときに反応できるのではないかなと。
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