「文系」の人の多くは数字が苦手だろう。
しかしその逆に「数字」を「信奉」してしまうのもまた文系の方が多い。
自分でもよく意味が分かっていないものを「信奉」してしまっているわけで、これは一見「新興宗教」に近いようにも見えるが、その実態は「裸の王様」なんだと思う。
「裸の王様」というのは、要するに「分からないということを隠して見栄を張っている」状態のことを指して言っている。
>統計学に基づいた一定の正確さはある。不透明という批判は当たらない。
このJASRACの言い分に対して、「一定というのは、どの程度まで正確なのか、数字で示せ」と問うても、答えは返ってこないだろう。「分かっていない」のだから。(^_^;)
しかし、「どの程度正確なのか」を把握していないのに、「不当かどうか」を判断することはできない。
さらに言えば、「批判」は「不正確かどうか」を指しているのではなく、「不透明かどうか」を指して言っているわけで、反論しているJASRAC側でさえ「正確さの程度」を把握していないのだから、これは「不透明極まりない」としか言えないだろう。(^_^;)
SASRAC側は
>サンプリング調査について年間の著作権料徴収額全体のうち2%未満」
とした上で「一定の正確さはある」と言っているようだが、この主張をするという時点で、既に「統計学について何も分かっていない証拠」だと思う。
統計の正確さは、「サンプル数の多さ」に関わっているからである。
「2%以上」ならともかく、「2%未満」では本来は何も主張できないのである。(^_^;)
仮に「サンプル数2%」だと仮定しても、統計誤差は「数%」のレベルで存在する。
つまり、「全体の1%以下の収益しか上げていない著作権者」はすべて「切り捨てられる」ことになる。
加えて、
>ホテルの宴会場やバーなどと共に800店を対象とするサンプリング調査
をしていると主張しているようだが、「お金を取って演奏を客に聞かせる場」として、「ホテルの宴会場やバー」というサンプルが果たして妥当なのだろうか?
明らかに「サンプルの選択に偏りがある」と思う。
統計の信頼度は、「サンプルをランダムに選択したとき」に保証されるものであり、サンプルの選択に偏りがあると、正確さはガタガタに下がるのであります。
このように「統計学」というのは、言い換えれば「どんぶり勘定」であって、「どんぶり勘定でも構わないようなものを対象にした場合」のみに有効な道具である。
「個人の権利を預かっている」団体が、それを「どんぶり勘定」で扱って良いわけがない。
たとえば銀行にお金を預けて、「大口の顧客以外の利息は『誤差の範囲』ですから、支払いません」と言われたら、あなたはどういう気分になるだろう。
これはまさに「搾取」であり、「権利の侵害」に他ならないのであります。
「個人の権利を代行するための団体」が、逆に「個人の権利を踏みにじる」などということがあっていいはずがないじゃないですか。(^_^;)
ところが…である。
これを裁判で争うと、まず間違いなく一審(地裁)では敗訴する。
なぜならば、「裁判官」という職種が「文系」だからである。(^_^;)
それに加えて、地方裁判所の裁判官の中には「見栄っ張りで知ったかぶりをしたがる鼻持ちならない人種」がうようよいらっしゃいますので、「統計学」なんぞを掲げて「だから正しい」なんて言われちゃうと、ちょうど「王様の服が見えない人は愚か者だ」と言われたときと同じように、「統計学ってそれ何?詳しく説明して?」などと尋ねずに、「なんか偉い学問が正しいと言っているんだから、それが正しい」なんて言って判決を下してしまうのである。(^_^;)
そういう点を詳しく吟味してくれるのは、高等裁判所に行ってからなのである。(^_^;)
そういう意味では、この件は是非裁判に持ち込んで、高裁まで争い、「日本社会の間違った文系支配」に一撃を加えるような判決を勝ち取ってほしいものである。
高裁まで行けば、必ず勝てる裁判だと思う。
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■JASRAC分配「不透明」 ファンキー末吉さん上申書
(朝日新聞デジタル - 08月18日 17:42)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4723055
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