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2019年12月15日01:11

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映画を見ない日の出来事249

映画を見ない日の出来事249

先月末、白石和彌監督の『ひとよ』を見たときのことだ。
3人の子どもたちをDVの父親から守るために、夫を殺してしまう母親役を演じる田中裕子を見てたら、唐突に田中絹代のことが頭の中に浮かんできた。

私が初めて見た田中絹代の映画は、1974年公開の熊井啓監督作品『サンダカン八番娼館 望郷』だった。
彼女は、大正時代に南方で「からゆきさん」と呼ばれた出稼ぎ娼婦をしていた老女役だった。
さきほどネットで検索したら、1909年生まれの田中絹代は『サンダカン八番娼館 望郷』が封切られたとき、65歳ということになる。
65歳といえば、いまでこそ老人とは言いがたいが、当時はりっぱな年寄りで、田中絹代も老女優の扱いだった。

10年ぐらい前から、邦画の旧作を見るようになって、木下惠介の『楢山節考』(1956年)や成瀬巳喜男の『流れる』(1958年)で、ふたたび田中絹代を見ることになった。
この時期の彼女は、実年齢が40代の後半だ。
『楢山節考』のような老け役に、『流れる』の中年女中を無理なく演じきる、演技派の名女優だった。
彼女が戦前から映画に出ていたことは知っていた。
ということで、戦前から活躍していた演技派の大女優というのが、つい最近までの、私の中の田中絹代像だった。

ところが、数年前にテレビで戦前に製作された『マダムと女房』(1931年)と『愛染かつら』(1938年)を見る機会があった。
いずれも20代の田中絹代が出演している。
ありていに言えば、誰しも若いころがある。
中年以降の田中絹代しか知らなかった私には驚きだった。
ひとことでいえば、可愛いのだ。
それは、先週見た、川島雄三のデビュー作『還って来た男』(1944年)でも同じ。
彼女は小学校の女教師役を演じたのだが、まさに「楚々」という言葉がぴったりだった。
時間をさかのぼるように知った若いころの田中絹代は、演技派うんぬんより先に、綾瀬はるかや広瀬すずのようなアイドル女優であり、美人女優であり、人気女優だったのだろう。

いっぽう、田中裕子はデビューしたころから知っている。
ネットで検索したら、彼女をスクリーンで初めて見た今村昌平監督の『ええじゃないか』(1981年)は、ドラマの「おしん」(1983年)より先だった。
映画の中の田中裕子といえば、『天城越え』(1983年)、『夜叉』(1985年)、『いつか読書する日』(2005年)が、私のベストスリーだ。
高倉健の遺作『あなたへ』(2012年)で、健さんの妻を演じたのが彼女だった。
映画の出演作リストを見ると、彼女は実年齢に合わせた役を、コンスタントに演じ続けていた。
1955年生まれで、今年64歳の田中裕子が、65歳で『サンダカン八番娼館 望郷』に出演した田中絹代に追いつこうとしている。

かつて一世を風靡した美人女優が、老いてからも第一線で活躍することは難しい。
たとえば、田中裕子とほぼ同じころに生まれた、田中好子(1956年)や夏目雅子(1957年)は、病のために静かに退場していった。
病を患わなくても、女優だけでなく男優でも、加齢にともなう容姿の衰えにともない、出番が少なくなっていく。
それ以上に、中年や老年の役自体が、多くない。
椅子取りゲームのように、誰かが退場しなければならない。
残酷なものだ。

田中裕子は65歳のわたしとひとつ違いだ。
『ひとよ』を見て、私と同世代の田中裕子の、64歳でなければ出来ない芝居をしている姿を見て、感慨深いものがあった。
映画女優として、彼女は生き残ったのだ。
かつての田中絹代のように、彼女にはいつまでも現役の映画女優であって欲しいと、切におもった。



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