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2019年11月18日23:28

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本●「異能の日本映画史 日本映画を読み直す」

本●「異能の日本映画史 日本映画を読み直す」(彩流社)
木全公彦:著

読了。

「スクリーンの裾をめくってみれば-誰も知らない日本映画の裏面史」(作品社)に続く、日本映画の正史からこぼれ落ちたエピソードが満載の一冊。
こまめに旧作映画を見るだけで、一冊の本が出来るわけではない。
雑多な文献や資料を漁り精読精査し、文中に埋もれた小さな事実の断片を拾い上げ、新たに再構築するという作業を黙々とこなした成果だ。

そのひとつが、「週刊プレイボーイ」1979年11月13日に掲載された、1枚のモノクロ・グラビアだ。
そこには、サボテンらしきものがポツンと生えている荒れ地を背景に、にこやかな笑顔を浮かべたふたりの男が写っている。
ひとりは吉田喜重で、もうひとりは西崎義展だ。
難解な作風の映画監督と、「宇宙戦艦ヤマト」で一世を風靡した、プロデューサーの西崎義展という組み合わせが、とても奇妙だった。
ふつうに考えれば、同じ写真に収まっていること自体、不思議だ。
なぜ、このふたりかといえば、城山三郎の小説「望郷のとき〜侍・イン・メキシコ」もとに、西崎義展がプロデュースし、吉田喜重が監督する日本とメキシコの合作映画の企画があったという。
モノクロ・グラビアはそのロケハンでメキシコを訪れたふたりを撮影したものだった。
もちろん、この合作映画が作られることはなかった。
ただし、頓挫したとはいえ、堅物のイメージしかない吉田喜重が、世間的には山師扱いだった西崎義展と組もうとしていた事実は、記憶しておいていい。

奇妙な組み合わせで頓挫した映画もあれば、結実した映画もある。
小栗康平の『泥の河』と、増村保造の『曽根崎心中』という、私も大好きな二本の傑作映画を製作したのが、木村元保さんという町の鉄工所のオヤジさんだった。
このオヤジさん、1960年代の8ミリ映画の愛好家界隈では「特撮の木村」として有名だったという。
もともとは3年間ほど大映の撮影助手をしていたそうで、まったくの素人というわけでもないが、ふつうに考えれば私財をなげうっての暴挙だ。
一個人の狂気に近い映画愛が、日本映画史の1ページを作ったことになる。

そのほかにも、目から鱗のエピソードが満載。
前作に続き、こちらも一気読みの面白さだった。


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