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2019年03月25日17:22

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江國香織「日のあたる白い壁」

「説明された物語より説明されない物語の方がはるかに上、つまり映画や小説よりも写真や絵の方が、物語として単純に完璧。心の中にしまうのではなく飼ってしまうような絵は不穏で、忘れられない」(カリエール)

「観る者をひきこんで疎外する。そして人間はみんな世界から疎外されているのだ」(ホッパー)

「見るものを誘うというより受け入れる青。ホスピタリティというのは温かいものだと思われがちだが、ほんとうは冷たい。冷たくなければ人は安心して身をまかせられない。
いつもじかに胸を打たれる。感情移入だの想像だのの余地を許さない。絵ではなく、その風景が胸を打つのだ。その直接さ加減は音楽に近い。理屈の届かない場所。あまりにひたむきな力。不純物を一切含まない、圧倒的な精神に力」(ゴッホ「夜のカフェ」)

「病んで冴えた神経によってしか見えないプリミティヴな孤独感」(ムンク)

「孤独を扱う唯一の方法はただ眺めることだ。私の奇癖の一つに、絵自体の好き嫌いとはまったく別に、その絵を所有するひとに好感をもつ」(「アンドリューワイエス」僕はもっている)

「性的に過ぎるという意見の批評家が多いが、それは人が性を持っている以上のことではなく、人の持つ性がこんなにはっきりと絵に出現することは奇跡みたいに気持ちがよく、それを「エモーショナル」と言う」(オキーフ)

そして彼女が最も好きらしいバルデュスは「絵描きは職人だ。アートはどんどん悪くなっていて、いずれ消える」と言い放つ。
いずれ消えるからこそ美しいのだ、と言わんばかりだ。

難解ではないのが彼女が人気者である所以である。
そして、ぎりぎり「しゃらくさい」という一線を超えない。しかし決してわかりやすくない。考えても結局わからないかわかったような気になるしかない(ことが多い)。

江國香織の言葉は、自分でも書けそうだが、書けないだろう。書いていて、ほんとうにオレはこの言葉がわかって使っているのか、と恥ずかしくなると思う。そう思いながら書いた言葉はまともな読み手に気づかれる。
江國は絶対そんなことを考えていない。だから人気があるのだろう。
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