「今の陛下は女好きなオジサンの顔ね。なのに…
さっきの仰々しい玉座から見降ろすお姿は❣もう、吹き出しそうでしたぁ(๑˃̵ᴗ˂̵)
笑うのを我慢するのが必死でしたもん。」
「ハハハッ。朕とて、畏まるのは苦手なのじゃ。
しかし、皇帝としての形式は、必要不可欠ゆえに、仕方ないのだ。
太子と役人らが、生真面目に並んでいる中、
扉から歩いて来る、そなたの緊張している姿も、美しかったぞ❣
そなたはまるで、ゆらゆら揺れる、百合の花のようであった
」
「皆んな、まるで、お芝居しているみたいでしたよね。」
「そうじゃ。
形式とは、芝居のようなものなのだ。
ゆえに、高い演技力が要求されるのじや。
天下の人々が、眼見しておるのじゃからのう。それに…
史書にも記録されるのじゃから、手抜きはできんのじゃよ。」
「えぇー(๑•ૅㅁ•๑)
史書って…適当で、デタラメもいいのですね
では、さっきのお芝居は、その史書の記録として、私の名前が記されたという事なんですね
唐の歴史に、教学やお祈りの修行もしていない私が、出家したという記録が残るのですね❣」
「そうじゃ。」
玄宗皇帝は、満面の笑みで、うん。うん。と頭を縦に振って、愛くるしい玉環の顔を
デレデレ見つめています。
「では、お聞きします。え〜と……
女道士に私がなったというのは、本物の女道士になったと世間の人たちは思っている。という事なのですか
」
「むろん、そうじゃ。
本物でなければ、大義名分が立たぬのでな。
そなたが3年間育った、洛陽の実家にも、知らせを入れてある。
後ほどの儀式では、
道観にて、そなたに、太真という、道号を授ける儀式には、上清も参加することになっておる。」
「太真って…
最もらしい名前ですね…
叔父さん…きっと腰を抜かすくらい、驚いてるわぁ〜
お兄ちゃんは…
家出したっきり、たまにしか叔父さんの家に帰らないみたいだから、きっと…
私が出家した事も、知らないと思います。」
玉環は、国忠に、会えなくなってから、4年経っていました。
「どうした
そんな寂しそうな顔をせずとも、朕が、道観まで時々会いに行くゆえ、そなたは、何も心配せずに、のんびりして過ごすがよい。」
「陛下。実は…
兄が家出をしていて、連絡がつかなくなっているのです
叔父さんも心配して、寂しそうでしたので、
兄に連絡できるように、兄を探してもらえませんか
」
「たしか、そなたの兄は、楊国忠という、そなたより、3つ年上の、楊弦激の養子の長男であろう。」
「そうです❣私も養女です。
叔父さんとは、最近、里帰りしたので会えましたが、
兄とは、もう4年も会っていません。」
「実は、そなたを出家させたのは、程よい頃に、後宮に住める側室の妃として迎える為じゃ。
朕は、そなたに惚れ込んでしもうてから、そなたの洛陽の家族である、
楊弦激の昇格の次には、楊国忠を、李林甫の小間使いにと、思うておるのじゃよ。
それでなあ、国忠は近々、李林甫が面接を行う事になっておる。
じゃから、心配せんでも国忠は、長安の都で浮名を流しておるそうだ。ハハハハハッ。」
玉環は、心に希望が差し込んできました
⛰道観に太真宮という、玉環が住む宮を用意してくれた玄宗皇帝は、道観まで一緒に同行して、寿王李瑁の正室の妃(寿王妃)から、太真法師となり、
正式に離婚して独身となったのでした。
大唐帝国の開元28年
すなわち西暦738年2月
大唐帝国の王者
玄宗皇帝の命令により
楊玉環は19才で女道士となったのでございます。
道号は、太真法師。
つづく
⛩絶世の美女と言わせ続ける妖魔伝説
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