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2020年02月22日15:24

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18950730 NO3631 在日朝鮮人学徒たちが修学を継続できるようにする件

18950730 NO3631 在日朝鮮人学徒たちが修学を継続できるようにする件
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駐韓日本公使館記録 7巻   五. 機密通常和文電報往復 一•二 第4冊   (123) [在日朝鮮人学徒たちが修学を継続できるようにする件]
文書題目 (123) [在日朝鮮人学徒たちが修学を継続できるようにする件]
文書番号
発信日 (二十九日発) ( 1895年 07月 29日 )
発信者 福沢 (*福沢諭吉か)
受信日 七月三十日午後五時四十五分接 ( 1895年 07月 30日 )
受信者 井上 公使

(123) [在日朝鮮人学徒たちが修学を継続できるようにする件]
七月三十日午後五時四十五分接
(二十九日発)
---------------------------------------------福沢
井上 公使(*宛)

朴泳孝(パギョンホ)が福沢宅にいると聞き、朝鮮生徒は災いを恐れ修学の業を止め、公使に迫って本国から今まで通り修業する命を請わせた。
公使(*在日朝鮮公使)は昨日その旨発電したので、生徒たちは秘書官(*高官の業務を掌る官吏)の扱いとなったが、その地の事を頼む。



*朴泳孝(パギョンヒョ) 「高宗 19 (1882) 年に修信使として来日,明治初期の日本をつぶさにみて帰国した。帰国後,国政改革のため積極的な活動を展開し,同 21(*1884)年には金玉均らとクーデターを起したが失敗 (→京城事変 ) ,日本に亡命した。同 31(*1894)年に帰国し金弘集内閣の内相となったが,廃妃陰謀事件で失脚し再び日本に亡命。高宗の光武 11 (1907) 年に帰国して,李完用内閣の宮内大臣に任命され,高宗譲位に反対して済州島に流配された。日韓併合後,侯爵を受け中枢院顧問官となった。」
https://kotobank.jp/word/朴泳孝-20855








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