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2019年12月11日10:42

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18960127 NO3329   断髮令に反対する暴徒の情況 報告  1

18960127 NO3329   断髮令に反対する暴徒の情況 報告  1
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駐韓日本公使館記録 7巻 五. 機密通常和文電報往復 一•二 第2冊 (41) [断髮令に反対する暴徒の情況 報告] 1) [断髮令に反対する暴徒の情況 報告] 1
文書題目 1) [断髮令に反対する暴徒の情況 報告] 1
文書番号
発信日 一月二十七日 ( 1896年 01月 27日 )
発信者 小村 (*小村寿太郎・駐韓弁理公使)
受信者 外務大臣

1) [断髮令に反対する暴徒の情況 報告] 1
一月二十七日
-------------------------------------------------------------------------小村
外務大臣(*宛)

原州(ウォンジュ)の暴徒の情況偵察のため当館より派遣した者からの報告によれば、暴徒の発端は砥平(トピョン *京畿道楊平郡砥平面)であって、その巨魁(*指導者)もまた砥平在住の李春永(イチュニョン)である。
春永は断髮令に激昂し、郡下にある砲軍(士兵をいう)数百名を糾合して原州に投じ、観察使庁・郡守庁を襲いすべての武器を掠奪した。暴徒は原州に止まって三、四日目の本月十八日、その一部は平昌(ピョンチャン *原州の東方・ピョンチャンオリンピックの平昌)を経て慶尚道へ、またその一部は堤川(チェチョン *原州の南)を経て慶尚道へ向った。これは安東(アンドン *原州の南東方向)の暴徒に会合しようとするものである。
また暴徒が言いふらしている所によると、忠清(チュンチョン)、江原(カンウオン)、全羅(チョルラ)、慶尚(キョンサン)の同志を糾合し大挙して京城に迫り断髮令を撤回させよう、という計画である。
親衛(チヌィ)一中隊は、去る二十二日丹陽(タニャン *堤川の南東)付近において約二百の暴徒と衝突した。賊は高地によってすこぶる猛烈な防禦を展開した。激戦一時間余りの後、親衛隊は一時退去した。賊は火を丹陽の民家に放って豊基(プンギ *丹陽の南東)に向って出発した。親衛中隊はこれを追いつつ攻撃し、去る二十五日醴泉(イエチョン *豊基の南)に到着した。
この暴徒は先に原州より堤川を経て安東に向いつつあった一部と途中で衝突したものと察せられる。
去る二十四日当地出発、原州、堤川等の各地を迂回して安東に行軍する予定の親衛一中隊は、最早この地に展開する必要はないものと認められるので、速やかに安東方面に直進し、目下進撃中の親衛一中隊に連絡を通じ、一挙安東の賊窟を撃滅する事を急務とすべきだと、本官はその筋に勧告した。


*原州(ウォンジュ) 江原道(カンウォンド)南西部に位置し、京畿道、忠清北道に接する。







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