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2019年10月18日10:23

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18950707 NO3112  朴泳孝の謀反事件に関する報告  2

18950707 NO3112  朴泳孝の謀反事件に関する報告  2
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駐韓日本公使館記録 7巻 五. 機密通常和文電報往復 一•二 第1冊 (132) [朴泳孝の謀反事件に関する報告] 2) [朴泳孝の謀反事件に関する報告] 2
文書題目 2) [朴泳孝の謀反事件に関する報告] 2
文書番号
発信日 同 七日午後四時 発 ( 1895年 07月 07日 )
発信者 代理公使 衫村
受信者 外務大臣代理 西園寺

2) [朴泳孝の謀反事件に関する報告] 2
同 七日午後四時 発
-------------------------------------------------------------------衫村 代理公使
西園寺 外務大臣代理(*宛)

探偵の報告ならびに佐々木某(*佐々木留蔵)の口供によると、朴泳孝の謀反とは王妃を弑害(シイガイ・シガイ *身分の上のものを殺すこと)しようとした事で、三、四人の日本人も加わった陰謀があったことをこの佐々木が聞き込み、筆談によってこれを朝鮮人・韓在益に告げ、韓在益は金宏集に告げ、そこから国王のもとに達する事になったのである。また朴泳孝の反対側には、金弘集、申箕善、趙羲淵などが気脈を通じ、さらに国派の人々で内閣を組織する計画があると言う。
なお探偵(*秘密調査)によれば、昨日午後四時に金弘集(キムホンジプ)が参内、続いて申箕善(シンギソン)、兪吉濬(ユギルチュン *内閣書記官長)、尹致昊(ユンチホ)、李耕植 (イギョンスク *宮内大臣)、朴定陽(パクチョンヤン *学務大臣)、李夏英〔栄〕(イハヨン)などが参内。夜半後安駉壽(アンギョンス)を召して警務使に任ぜられ、李允用(イユニョン)を拘引し、訓錬第一大隊長・申応熙(シンウンヒ)を辞めさせて申泰休(シンテヒュ)に代えた。本日昼頃は徐光範(ソグァンボム)を除く他の各大臣はいずれも参内していると言う。
そこで考えるに、この度の事件は全く王宮より起ったのか、または国党の企てから起こったのか、もしくは朴泳孝などの隱謀があってこれを促したものなのか、まだ判然としないところがある。目下調査中である。
朴、李圭完(イギュワン)、申応熙(シヌンヒ)などは今朝七時頃洋服姿で京城を出て直ちに龍山から乗船し仁川で本日出帆の汽船に乗り込み日本に赴くようだ。徐光範は在京である。同人及び金嘉鎮(キムガジン)、権在衡(クオンジェヒョン)の三人は危険にさらされる恐れがあるという。ただいままでのところでは外国との関係があるとも見えない。










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