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2019年09月19日06:56

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18950427 NO3003  日本軍の咸鏡道内 武力示威 の件  1

18950427 NO3003  日本軍の咸鏡道内 武力示威 の件  1
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駐韓日本公使館記録 7巻 五. 機密通常和文電報往復 一•二 第1冊 (63) [日本軍の 咸鏡道内 武力示威 件] 1) [日本軍の 咸鏡道内 武力示威 件] 1
文書題目 1) [日本軍の 咸鏡道内 武力示威 件] 1
文書番号
発信日 (午後二時 旅順発) ( 1895年 04月 27日)
発信者 旅順 陸軍参謀大総督府 陸軍参謀
受信日 同 二十七日午後八時三十分 接 ( 1895年 04月 27日)
受信者 公使 井上

1) [日本軍の 咸鏡道内 武力示威 件] 1
同 二十七日午後八時三十分 接
(午後二時 旅順発)
旅順 陸軍参謀
井上 公使
朝鮮国北部、咸鏡(ハムギョン)道・甲山(カプサン)、参水(サムス)、温井(オンヂョン)、慶興(キョンフン)などに支那兵が多数屯駐し、既にその兵を北青(プクチョン*日本海・東朝鮮湾海岸)、咸興(ハムフン *ここも日本海・東朝鮮湾海岸)などに派遣している。咸鏡道は監司を始め府使などの多くは支那人に信頼が厚く日本人には薄い。また日本人に対し無礼な言語と行為で接することが多い。このような現状であるため将来どのような思いがけない一大事を引き起こすかもわからない状況である。
そこで我が兵およそ百名を北青まで示威行軍をさせたいと先に元山(ウオンサン)守備隊長から上申があった。そもそも元山守備隊は在元山領事館居留民の保護に任ずるものであり、その北方における支那兵の増加、及び地方官の挙動などは、将来元山領事館居留民の安全を害するものであり、これを未然に制圧しておくことは同守備隊がその任務を全うするため必要なものと考える。
よってこの隊長の上申を受け入れ行軍させたのにたいして、貴官は直接に大本営に電報されこの行軍の中止を請求されたとのことで、大本営より直接にこの行軍の中止を命じ、かつその趣旨を我々に指示した。これはどういう都合があって大本営へ中止を請求されたのか、折り返し返詞を待つ。

大総督府 陸軍参謀






*参水甲山(サムス・カプサン)と言えば「韓国の一番険しい山奥」の意。甲山は両江道、山間の町である。参水は甲山の北西、中国との国境にごく近い。白頭山の麓。
*温井(オンヂョン)  
http://www.norihuto.com/kumgang-old-mitorizu.htm
にある参図のうち、上図、外金剛駅の西に温井(オンヂョン)里が見える。また下図の「外金剛山」の左下にも温井里が示されている。
*慶興(キョンフン)は朝鮮の東北端の国境の町。豆満江を挟んで中国と接する。




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