mixiユーザー(id:6785066)

2018年09月29日09:39

83 view

18950514 NO2553 再録 NO2534 鎮南浦と機津浦の中から新開港場を択一の件

18950514 NO2553 再録 NO2534 鎮南浦と機津浦の中から新開港場を択一の件
http://db.history.go.kr/item/level.do?sort=levelId&dir=ASC&start=1&limit=20&page=1&pre_page=1&setId=-1&prevPage=0&prevLimit=&itemId=jh&types=o&synonym=off&chinessChar=on&brokerPagingInfo=&levelId=jh_005_0090_0030&position=-1
駐韓日本公使館記録 5巻  
九. 鉄道•電線•開港 貸金公債 下
(3) [鎮南浦と機津浦の中から新開港場を択一の件]
文書題目 (3) [鎮南浦と機津浦の中から新開港場を択一の件]
文書番号 機密第七号
発信日 明治二十八年五月十四日 ( 1895年 05月 14日 )
発信者 一等領事 珍田捨己
受信者 特命全権公使 伯爵 井上馨

(3) [鎮南浦と機津浦の中から新開港場を選ぶ件]
機密第七号
平安道鎮南浦(チンナムポ)及び棋津浦(キジンポ)両地のどちらかに新開港場設定となる御見込みで予め御調査になっておられるとのことですが、やはり水路・船舶の航行並びに碇泊等に関する便否を当港郵船・商船両会社員に調査し御報告致すよう本月一日付機密第四四号をもってご指示がありましたので、内々で両会社員に対し尋ねましたところいずれも鎮南浦のほうが棋津浦にまさっているだろう申しておりますが、詳細の件は判明いたしませんので、先年来当国の汽船・海龍号その他の汽船船長として大同江を航行し目下なお海龍号船長である本邦人・谷本槌太にこれを尋ねたところ次のように答えてくれました。

一.棋津浦は鎮南浦からおおよそ十七・八哩(*ほぼ29km)の上流にあるが、この間の江流は殆んど同一の深度を保ち、容易に三. 千トン以内の船舶を入れることができるので進航船舶の喫水量から言う時は両浦に少しも優劣はない。

一. 棋津浦・鎮南浦とも、二十艘内外の船舶は碇泊できるが、棋津浦での江幅は鎮南浦に比べやや狭小なので鎮南浦のような便利さが見られない。

一. 鎮南浦前面の深さは十六・七尋(*一尋は六尺=1.8mだから、約30m)であり、船舶の碇繋(テイケイ *錨に繋ぐ意)に便利でないので、従来航行している船舶は同地と接続する「南浦渡(ナムポド)」と称する地の前面に碇舶している。同所は深さ七尋ないし十尋(*18m)で船舶の碇舶にもっとも便利であるだけでなく、陸地に接近して碇泊することができるので、貨物の積み下ろしには非常に便利である。そしてその「南浦渡」と称する地は、鎮南浦からわずかに四町(*約400m))あまりでその間に小丘はあるが、これを平坦にすることは容易で、かえって市街を形成できる地区を生ずる利益がある。
しかし棋津浦では陸地から五、六町の場所でなければ碇泊することができない。また艀船の往復が困難な事情があるだけでなく、浅瀬の埋め立てをするか、あるいは桟橋を設けるのでなければ貨物の積み下ろしも容易ではない。

一. 鎮南浦における潮流の速力は二哩(*3.2km)内外に過ぎないので船舶の碇泊および艀船の往復に支障を感じないが、棋津浦においては満潮四哩(*6.4km/h)、干潮五哩(*8km/h)強であるため艀船の往復が甚だ困難で、干潮の際は絶えず小蒸汽船を便用しなければならないだけでなく、時には小蒸汽船でも往復が困難であることがあり、貨物の積み下ろしに時間と労力とを要することが甚だしくその不便は実に言い表せない。

一. 冬期間は氷結のため、棋津浦においては通例十一月下旬より翌年四月初旬まで、鎮南浦においては十二月初旬より翌年三. 月下旬迄航行するができない。棋津浦と鎮南浦とはその休航時日において前後一カ月の差がある。

一. 船用水は棋津浦、鎮南浦ともに充分でなくその量はほぼ同一である。

一. 鎮南浦、棋津浦は潮の干満は同一でどちらも十八、九呎(*呎は「フィート」、十九呎で5.8m)の差がある。

一. 棋津浦では風のため妨げを受けることは殆どないが、鎮南浦では時として西風が激しいことがあるため多少の妨害を受けることがある。しかしながら今までのところ甚だしい風が吹いたことは聞いていない。

一. 鎮南浦から棋津浦に達する航路中、鉄島前面即ち大同江の北折するところにおいては潮勢が最も急激で、状況によっては汽力充分な汽船であっても進航上すこぶる困難を感ずることがある。
ちなみに、黄海道北部載寧河(チェヨンガ)付近の地方で産出する穀類その他の貨物は、沿岸各地で韓船に搭載して流れに沿って大同江(テドンガン)に配出するのが習慣である。ところが載寧河口より鎮南浦に達する航路は潮勢が比較的に軽緩であるのに反し、棋津浦に至る航路は前記鉄島近傍の激潮に遭うため、両航路の難易は比較を絶している。

以上の谷本海龍号船長の陳述によると、船舶航行上および碇泊上の便否については鎮南浦の方が棋津浦に比べ遙かに便利であるようである。また白川丸船長に尋ねたところ、同船長の陳述も谷本船長の陳述とほぼ同様でありましたので、以上についてしかるべく御詮議頂きますよう以上御回答いたします。 敬具.
明治二十八年五月十四日
一等領事 珍田捨己印
特命全権公使 伯爵 井上馨 殿




*三. 考  旗津浦(キジンポ)
【位置】 旗津浦は龍岡県(*1952年以前の龍岡郡は、西は黄海に面し大同江下流北岸一帯を占めていた)に属し本県(*龍岡)より十里、水路で平壌へ十四里、鉄島へ二里弱、南浦へ七里、漁隱洞へ十一里である。そして陸路は大同江と渉り黄海道黄州へ四里、中和へ七里である。
【包囲物】 東方は大同江を隔てて黄州十二浦(昨年我が五師団が渡った所)と面し、峯巒(ホウラン *山のこと)起伏、後方の両面は山をめぐらせ、北方はまら山で、南方は斜めに大同江の下流を受けている。
【錨地の区域】 旗津の錨地は、他港に比べその幅がよほど狭く約十町(*約1090メートル)であるが、その土地の長さは、川の流れがあるので多少陸揚げ不便を忍べば、前後一里内外に拡張することは容易であるだけでなく、二千五•六百トンの汽船モ安全に往來できる。現に昨年日本の鹿児島丸などは旗津の下流七・八町の所に安全に投錨したと言う。また風位がよく潮勢によっては北方江中で停泊することができるので、投錨地に不足を感じることはないようだ。
【錨地の深浅】 前面の十二浦(シビポ)との間、及び下流錨地は十尋(*十尋は18メートル)内外で、北方の錨地は八・九尋である。西岸即ち棋津浦の側は二・三. 尋で浅鵑あるので小蒸汽船, 和船等には差支えがないが、外海航船は旗津の下流の対岸の山側に停泊するのがよい。
【錨地の底質】  泥土で他港にくらべ深くまた対岸十二浦へは黄州から来る赤壁江が注入しているため一層泥土を流すことが多く、ためしに満潮のとき板木を沈めておくと干潮後板上に泥土が五・六分たまっているのを見る。
http://db.history.go.kr/item/level.do?levelId=jh_011_0030_0040














0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを投稿する

<2018年09月>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30