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2018年09月17日09:34

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18950702 NO2537 朝鮮に関する井上公使の意見書・回付

18950702 NO2537 朝鮮に関する井上公使の意見書・回付
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駐韓日本公使館記録 5巻 九. 鉄道•電線•開港 貸金公債 下 (6) [朝鮮に関する井上公使の意見書 写本 廻付]
文書題目 (6) [朝鮮に関する井上公使の意見書 写本 廻付]
文書番号
発信日 七月二日 ( 1895年 07月 02日 )
発信者 外務大臣代理 西園寺
受信者

(6) [朝鮮に関する井上公使の意見書 写本 廻付]
本日閣議に提出した井上公使の意見書写を御回付致します。
七月二日
西園寺 外務大臣代理

[別紙 1]
文書題目 [朝鮮に関する 意見書]

[朝鮮に関する 意見書]
本官在任中の事情の大要は去る六月二十二日の内閣において陳述しておきました。つきましてはなお次に急要の条件について私の意見を申し出でます。至急何分の決議を頂きたく存じます。

公債の事
朝鮮政府財政の窮迫はこれまで報告してきた通り数百年前より執政の失敗によって種々悪弊の極に達していることは今更申すまでもないことながら、そもそも遠く壬辰の役の後八道の困窮に加えて、王室の困迫より止むを得ず負担を増し、困弊を重ね、殊に昨年に至って朝鮮の米蔵とも称する慶尚・全羅・忠清の三道は、旱魃に加えて東学党のため蹂躙され、黄海・平安の二道もまた東学党の騷擾とその上日清の戦争場となったため、ほとんど後輩に帰してしまったとなり、これらのため一層困難に陥ったのである。
昨年我が誠実なる忠告をもって内政改革に着手させようとしてみると、政府の金庫は全く空っぽであり、王室の経費を始め、兵隊に与えるべき給料はおよそ三ヶ月も渡していない有様で、ついに旧暦十二月になって官吏は次第に愁訴を起し、兵隊は秘かに激高の様子が見られ、政府が心配の余り金員借入の件を私に嘆訴するので止むを得ず我が第一銀行より金十三万円を貸与させたのだが、これも僅かに未払延滞給一カ月分を払わせ、なんとか騷擾の萌芽を鎮圧させたのであった。
いよいよ改革を実行させようとしても、第一に必要な財源がないのでどこにも着手することができない。
しかしそのまま経過したならば二度と収拾することのできない状況に陥り、せっかく帝国政府か世界に向かって公言した朝鮮の独立を扶持しその内政を整理すると言うことはその結果を得られず、かえってその破滅を促したようになってしまうかと憂慮の余り、五百万円の公債を興させようとし、あるいは電信、あるいは信書をもって政府の御配慮を乞いついに岡本を帰国させてその事情の困難と切迫を述べたのであった。
我が政府においても財源援助の必要を認められ、先ず三百万円だけ貸与する事に御決定になり、なおこの貸与について条件があるとのことで末松法制局長官を派出され、また日本銀行役員・鶴原*、首藤*の両人を伴い来着するや、朝鮮政府は 朴(*朴泳孝か)・内部、魚(*魚允中か)・度支の両大臣および安(*安駉壽か)・度支協弁を委員として協議を開いたのだが、こちらが注文する条件に対しては朝鮮側が不同意を唱え、朝鮮側の提議はこちらがまた認めることのできない条件であるのでこれを聞き入れず、猛烈にまた寛容に種々の手段をもって数階の交渉を重ねた後、結局日本側の主旨に屈服させようやく約款締結に至った。
ところが訂約通り初三カ年据置きして利子だけを払い、後二カ年間かけて全額三百万を償還することは事実困難である。最近暫定的に調査した朝鮮政府の歳入出予算について考えるときは到底履行できない。締結当時各大臣などが切に延期を懇求したのはまさに将来を心配したもので、正当の良心で推察すれば不道理の請求とも思われない。ついてはこの償還期限を既訂約条の通りの時期までに履行させることは必ず朝鮮政府を苦境に陥らせるだけでなく、我が政府としてもこれを実行させるためには度支部の全歳入を差し押え強還させる以外にないといった圧迫手段を取らざるを得ないことになるであろう。
なお外観において朝鮮側に屈従の貸方威迫の返却手段である嫌いもあり、また現在外交の事情に際した場合であるので、次に二案を作成し提案いたしますので、どちらかその一方を御採用頂くようお願いします。
もっとも私の希望は第一案、すなわち、清国償金の内より五百万円より少なくなく六百万円より多くない金額を惠与するほうを是非御採用頂きたいと願っております。
そこで次に先ずその理由を述べます。

昨年我が政府が朝鮮を独立させ、かつ内政を改革させることを宣言し、ついに日清戦争が端を発し牙山を始め平壤、義州は日清の修羅場となり、釜山・仁川・元山三港は我が軍の上陸場となり、従って八道ほとんど進軍の地となり、村里に住む庶人はこのために驚きまた憂え、百姓が離散する時ちょうど収穫に際していたのだがこれを顧みることができず、いかにも無惨な境遇に立ち至ってしまった。
これは結局朝鮮政府の失政に起因することであり、また人民の迷いと当時のこの政府のいたわりが行き届かなかったことによるのであるが、この国柄に対してはまだ信頼がおけない。
そこで今これに報いるために清国より受ける予定の償金の内から五百万円以上、六百万円未満の金額を付与したとしても決して過当の恩惠とはならないであろう。
そしてこの結果は、朝鮮人の日本への感情を深くし、外見上においてもまた日本は朝鮮の独立を助け、財源を救護するという忠実を示す一手段ともなるだろうと考えます。
もしこの第一案が行われにくい場合には、第二案の償却期限延期、海関税抵当担保として税関監督に日本人聘用等の条件を以て現約を改訂することと致したい。
.
第一案
清国より受ける予定の償金の内から五百万円以上、六百万円未満の金額を朝鮮政府へ惠与し、この中から先ず三百万円の貸与金を償還させ、残額のうちその半分もしくは三分の一を王室に与え、残りは朝鮮政府の有益の興業費に充てさせる。即ち私の考えでは、この残額を基本として朝鮮政府に先ず京城・仁川間の鉄道を布設させたなら (王室の分は王室の持株として出させる) 大抵その事業を完成することができるだろう。もし基本の不足を言う場安には既成の鉄道なり、または海関税を抵当とし、日本の銀行あるいは会社より資金を貸与させること。

第二案
三百万円の貸与金に対する償還期限は、元金を三カ年据置き利子を払ひ、四カ年目より年賦を以て償却させる。
ただしその期限は二十カ年以下、十五カ年以上の間において取り決めること。またこの担保には、釜山・仁川・元山三港の海関税を充てるほか、税関監督として日本人を招聘して職務に就かせること (三百万円貸借約定の節は釜山・仁川両港の海関税は既に清商「同順泰」と我が「第一銀行」に抵当となっており、他に抵当を禁ずる約束があったので担保とすることができなかったが、今日では「第一銀行」の方は償却済みなので担保とすることができるだろう)。

要するに第一案は三百万円を返却させ、残余の一半を王室に与え、国王並に王妃を心服させかつ抱き込み、他の一半で朴・魚の両氏をして安心して我が政府に依頼心を深くさせる手段であり、かつ他国の干渉を引き出すきっかけを鈍くさせる手段に外ならない。
第二案は第一案のような充分な効能はないが、第一案に比較すれは余程容易な返却方法であるので、幾分か圧服の感情を薄くさせるであろう。
また三百万円貸与の件、は議会の協賛を経て、その貸付方法に至っては政府に一任したと承知しております。だとすればこの貸付の条件は次の議会へ報告を必要とする事もありそうで、その時は現在成立の約条は先に述べた通り、到底朝鮮政府において履行できないような効果の薄いものであったりすると後日議会の論難を引き起こすようなことがあっては一論難の端を議会に与えることになるので、この辺も併せて御一考頂きたい。

鉄道の事
条約案の如く実行させようとするには普通の手段ではとても終結することは難しい。また外観においても朝鮮を独立させるという名分でもって、日本の利益を得ることを唯一の目的とし強制的に入手するような嫌いもあり、一方今日のところ京城・釜山間に於ける鉄道はそれほど必要とも見えず、ただ京城・仁川間は貨物の運搬、旅客の往来が頻繁であるので差し向き必要を感じておりますので、第一案に決議されれば、先ず京城・仁川間における鉄道を朝鮮政府に起工させ、必要とする機器・材料・技術者等は総べて日本に依頼させるよう裏面より手段を施すつもりです。

電信の事
電信約案は鉄道案よりも一層異論が多いとのことで、これまた御希望通りに決着することは困難至極でありましょう。そこで次の通り処置致したく存じます。
京城より元山に至る電線はもとより「朝鮮線」であって、仁川より京城を経て義州に達する電線も名義上また「朝鮮線」である (本線は最初支那より資金を借入して建築し、公使の監督は勿論その管理もまた支那が担当していたので「支那線」と称していたが名義上「朝鮮線」であることは勿論、これに対する負債償却の後は全く朝鮮政府の所管に帰するべきものである)。
ところが日清開戦に際して我が国がこれを占用したものであるので、平和を回復した今日となってはこの両線は無論朝鮮政府へ返還すべきものであるので直□□□□□□□□□京城・釜山間、並びに京城・仁川間における我が軍用電線は確かに非常な経費を費やしたものには違いないが、現状のまま我が国がこれを管理するためには必要な線路保護兵をも用意しなければならず、そのような時には朝鮮・日本の間にまた面倒な事も起るであろう。したがって他国に介入の地步を与えるようなものなので、この際総べて朝鮮政府へ恵与したならば朝鮮においてもまだ充分に自らこれを管理するだけの準備も整っていないので、必要な技術者またはその管理方法も皆日本に求めるよう、これまた裏面より斡旋致したいと考えます。
この鉄道電信条約案の最初御廻送の分は、取りあえず朝鮮外部(*外務)へ提出し熟考させておきましたところ、その後同政府部内においても段々異論のあることがわかり、また私においてもこの案の結果は名実共に多少朝鮮の独立を損傷し、従って他国より非難のでる嫌いもありますので、あれこれ斟酌の上再度私の考えを申し出て置くつもりではありましたが、事態変更の今日となっては断固とした処置を為すことが必要と認め、先に述べた通り更に私の考えを述べた次第です。
要するに今後の対韓策は、先ず恩惠を以って彼を心服させ、自然にこちらを頼りにするようになる手段を取ることが最も得策だと信じます。
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京城守備兵の事
朝鮮の現在の状況では、民乱その他不測の警戒に備えるため我が兵の駐屯が必要であることは無論のことと存しますが、現在の京城守備兵は後備であるので(*四国の後備歩兵第十九大隊を含む)どうしても常備と入れ替える必要があるのだが、それにもかかわらず引続き守備兵を駐屯させることは外見上干繋(*不明)もあるので、先ず朝鮮政府の要否を聴き、同政府において是非とも必要とのことであれば大君主(*朝鮮国王)の命を受けた上で外部大臣を経て我が政府へ公文 (公文中には大君主の命を受け依頼云々の文字の明記が必要)をもって依頼するようにさせ、後日他国より干渉のあった場合に十分答弁の余地を取り置きますことが必要と存じ、これらに付いて熟と朴内部大臣(* 朴泳孝 1894年―1895年の甲午改革のとき内務大臣をつとめたが,失脚後再び日本亡命)の心意を聞き、いよいよ必要となれば所要の兵数及び駐屯の場所等も内談の上通報するよう、この程杉村代理公使へ申し通しておきました。もっとも私の見込みでは所要の兵数は平時の二大隊もありますれば先ず充分と考えます。

渡韓者取り締まりの事
昨年以来各種の日本人が次々と渡韓し種々の目論見を実行しようとし、ややもすれば独立扶植の恩義を取り上げ、戦勝の余光を借り、種々の難題を持ち掛け様々の押しつけをするため、朝鮮官民ともに甚だ迷惑し、果ては日本人に対し恐怖を懷く情勢を生じている。
近着の京城来電によれば、さる十五日(*六月十五日)櫻間某(*不明)、兇器を携帯し朴内部大臣の邸に侵入暴行し、また同二十一日有馬某、金外部大臣の通行を見掛けその乗輿を押止めひどい無礼を加え、これらのためおよそ朝鮮人たちが我が人民に対し大いに嫌悪の感情を呼び起こしただけでなく、同時に日本人の挙動を見て専横だとした捕え著しく嫌悪の度を高めたとのこと。
商界の様子もどうようである。開戦以来支那商人はみな帰国した。我が商人が彼等の顧客を入手する絶好の好機がこの時であったが、残念ながら我が商人は親和と実直とで商業に従事するものがなく、商界の強敵である支那人の不在を好機として威迫的な商売をなし、戦争前よりも一層朝鮮人をひどく扱っている観があるは実に慨嘆するほかない。
今や支那商人は続々とまた帰来している。彼等は朝鮮人と歴史上の親和力を有する上、店舗商にせよ行商にせよ、団結力と忍耐と倹約とをもって従事するので、商戦上彼等に負けてしまうことは昨年七月前より幾層を加えることになろうとしている。
従来日本人が朝鮮人に対して種々の圧迫手段を行使し、平和の今日となっては殊更日本の人足どもに至る迄、東学党は我々がこれを退治したのだ、独立は我々がこれを獲得させたのだといった気炎でもって朝鮮人たちを威圧するので、彼等の倦厭の感情を益々深くさせ、なお支那人に対するに軽蔑暴行を以てする情勢は日一日より甚だしくなっている。これは支那人と朝鮮人との間に有する歴吏上の親和力を一層増加させる行為であり、将来日本人はいよいよ信用を失い、ついには朝鮮官民共に我が政府並びに人民を嫌悪するに至ることは必然である。
また最近のように各種の日本人が商界を跋扈し、そのうえ一方には料理・茶屋・芝居・軽業のような贅沢物が増えるに従い、また我が商人等の驕奢を増長するので、我が物品も高価で売却せざるを得なくなるのは当然である。
したがってこの際内地において渡韓規則を制定し、渡韓者を厳重に取り締まらなければ、今後どのような大変な出来事が生じるかもわからないので、至急取締法を設けられまた我が領事に行政上の権力を充分に与えられるよう致したいと考えます。

木浦及び鎮南浦居留地の事
今度新開する予定の木浦及び鎮南浦の両所に特別日本居留地を設定する件については、かねて御訓令の趣旨もありますが、この二ヶ所とも新開の地域が非常に狭く、我が居留地を特設しようとするとイギリス・ロシア・フランス・ドイツ・アメリカ・清国に我が国を併せて七区の居留地を区画せざるをえず、しかしながら地勢狭隘の地区を七分したなら各国に当てられる地区一小区に過ぎず、目下朝鮮貿易に従事するものは日本人がその多数を占めていることは釜山、仁川、元山三港を見てもはっきりしているので、この新開二港への通商者もまた我が商人並びに清国人民が多数を占めることは必然である。だとすると、狭小な地区はたちまち充満して不足を告げ、他国に属する居留地内に入り込もうとしても排斥されることになるであろう。将来各国が各居留地制度を設けることになれば、第一に警察上における各自の制度を立て、その結果矛盾を生ずることは必然であろう。また費用上居留民の負担についても大いなる不利益があるであろう。
このようでは折角我が商民の便益を得るために居留地を特設した結果は、かえって不便不利の結果を来たすことになるのではないかと思います。ゆえに寧ろこれらの地区をすべて各国共同居留地とし、これに「シッパルコオンシュール」即ち居留地会制度を組織したならば、将来のためかえって我が国民の便益と考えます。
また共同居留地設定については、各国人民の需用に応じ地区競売方法を約定し、もっとも一人あるいは一商店の名義で多くの地区を買い占める弊害は仁川等にありますので、これらの弊害を防止する事が最も必要と認めますので、大略別紙方案の通り取り決めた区存じます。
これは目下朝鮮政府勅令をもって開港を決行することに内定致しておりますので、至急なんらかの御決定を頂きたいと考えます。

法制局参事官石塚英蔵召還の事
石塚参事官は朝鮮へ出張以来同国内閣の依嘱を受けさせ官制その他法文制定に従事し精励尽職して今や改革に必要な諸般の法文も制定発布に至り、また少々事情もありますので、帰朝を命じられますよう致したく存じます。

陸軍砲兵中佐楠鷙彦の訓練事務囑托を解く事
京城公使館付楠麕な蔀羣瓦蓮特に朝鮮軍部の依嘱により参謀本部の認許を得て韓兵訓練の事に従事し、親切に訓練、今や新式訓練大隊を編成し得るに至っている。ところが同官は公使館付でもあり、以前に軍部改革の際他に適当のものがいないため参謀本部へ照会の上一時その囑托に応じさせたものであるので、一先ずこの囑托を止めますようその筋より通達を頂きたく存じます。

以上の諸条件をなるべく速やかに御決定の上、私の帰任を必要とされれば何時でも帰任できますし、また新任公使派遣の御都合になりましたなら、本官の布望は公使及びその人の細君の交際などに熟練な人物を特に御人選できるように致したく、なおまた適任者内定の上は御発表前に私は一応朝鮮へ帰任致し、従前の行き掛かり及び将来の措置などについてじっくりと大君主並びに王妃へ奏聞を遂げ、また各大臣の居合(*不明)、新任公使の結び付け等についてもそれぞれ遺憾ない様致したく存じますので、この件も御一考頂きたい。
以上具申致します。
明治二十八年七月一日
特命全権公使 伯爵 井上馨
外務大臣臨時代理 侯爵 西園寺公望 殿


*鶴原・須藤
日本銀行大阪支店歴代支店長
L 初代, 外山脩造, 明治15年11月22日. 2, 川上左七郎, 明治18年6月9日. 3, 鶴原 定吉, 明治26年9月1日. 4, 片岡 直輝, 明治30年2月24日. 5, 首藤 諒, 明治32年3月1日.




[別紙 2]
文書題目 [木浦と大同江の新開港場の居留地約定 要項]

[木浦と大同江の新開港場の居留地約定 要項]
木浦•大同江の両港とも地所が狭く特別な日本居留地を設ける余地がないので、各国共同居留地を設定する予定に従い以下その方案を立てた。

本浦•大同江新開二港居留地取極要項
一. 二港とも「ある国の単独居留地」を設ける制度を止め、広く区域を定めて唯一の「各国商民共同居留地」を設定すること。
二. 居留地とするべき地区はいったん朝鮮政府がこれを買い上げ、道路・宅地の区画を立て、宅地等級を定め、競売法に従ってこれを売り渡すこと。
三. 道路宅地並びに堤岸・埠頭に関する取り決め、並びに維持は次の方法に従うこと。
・道路宅地の区画並びに宅地の等級は、朝鮮当該官吏と各国領事とが協議してこれを定めること。
・埠頭・堤岸は朝鮮政府の費用をもって建造すること。
・居留地の道路・溝渠・橋梁は朝鮮政府の費用をもってこれを建設すす。但しこれを修理・清掃する場合は居留地積立金をもって支弁すること。
・居留地内街灯の建造、修理並びに居留地取締費用は、居留地積立金をもって支弁すること。
・この居留地積金が不足でする時は更に居留人民より法を定めて費金を徴収すること。
・宅地競売代価、並びに毎年徴収した宅地税の若干分をもって朝鮮政府へ納め、その余りは居留地積立金と為すこと。
四. 宅地競売は次の方法に従うこと。
・一人あるいは一商店の名義をもって二区又は三区以上を買い受けることは出来ないこと。
・宅地を競買した者は一カ年内において営業する家屋または居住する家屋等を建築しなければならない。
もし同期限内にこれらの家屋を建築することができない時は、更に競買元価の百分の十に相当する金額を納めれば六カ月間の延期を許すこと.
前項の期限内に相当の家屋を建築しない時は、当該領事の手を経て宅地を引き上げること。ただしこの場合には当人既納の宅地原価十分の二、並びに延期納金 (もしこれがある時は) を控除し、その余額を当人に返還する事。
五. 居留地の取り締まり規則を設け、事務を処理するため仁川港各国居留地の例に従い、朝鮮官吏、各国領事並びに地主より選挙した委員で組織した居留民会を設けること。



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