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2018年12月15日19:51

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植物図鑑563

ハゼノキ(ウルシ科)

先日久し振りに通った道で目も覚めるような紅葉を発見。道端の植え込みからやっと木の先端を見せる程度の小ささだが、その赤の美しさに、目を奪われる。
翌日、丁寧に撮影しようと、三脚持参して現場に行ってみると、落葉が始まっていた。今年最後の美しい姿を、昨日は見せてくれていたのか、と熱くなる。
奇数羽状複葉。小葉は3から6対ほど。披針形。大きいもの10センチを超える。ウルシやヌルでの葉よりもはるかにほっそりとして、長い。
漢字は「櫨」。今、日本の樹木図鑑では、ハゼノキ、とされる。渡来植物と知り驚く。
ある論文では、延宝年間(1678〜1680)の渡来と記されている。
農業の手引き書、とも言える「農家益」という版本がある。書誌学的に記せば、
「農家益初編 大蔵永常著 享和(1801〜1804)二年の刊本」となる。
この書に、僅か百年ほど前から換金作物として、農家が自宅周りに植えるようになった、とある。発行年から逆算して、先の論文の年代と近い。
著者大蔵永常は、農家が豊かになるために、どのような農業をすればよいか、をこの書で語っている。それには、空閑地、畑の脇などに換金作物を育て、それを売ればよい、というのだ。卓見である。

ハゼノキは、その実から、ロウソクの原料である蝋が採れるのだ。日本では古くから、ハジと呼ばれる木から蝋を採取していたが、この外来の木からは、更に効率よく蝋が採れたらしい。先の農家益では、櫨の字に「はじ」と読みが振ってある。そしてそれまでハジと呼ばれていた古来の蝋の原料木は、ヤマハゼという名に貶められた。ヤマハゼを九州のある地方では、今もハジと呼んでいるという。
さてそのハジが、いつ頃からハゼになったのか、かの牧野氏の植物図鑑にも経緯は書かれていなかった。

ふとした華麗な植物との出会いから、江戸時代の版本にいたり、思わぬ勉強をしてしまった。こういう出会いは、何としても楽しいものだ。
ちなみに、著者大蔵永常は、宮崎安貞、佐藤信淵とともに江戸の三大篤農家の一人とされる。生涯に多くの農書を刊行しているが、その最初の作品がこの農家益で、本書は、換金作物としてのハゼの栽培、蝋の搾出技術など、を知る限り紹介したものだ。
話は飛ぶが、こういう人物にこそ、ふるさと創生大臣になっていただきたい、と心底思ってしまった。

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