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2021年02月27日21:03

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自分の誕生日は本当は母の日。

美容院に行って置いてある雑誌を読んでたら、少し考えさせられるエピソードが書いてました。

皆さん、誕生日はどうしてます?

私は友達からプレゼント頂いたり、家でケーキとローソクでお祝いしてもらったり。

ごく当たり前にさわいでます。

淀川長治さんって知ってますか?もう亡くなっていませんけど、日曜ロードショーて映画番組の司会を何十年としてた映画解説者です。

私もお顔や独特の話し方は、少し記憶に有ります。

そして永六助さん。

誰でも知ってますよね、テレビの創世記に脚本家で活躍され、つい最近亡くなられました。

このお二人の30年以上前のエピソードです。

永六助さんの全盛期、なんでも自分と同じ誕生日の芸能人や作家が多い事を知り、4月10日会となるものを作ったそうです。

そして毎年、会の皆さんで一同に集まり、派手にパーティーを開き楽しんでいたそうです。

有名人ばかりだから、さぞかし楽しかったと思います。

そんなある日、永六助さんは淀川長治さんも4月10日生まれだということを知りました。

永六助さんはさっそく淀川長治さんにお声を掛けました。

「淀川さん、僕達は4月10日生まれの人達で、誕生会を作って皆でパーティーを開いてます。淀川さんも同じ誕生日ですよね?一緒に祝いませんか?」

すると淀川さんは。

「お誘いくれてありがとう、でも僕は誕生日は母と二人でお祝いすることに決まってますから。」

すると永六助さんは。

「いえ、みんなお忙しい方ばかりですからパーティーは4月10日と決まってる訳ではないんです、日にちの都合を合わせて行います。楽しいですよ、ご一緒にいかがですか?」

すると淀川さんは申し訳なさそうに言ったそうです。

「実は、日にちの問題でわないんです。私は私の誕生日を母の日だと思っており自分を祝う気には成れないのです。」

「え?それはどうしてですか?」と六助さん。

「私は産まれた日の記憶も有りません。しかし母は淀川家の跡取りを作るため、30も離れた父と結婚させられ、長男である私を産むことを義務づけられました。そして5年後やっと私を産んでその責任を果たしたのです。

母は激しい痛みのなか私を産んでくれました。
母には忘れられない日であり、母の大事な人生の1ページなのだと、私は勝手に思ってるのです。」

「せっかく誘って頂いたのに、まことに失礼なお断りで申し訳ないのですが。」と、丁重に詫びる淀川さん。

その当時、淀川さんは60そこそこで、永六助さんは40そこそこだと書いてました。

大先輩のその言葉を聞いて、永六助さんは頭をハンマーで殴られたよう衝撃を受けたそうです。

俺はなんと浅はかな男なんだ!

この歳まで、そんな当たり前のことも気が付かなかった。

そんなことも分からず、おれはなにをばか騒ぎしてるんだ!

そう思った永六助さんは、10年ちかく続けていた誕生会をきっぱり、やめてしまったそうです。



この話し聞いて皆さんどう思います?

私は誕生日を、どう考えるかは人それぞれ。

気持ちよく楽しめば良いと思います。

私が感動したのは、まず淀川さんの母を思いやる気持です。

自分の母親が、自分を生む為に、すごく苦労したことを知ってしまった淀川さん。

後に淀川長治さんは、この母に対する淀川家に、恨みを晴らすため、自分は一生独身で過ごし、淀川家を終わらそうと決めたそうです。

淀川長治さんが一生独身だったのは、そういう理由があったわけです。

そして何より永六助さんです。

上を向いて歩こう。などの歌詞を作っている、自分の感性がそれに気付かなかったことに、おそらく怒りを覚えたのでしょう。

何年も続けてた誕生会を止めるのは、会の人に説明するのも大変だったと思います。

素直に聞き。

直ぐに改める。

私は淀川長治さんも素敵ですが、永六助さんは、もっと素晴らしい人に思います。



私はこれからも、自分の誕生日は祝ってもらうし、誕生プレゼントもありがたく頂きます(笑)

でも、本とは母の日なんだと、心に秘めておきます。

お母さん。

この世に生を授けてくれてありがとうね。

それでは、このへんで。



さよなら、さよなら、さよなら。
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