もしこの人が本当に反省しているなら、降板して態度で表して欲しいものだ。
それなくして ”反省してます” と言っても、被害者は納得しないし、人として間違っている。
「過去の悪事についてネチネチ言うのは加害者イジメだ」
そんな意見がある。でも考えてみて欲しい。
もしこの人が、この大役に選ばれた時、こう言ったとする。
「私は障害者をイジメ、それをおもしろおかしく語ったことがある。自分が未熟だった過去のことであり今は反省しているが、そのような過ちを犯してしまった私は、このような大役を受けるにふさわしい人間ではない。誠に残念ですがこの件はお断りします」
これでもこの人をつかまえ「おまえは過去、障害者をいじめたヤツだ」と言ってネチネチ言えば、それは加害者イジメだろう。
彼は大役を辞退することで、被害者と痛みを分かち合ったからだ。
しかし大役に選ばれれば喜んで受け、「過去は反省しています。でも仕事は欲しいです」では、彼は何一つ痛みを分かち合っていない。
”過去は過去、今は今”とか、”復讐はよくない”とか、それはあくまで加害者の都合がよい言葉であり、せめて今できることで痛みを分かち合ってこそ、本当の反省だろう。
彼をネチネチ非難している人もそこを非難しているのであり、ネットの誹謗中傷で自殺した有名人のケースとは状況が違う。
”当時は未熟だった” 、これを分かりすく解説すれば「当時は未熟でバカだったから、イジメもしかたのないこと。今の俺には関係ないことだ」と言っているに等しい。
これはその人の過去の過ちにいつまでもこだわっているのではない。
今のこの人の”人としての心の温かさ”の問題だ。
行為は過去のことだが、問題は過去ではなく今の彼の態度である。
”過去に過ちを犯せば、一生、それをひきずらなければいけないのか?”
そうではない。
この人はオリンピック案件を断ったとして、仕事がなくなるわけではない。
名誉とお金の誘惑に負け、受けるにふさわしくない人間がその役を受け、口先だけで過去の行為を取り繕っていることが問題だ。
たとえ未熟なためしたことであっても、過去に犯した悪事は消せない。
でも、そのことに対し、今、真剣に向き合い、他人に許してもらうことはできる。
名誉とお金の誘惑で、人として大切な心を損ねているような人間に、こんな大役がふさわしいはずがない。
それは過去の話ではなく、今の話である。
■小山田圭吾さん謝罪文全文 自身のツイッターに掲載
(朝日新聞デジタル - 07月16日 19:14)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6594627
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