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2021年07月16日22:43

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切腹の復活は嫌だな

幕末、切腹が外国人に与えたインパクトはすさまじく、それが逆輸入され、今の日本人には”本当に腹を切る切腹が武士の一般的な死刑方法だ"と思っている人がいる。

しかし、幕末、その場にいた一般の人たちは”本当に腹を切る切腹”を見て、びっくり仰天したようだ。

彼らにしても、”本当に腹を切る切腹”など、260年前の古文書で読んだだけであり、まさかそんなことが本当に行われるとは思ってもみなかった。


戦国時代ですら切腹が武士の死に方という文化はなかった。

切腹第一号は平安時代の終わりに生きた盗賊。

この人は逮捕され牢屋に入れられた時、人生に絶望し自殺しようとしたが、死に方がよく分からず、とりあえず腹を切れば死ねそうなので腹を切った。

そしたら大変なことになってしまい。

苦しみぬいたあげく、翌日、ようやく死ねた。

これは単純に、この人に解剖学的な知識がなかったため、楽に死ねる場所を知らず、思い込みから間違った自殺をし、とてつもない苦しみを受けたケース。

そこに美学とかなく、単純に間違った死に方の悪い例として記録に残ってしまったような感じである。


ただこの人のおかげで「腹を切るとなかなか死ねず、死ぬまでとても苦しまなければならない」という知識が広まり、長らく”腹を切るのは誤った死に方”とされ、わざわざ腹を切って死ぬような人はいなかった。


源平合戦には切腹など出てこない。南北朝の争乱でも出てこない。

戦国時代でも中頃までは出てこない。

それが戦国時代の末期になって、クレージーなことを言いだす連中が出てきた。

「わざわざ苦しい死に方をするのが男気だ」

そこでわざわざ猛烈に苦しまなければいけない切腹を考案した。

頭では、腹を切ってその苦痛に耐え、そして「ニカっと笑い。俺ってかっこいい」と言って、死につくのだが、人間の体はそんな風にはできていない。

実際、やってしまった人たちの惨劇はすさまじく、腹から血や汚物が噴き出し、七転八倒、まさに地獄絵図。

これが戦国末期に登場した切腹だ。

しかし、これも一部の奇特な人が自分の意思でやっただけであり、武士の刑罰としての切腹はまだない。

関ヶ原の合戦でも敗将はみな斬首であり、刑罰としての切腹は一般的ではない。


平和な時代に武士の男気を見せる文化として、切腹の作法が整ったが、形式的に腹を切り男気を示すだけで、ガチで内臓まで切ることはなかったらしい。

それも厳しいということで、ほとんどのケースでは扇子を腹に当て腹を切ったことにし、そこで首をはねる斬首。

しまいには、切腹と言うものの、屏風で隠し、毒を飲んで死ぬ、ただの自殺となった。


江戸幕府の刑罰としての切腹はこんな感じであり、赤穂浪士の切腹でも、ほとんどの
浪士は腹など切ってはいない。

大石内蔵助など一部は腹を(浅く)切ったらしいが、大部分は扇子を腹にあて、首をはねられた斬首だったそうだ。

江戸時代を通して切腹はそれほど多くはなく、刑罰としての切腹は江戸中期から後期の160年間で20人しかいない。

そして全体を通し、自殺としての切腹を含めても、400人程度。

しかし幕末の動乱期、勤王志士やら新選組やらは、古文書から本当に腹を切る切腹の記述を見つけ、言葉通りの切腹を復活させてしまった。


ショッキングなのは、江戸時代という260年間も続いた平和な時代の後で、過去の怪しげな歴史を掘り起こし、本物の切腹を復活させてしまったことだ。

今の日本人は”切腹など過去のもの。復活するわけがない”と安心している。

しかし、動乱の時代になれば、歴史を掘り起こし本の中の記載だけになっていた切腹を復活させてしまう人が現れるかもしれない。

人間の心は時代と共に移りゆく。

幕末の武士は、まさか”本当に腹を切らされる時代が来る”とは思ってもみなかっただろう。

自分たちがそうならないことを祈るばかりだ。
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