仕事をしていると同僚の悪い点がいくつも目につく。
「彼はなぜ改善しようとしないのだろうか?指摘して直させなければいけない」
そんな思いが心の中を駆け巡る。
でも心の片隅では「指摘してはいけない」と天使の声がささやいている。
一方、同僚からすれば私の悪い点がいくつも目についている。
悪い点は、その人がそうなりたくてなっているわけではなく、一部は後天的なものだが、大部分は先天的なその人の特徴である。
だから指摘すれば治るようなものではなく、ましてや「治さないからいけない」と非難されても、言われた本人を苦しめるだけ。
風邪をひいて苦しんでいる時「熱を出すのはいけない」と言われても困るし、
事故で足をなくした人が車椅子に乗って移動していると「邪魔だから立って歩けるようにならなければいけない」と言われても、困ってしまう。
これが脳の障害となると、ただ表面的に見えないだけに「気合と根性で治さなければならない」となってしまうから恐ろしい。
同僚がおかしなことをしていたら、やはりイライラするし、「悪いことは指摘して治させなければならない」と感じる。
でも3分。3分耐えれば、イライラは収まり、その後は悪感情を引きずらない。
3分待つことは、3分待つ本人にとっては「俺ってなんて紳士なんだろう」と自画自賛したくなるほど立派なことと思える。
しかし、実はみんなそうやって3分待って人間関係をうまくやっている。
「できないのは悪意からやらないからだ」と言う人がいる。
でも少し考えて欲しい。
誰が悪意で生産性を落とそうとしたり、他人をイライラさせようとするのだろうか?
誰だって生産性を上げたいと願っているし、他人をイライラさせたくはない。
「じゃああなたは悪意から私をイライラさせるのですか?」
そう聞いたら彼らは怒り出す。
ふてぶてしく「ああ俺の悪いところは分かったよ」と言う。
彼らとて悪意から他人をイライラさせているのではなく、脳の障害から相手をイライラさせている。
だから怒ってふてぶてしく対応するしかない。
でもそれが他人のこととなると「俺に迷惑をかけるな」とか「やる気がない」と言って怒り出すからタチが悪い。
他人の悪い点を見たら、
それが法律や規律に違反しているなら違反していることだけを指摘する。
それ以上は言ってはならない。
相手の行動にストレスがたまるなら「相手が悪いから」ではなく「自分の体質に合わない」と考え、その人から離れる。
また相手の悪い点で迷惑をかけられる時は、イライラもマックスになるが、3分耐え、相手に言わずそっとフォローする。
自分がされた時は猛烈にムカつくが、本当は自分も多くの悪い点があり、周りの人に迷惑をかけている。
子供の頃、「大人になる」とは、正しい知識を身につけ、悪い点を直し、立派な人物になることだと教えられる。
でも本当は、「大人になる」とは、自分の悪い点を直せないことを自覚し、他人の悪い点に寛容になること。
即席ラーメンを食べるには3分待たなければならない。
ラーメンの蓋を開けず待つことができるようになることが、大人になるということだ。
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