前回の日記でスウェーデンの選択を書いたが、
誤解されたくないのは、
スウェーデン人はコロナを放置し、老人や障害者などコロナで死にやすい人をあえて治療しないことで、社会的なコストを削減しているわけではないこと。
彼らは「この人生の次に本物の人生があり、この人生は次の人生の行き先を決めるもの」ということと、
そのため「この人生の目的は、次の人生を幸福にしてくれる救い主に巡り会うこと」ということ知っているため、
今の人生の期間を数値で表し、それが長ければ長いほどよいとは考えておらず、
老人や障害者になり死ぬのは自然なことだから受け入れることにしているだけである。
「老人や障害者のコストを計算し、それを効率よく削減し、国家の富を増そう」とか
「若者が楽をしたいため老人や障害者を効率よく殺処分しよう」とか
考えやっているのではない。
結果として、
老人や障害者が早死にし、若者の負荷が減り、
ただ年数を長く生きられるだけで自分の時間がもてない日本人に比べ、
生きられる年数は短いが本当に自分が生きた時間が長くなっているだけである。
スウェーデン人は計算高い日本人と違いより感情を大切にするから、
自分の祖父母が亡くなれば猛烈に哀しみ、
障害者が亡くなればあわれむ。
また彼らに対し惜しみない援助をする。
まさか彼らの死を願うことなどはない。その辺りは日本人以上である。
ただ今の日本でスウェーデンのような政策をとると「老人や障害者の削減が目的」とされ、ナチズムとみなされてしまう。
日本人の多くは世の中の真実を知らないから、
これまた近代になってからはやった「数値で物事を考える合理主義」にその理由を求めてしまうからだ。
スウェーデンでももちろん、神を信じない人、次の人生などないと信じる人、人生は長ければ長いほどいいと考える人、どうしても死にたくない人などはいる。
そういう人は外国に移住したり、高い保険に入り、プライベート医療を受けたりしなさい。
ただ国家では面倒をみませんよ。
スウェーデンはそういうスタンスであり、決して少数の考えが異なる人にも老人になったら死ぬことを強制しているわけではない。
スウェーデンでは、老人になるとどこの病院に行っても、治療してもらえない。
病院に行っても、痛みを緩和する薬を与えられ返される。
そして言われるのは「もうこの歳になったら次の人生への心の準備をしなさい」。
そこで神に祈りつつ、心安らかに自宅で死ねればいい。
信仰がない人、どうしても死にたくない人だと、これはつらいだろう。
「俺は死にたくない」そうやって必死になって病院を巡っても、80歳をすぎていたら、どこの病院も相手にしてくれない。
風邪をひいてものすごくしんどい。これは死ぬかもしれない。
日本なら「これは大変、しっかり治療しなきゃ」と言って、いたれりつくせりの治療が”国民皆保険”で少額の自己負担で受けられる。
スウェーデンでは「あなたは歳だから安らかに死になさい」と言われ、苦しみを緩和する鎮痛剤だけ渡される。
もし自分がこれをされたらどう感じるだろうか?
医療を受ければあと10年は生きられる。でも医療を受けられないため、今、死ななきゃならない。
死ぬ覚悟が持てるだろうか?
この状況を見て「私は覚悟できない」と思う人は、
日本人同様、若い頃の貴重な時間を老後のためにせっせと費やしプライベート保険に加入し、
カネさえ払えば老人でも治療してくれる外国の病院に行けるようにする。
ただ日本と違うのは、
日本では国民皆保険で強制的に選ばされ、また自分の掛け金で自分の医療をみるわけではないのだが、
スウェーデンは自分の掛け金で自分の医療をみるわけであり、たくさん掛ければたくさんみてもらえるし、少なくしかかけなければそれだけしかみてもらえない。
自分の掛け金が、掛け金を払わない他人に使われることもなければ、
一生懸命お金を払っても、お金を払わない人と同じサービスしか受けられないということもない。
すべては自分の選択でできる。
ただ多くの人は、おそらく死ぬ時はジタバタしてしまうだろうが、それでもそのひと時ジタバタすることと引き換えに貴重な時間を費やすのはバカらしいと考え、
また世の中の真実を知っているため「なにもこの人生にしがみつくことはない。老人になったらすんなり死のう」と考えている。
将来の不安と言った時、一つだけ確実に分かっていることがある。
それは「いずれ死ぬ」ということだ。
その死を迎えた時「今死にたくない」とそれを先延ばしにしたいと思う。
その恐怖のために今を犠牲にする。
いえいえ死ぬ時は死ぬものです。それが少し早くてもそれはそれでOK。
そうすれば社会も家族もみんな幸福に生きられる。
合理的に考えると、これはナチズムになってしまう。
世の中、合理的に考えてはおかしくなってしまうことが多い。
合理的に考えるのもほどほどにと思う。
ただスウェーデン人だって生にしがみつきたい。
だが彼らは今の生が次の生への段階であることを知っている。
だから今の生にそこまでしがみつかない。
世の中の真実を知ることはとても大切なことだ。
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