スウェーデンではコロナ対策はせず、コロナ感染症を放置しているが、もう一つ他国とは違う政策をとっている。
「老人が死ぬのは自然の摂理であり老人には医療を施さない。」
「80歳以上の老人は死ぬに任せる」
スウェーデンでは人の寿命を80歳と見込んでおり、80歳以上の人には病気を治す治療をせず、苦痛を取り除く簡易な処置だけで死ぬに任せているのだが、この80歳というのは、実年齢の80歳ではなく、身体年齢の80歳相当という意味。
つまり「若くても80歳並みの身体なら医療を施さず死ぬに任せる」ということ。
たとえば日本では涙ちょうだいを誘う体の臓器が不具合で移植をしなければ死んでしまうような子供の場合、子供でも「この子は80歳の老人と同じ状況にある」と判断され、そのまま死ぬに任せる。
身体障害者や知的障害者なども同様。
一方、子供やアスリート、技術者、各分野で有能な人などは、優先的に医療を施し、延命を図る。
スウェーデンは、命の選別をすることで、高福祉社会を実現している。
コロナ放置もこの思考の延長線上にあるわけであり
「風邪(コロナ)で死ぬような老人は死ぬ運命なので死ぬに任せる」
スウェーデンのコロナの死亡率は日本の10倍であり、ヨーロッパ最悪レベルとされているが、これはコロナを放置したことが原因ではなく、コロナに感染しても老人や重病人、障害者だと治療を受けられないことが原因。
「身体的な価値に関わらず命の重さは平等」とする日本の方針とは全く違う。
これにはキリスト教の考え方が根底にある。
「今の人生が終わった後で、終わりの日に復活し神の裁きを受ける」
今の人生は次の人生の行き先を決めるものであり、長く生きることより、
”本物の神を知り次の人生で救いに至る信仰を持つことが目的。”
今の人生は、短いから不幸ということもなければ、長いから幸福ということもない。
なぜなら次の人生が本当の人生であり、今の人生は次の人生の行き先を決めるものだからだ。
長く生きればいいってものじゃないし、短ければ悪いというものでもない。
大事なことは、長くても短くても、その限られた人生で世の中の真実を知り、救い主を受け入れること。
論語で言う「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」に近い。
またヨーロッパで安楽死が認められる背景にもこの考え方がある。
「今の人生ですべて終わりではなく、次の人生がある」
今の人生を終わらせる病気にかかったなら、それはあの世からお呼びがかかっているから、無理に抵抗せず死にましょう。
それがスウェーデン人の考え方だ。
コロナで死ぬ老人や病人は、コロナから救ったとしても、どの道、10年以内には死亡する。
本人にとっては死ぬのが10年早いか遅いかの問題だが、社会にとっては、彼らを生かしてしまった場合、その10年はただの負債にしかならない。
彼らには早く死んでもらうことで、若者の負担を減らし、社会を健全に保つ。
それを目指しているわけではないが、結果的にそうなっている。
これがスウェーデンの高福祉・短時間労働・快適な人口密度のカラクリである。
日本人の多くはキリスト教の信仰を持っていない。
だから「今の人生の目的は真実を知り救い主を受け入れること」が理解できない。
ただ長く生かしたことが価値であり、それが以外の価値を持たない。
私はキリスト教徒だからスウェーデン人の考え方がよく分かるし、私も彼らと同じ思考をしている。
人間、死ぬ時は死ぬものであり、今を大切に生きたらいいんじゃないかな?
コロナは放置でよいし、それで死ぬ老人は天命として死ねばよい。
そして若者たちは、自粛に苦しめられることなく、老人の世話に苦しめられることなく、今の青春を謳歌する。
平均寿命は日本人の方が長くても、実際、自分の人生を生きた時間は、スウェーデン人の方が長いし、その自分の人生を生きた時間でもとりわけ一番貴重な青春が長くなる。
もし死神が来て「80歳から100歳まで生きられるのと、20歳から40歳まで自分の時間が2倍になるのと、どちらか選択しろ」と言われたなら、私なら、20歳から40歳まで自分の時間が2倍になる方を選択するだろう。
コロナ感染症、数値だけ見ればスウェーデンは最悪レベルかもしれない。
でもやっぱり日本より幸福な国である。
全国で1300人超感染 過去最多
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=6176879
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