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2020年07月25日01:42

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主体的に生きる

マイルド・ヤンキーの先輩が言っていたことがある。

「”おまえは将来をあれこれこうすればこうなる”と考えてしまうが、そんな設計どおりにはいかない。どんな結果が来ようが、そこで考え自分で決めていかなければいけない」

「他人に流されるな。受動的になるな。たとえ戦場で死ななきゃいけない時であれ、殺されるのを待っているのではなく、自分から突撃しろ」

「道が開けるかどうかは分からない。でも自分の意思で主体的に生きるってことが大事」

本当に先輩の言う通りだと思う。


私は人から嫌われたくない。他人に責任を転嫁したい。自分で決めて失敗したくない。

それらの感情から、受動的に生きて来た。

仕事はつまらないが、働かないと食っていけないので働く。

死ぬのは怖いので死なないで生きている。

女をふると後ろめたいので女に愛想つかされるようにする。

疲れる人だけど友人だから縁が切れない。


いや違う。

お金が欲しいから仕事をする。

死にたくないから死なない。

俺が愛想をつかしたからその女をふる。

友人だけど疲れる人なので縁を切る。


そうやって一つ一つ主体的な言葉に替えていくと、生き方全般が変わってくる。

いくら原因を解明しても望む結果が得られるとは限らない。

どんな結果になろうとも、他人に流されるのではなく自分が決めて人生を歩む。

これ本当、大事なこと。

実際、結果より主体的に決めることが大事なんだよね。


平家物語には木曽義仲の最期がある。

勝敗は武家の常。勝つときもあれば負ける時もある。

昔の武士は勝っても負けても、結果はどうあれ、

かっこいい自分であろうとした。

結果は左右できない。でもどんな時もかっこいい自分でいられる。

かっこいい自分が後世に語り継がれれば、武士としては勝ちである。

敗者の木曽義仲が1000年たった今でも人を感動させるのはすごいことだ。


人の行動の多くは、本当は本人が決めているのではなく、状況から選ばされている。

でもそれをあえて自分から行動することに意味がある。

戦場では自分が出て行こうが行かまいが敵が来る。

こちらから出て行こうが、塹壕にこもっていようが、命をかけて戦う選択しかできない。

でもそこで、あえて「俺は戦う」と決め、塹壕から飛び出し敵陣に切り込む。

これはマイルド・ヤンキーの生き方だけど、今後は私もそんな生き方をしたい。


主体的に生きなければ、嫌なことつらいことばかり起こる。

世間は主体的に戦おうとしない者に対し最低のモノで応える。

私の今までの不幸を思う時、そのことがつくづく悔やまれる。
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