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2020年07月20日01:37

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仏教の悟り

飲茶(ヤムチャ)さんが書いた「最強の哲学入門」を読んで、仏教最大の法典、法華経が、自画自賛ばかりで肝心の教えが書かれていない理由が分かった。

仏教は体感する教えだから文字で書き記すことができない。

仏典は悟りの内容を書いたものではなく、悟りを得たらどんなに素晴らしいかを書き、読む人に悟ろうという気を起こさせることを目的に書かれている。

だから「知ればすごい」を繰り返すだけで、肝心の「何を知ればすごいのか?」は書くことができない。


仏教ではこんなことを言っている。

人は何かされると脳内物質を出し、その物質によって幸福とか不幸とか感じる。

そこには感じる自分はいるが、その幸福や不幸は伝達されてきた物質にすぎない。

その情報を外から眺めることができれば、この世の幸福も不幸も存在せず、

また何物も自分自身を傷つけることができず、また自分自身はそれらの物質(幸不幸を感じさせるもの)とは、独立して存在する。

このことを体感することが悟りであり、それを体感すれば、この世の苦悩から解放される。


仏教ではこの世は苦しみの世界とされ、

輪廻転生によって、生まれては死に苦しみを受け続ける。

なぜ苦しみを受けるこの世界に生まれてしまうのか?

それは快楽や苦痛に執着するから。

なぜ執着するのか?

それらが自分自身だと勘違いしているから。

この勘違いに気づくことで、輪廻の輪から抜け出し、肉体のない、意識だけの平穏な世界、至福の世界で生きることができる。


ようやく仏教の真髄を知識としては知った。

でも知識としてあるのは、まだ知ったことにはならない。

その幽体離脱して外から自分を眺めることができた時、初めて知る。

仏教の目指すところはそこであり、そのために修業をする。


しかしある人曰く「仏教の悟りは痴呆」らしい。

つまり脳が物事を正しく受け止めることができない体験。それが悟り。


実際、私も、この話を聞いて、確かに仏教の悟りは痴呆症ではないかと考えてしまった。

しかし人が感じる幸不幸を脳内の活動と見抜いたことはすごい。

どんな不幸に対しても、脳内のウツ物質の発生を抑えれば、幸福でいられる。


なぜ人が麻薬に手を出すのか?

それは麻薬こそ、人間の脳内で幸福と不幸を感じさせる脳内物質だから。

どんな状況であれ、麻薬を入れれば、人は幸福になってしまう。

たとえ飢えて死のうが、笑顔で笑いながら死んでいく。


仏教では自分の意思で心と脳を離し、脳内に快楽物質が出ようが、ウツ物質が出ようが、それに影響されず、常に平静な心でいられると言う。

でも私は、それに成功した人を見たことがない。

心と脳は一体であり、心で脳はコントロールできない。ただ麻薬などの物質を摂取することで脳をコントロールすることはできる。

麻薬中毒患者のように脳内を快楽物質(麻薬)で満たし、不感症にしてしまえば、本人は幸福感で満たされるが、外から見れば廃人になる。

また脳は誤作動もよく起こす。それがウツというやつだ。


禅とは、突飛な刺激により、この心と脳を離す体験をすることらしいのだが、

実際は、そんなことはできず、昔の修業僧は大麻、香などの麻薬によって悟り体験をしていたのではないかと思う。

また、もしそんなことができてしまった時は、それこそ痴呆である。


私は心を脳から離す体験ができるとは思えない。

ウツになった時は、無理せず抗ウツ剤を飲むことにしたい。
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