”過去の出来事をデータから分析し何が原因か考え、それを元に将来を予測する”
これは悪いクセである。
一度起こったことが二度起こるとは限らず、物事の結果は神様や悪魔が決めており、人間はただ彼らの手の上で踊らされているにすぎない。
”現在の行動で未来が決まる”
これは近代以降、科学の時代になって最も流行った信仰だ。
科学雑誌、経済雑誌、新聞などなど、すべて「現在の行動で未来が決まる」という迷信を元に書かれている。
だからこの誤った知識をいかに排除するかが、今を生きる私たちには求められる。
よい大学に行ってよいところに就職し人生ハッピーなどと夢想し、今を犠牲につまらない勉強を耐え忍ぶなど愚かなことだ。
どうなるか分からない将来など、今、楽しむ楽しみをがまんするだけの価値はない。
将来楽しむためって?将来は神様と悪魔が決める。我々の今の選択の結果ではない。
今、楽しみをがまんし苦しんだからといって、将来、今がまんした楽しみより多くの楽しみが得られるかどうかは分からない。
今、目の前に楽しみがあるのに、今、楽しまないでどうするの?
DQNは聡明である。
科学的な分析は方便だ。
よい結果だった時は、結果を過大に評価し「私の行動のおかげでよい結果になった」と言い「これは今後も繰り返される必然的な結果だ」と言う。
悪い結果だった時は、結果をできるだけ小さく見せ「特殊な不幸が重なったから」と説明し「特殊な不幸はめったに起こることではない」と言って相手を安心させる。
その手段が科学的な分析であり、それは真実を追求するために行われるものではない。
科学的な分析は古代ギリシャの弁論術から出てきた。
弁論術とは、大衆を言いくるめ自分の意見を通すための手段。
それが科学的な分析の本質である。
今の人は「科学的な分析は真実の探求」と固く信じている。
まさか「他人を言いくるめるための手段」などとは思わない。
科学の本質を知りたければ、株式アナリスト(相場師)の話を聞けばよく分かる。
ただの一度も当たったことのない相場予測を、毎回「今回は確かにこうなる」と言い、わけもわからない数字を出しては人々を言いくるめている。
実際はギャンブルにすぎないのに。
他人へは科学的な分析で納得を引き出すことも必要だが、自分に対しては、科学的な分析はやめ、ただ神様にゆだねる。
科学的な分析をしてしまうのは悪いクセ。私はこのクセをなんとか治したい。
DQNの物事を考えない賢さがうらやましい。
明治大学『志願したい大学』で4年ぶり1位に 関西圏は関西大学が13年連続1位
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=6159867
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