私は不幸な人生を歩んできたのだが、
なぜそれほど不幸だったのだろうかと考えた時、
「私は自分ではないものにあこがれ、自分のことを嫌う人に焦点をあててきたからだ」
と気づいた。
つらいことを言われるたびに「何か自分が間違っているのではないか?」と悩み、
人から嫌われると、その人に嫌われたことで心を痛めた。
本来大切にすべき「自分の気持ち」ではなく「他人の気持ち」を考え、
それで消耗してしまっていた。
人は十人十色だし、だいたい自分にケチをつけるのは、自分に好意を持っている人ではなく、好意を持っていない人。
欠点があっても、それが許せるのが「好き」であり、
欠点が許せないのは「嫌い」なのである。
「他人の言うことは聞かないといけない」と言う人もいるが、
愛情のない叱責は、自分に気づきを与えてくれるものであっても、心にとっては毒である。
そんな毒をストレートで飲んでいれば、心が壊れてしまう。
自分のことを嫌う人とはそれなりに距離を保ち、彼の言うことは真に受けない方がよい。
「この人は俺のこと嫌いだな」そう思えばそくさと距離をとる。
たったそれだけのことで、不幸な人生が幸福な人生になる。
本来、こういうことは親が子に教えるべきこと。
でも親自身、ありのままの子供を受け入れられず、欠点をあげては「こうあって欲しい」「あああって欲しい」と文句ばかりつける。
だから子供も他人から言われたことを真に受けるようになる。
もし子供の将来を思うなら「自分を嫌う人の言葉は真に受けず、そういう人から離れること」を教える方が、勉強の強要よりはるかにためになる。
でも世の親の大半は「子供のため」とは言いながら、そんな些細なことすら労を惜しむ。
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