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2020年07月07日23:20

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人間の脳の構造

前回、前々回と人と人とのいざかいの話を書いた。

これを読んでこんな風に考える人はいないだろうか?

「俺は”嗜好は人それぞれ”と考えているから他人を変えようとしない」

「俺は被害者になることはあっても加害者にはならない」

いえいえ誰もが被害者にもなり加害者にもなっています。

私も、他人に対し怒りを発した後で、理性的になり反省することがしばしばある。

私を苦しめた人たちも、自分は正義の実践をしていると考えており、まさか自分の脳とは構造が違う他人の脳にケチをつけているとは思ってもいない。


人間の脳は、他人と接する時、脳内アルゴリズムで感情的に対処するようにできている。

イライラする感情に理屈はない。相手にイラつくのは自分と彼が似ていないから。

似ていないから相手の行動が理解できないし、イライラする。

イライラするとストレスがたまり、

ストレスがたまると頭の中には自分の怒りを正当化する論理が形成されてしまう。

そして「ここで言わなきゃいけない」と義憤にかられ言ってしまう。


人は自分が思っているほど自分の心をコントロールできない。

熱いものをさわれば無意識のうちに手がひくように、人間の脳にもコンピュータにおけるプログラムのようなアルゴリズムが実装されている。

Aをされれば→Bになる Bが10回たまれば→Cの行動を起こす。

Cの行動を回避するためには「Aをされる機会を減らし、Bを10回以内に抑え、Cの行動に移らないようにする」しかない。

コンピュータがプログラムとは違う行動がとれないように、人間も脳内アルゴリズムとは違う行動がとれない。

環境は変えられるが、アルゴリズムは変えられない。

だから子供はCの行動(他者とのいざかい)を防ぐため、Aが起こりにくい人(自分に似た人・気の合う人)と一緒にいたがる。それは賢い方法だ。

人づきあいは難しい。

べったりつきあえる相手は「この人と交際したい」と意図的に選ぶことはできない。

自分が選択する前に、自分の脳が仲良くなれる人を決めてしまっている。


マタイの福音書の18章にこんな言葉がある。

そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか」

イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います」


神は人間を知りつくしている。

人間の脳は罪を犯すようにできている。

ただ脳の違いにより犯す罪に違いがあり、人は自分の脳が犯す罪は気にしないが、自分の脳が犯さない罪は気になる。

相手に変わることを期待しても、それは無理な話。しゃくにさわるが赦すしかない。
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