あまり知られていないことだが、今の言語は昔の言語を簡易にしたものである。
イタリア語はラテン語の簡易版だし、ヒンドゥー語はサンスクリット語の簡易版。
古代の言語は現在の言語よりはるかに複雑であり物事を深く考えるのに適していた。
ただそれだと頭があまりよくない人は使いこなせない。
そこでこれら古典語を簡単にして普及させたのが現在の言語である。
新約聖書を原典で読んでみたいと思い、古典ギリシャ語を調べてみたら、これが英語よりかなり難しいことに驚かされた。
古典語、実用性がないだけでなく、現在語より複雑で覚えることも多い。
でも、それは我々が簡易な言葉に慣れているためであり、簡易な言葉で生活しているため失ってしまった精神文化も大きいと思う。
言語を簡略化することで言語習得の労力を減らし情報伝達としての利便性は増した。
一方、心の中の細かい思想を外部に表現できなり、また自分の中でも深く考えることができなくなってしまった。
確かにそうだよな。精神文化という面では明らかに人間は退化してしまっている。
実利はないが、やはり古典ギリシャ語を勉強してみたいと思う。
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