なぜあの人はあんなことをしてしまうのか?
なぜ不幸な人生を歩んでしまうのか?
そんなことをしてしまうのは、その人が幸福になれる人生の正解を知らないから。
いろいろなウソに惑わされ、それで結局、不幸になってしまう。
正解は隠されていない。いたるところに転がっている。
幸福になる人は、その正解を一つ一つ拾い上げ、そして幸福になる。
不幸になる人は、まわりに正解が転がっていても、正解が見えない。
神様が彼の目には正解が映らないようにしてしまったかのようだ。
「彼らは見ても見ず。聞いても悟らない。そのかたくなな心のゆえである」
この言葉は聖書の一節だが、
ある程度人生経験を積むと、この言葉がしみじみと感じられる。
不幸な家庭で育っても幸福になれる人もいれば、
幸福な家庭で育ったにもかかわらず不幸になる人もいる。
不幸な家庭であっても、まわりには幸福になれる正解が転がっている。
同じ環境で育った兄弟であっても、それが見える人と見えない人がいる。
柔軟な心で正解を受け入れる人と、かたくなな心で正解を拒絶する人がいる。
これは本人の責任ではなく、
最初から、見える人には見えるが、見えない人には見えない。
人は幸福な人生を与えられたら、それを楽しみ。
不幸な人生を与えられたら、それを苦しむ。
救われるか救われないかは神様の選びによる。
人は神様に幸福を祈りつつ、現状を受け入れるしかない。
不幸はあえげばあえぐほど、より心はかたくなになり正解が見えなくなる。
ある時、ふと正解が目に映り、人生が好転することはしばしばみられる。
かたくなな心が解けたのはあなたの努力によるものではない。
それは神様のお情けである。
いろいろな人の人生を見ていると、そんなことを感じる。
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