「死ねば無になる」のか?「死ねば天国または地獄へ行く」のか?
本当は誰も知らない。
でも「死ねば無になる」と言った方が、科学的かつ真実らしく聞こえる。
それは「人間は物事を悪く考えた方が真実だと感じる生き物」だから。
物事を悪く考え発言した方が、大人の態度として多くのフォロワーを集めることができる。
だから「死ねば無になる」のだ。
情報は何が正しいか分からない。
注目されているからそれが真実とは限らない。
「根拠はある」といっても、それはその事の一面を表しているにすぎない。
さらにやっかいなのは、よい方向に考えるより、悪い方向に考える方が、より真実らしく聞こえてしまうこと。
よい方向に考えることは愚かに思え、悪い方向に考えることが正しいと感じる。
今日、電車に乗っていたら、突然、電車が急停車し、けたたましいアラームが鳴り響き、アナウンスが流れた。
「人が線路内に侵入したため、急停車しました」
幸い、線路内に侵入した人は、電車に飛び込むのを思いとどまったらしく、電車と接触はしなかったらしい。
それでも救急車とレスキューが急行し、警察官が停車した電車の傍らを過ぎていった。
私もこんな経験は初めてだ。
その後、車両周辺の点検があり、45分ほど遅れて再発進となった。
その事故に遭遇したのはちょうど昼時だった。
空は澄み渡り、冬の日差しが明るい。
そんなすがすがしい空の下、
教会の礼拝に出席し、美術館の絵画を眺め、日曜日をリフレッシュしていたのだが、
この事故から後はどうも気分がすぐれなかった。
線路内に進入した人が自殺を思いとどまってくれたのは、
本人にとっても私たち乗客にとってもとてもよいことだった。
でもいったい、その人はどんな気持ちで電車に飛び込もうとしたのだろうか?
もしかしたら、その人は「物事は悪く考えた方が正しい」と思い込み、電車に飛び込む一歩手前までいってしまったのかもしれない。
ちょうど昨日「今すぐソーシャルメディアのアカウントを削除するべき10の理由」(ジャロン・ラニアー著)という本を読み終えた。
今から10年ほど前、秋葉原で無差別殺傷事件を起こした犯人は、人間関係をソーシャルメディアに頼り、その中で「暴走する自分を誰も止めてくれなかった」ことで精神的に錯乱し、大勢の人を殺傷してしまった。
人はただでさえ悪い方向に考えることが正しいと思いがち。
それを助長させるソーシャルメディアは、確かに利用しない方が健全な精神を保てる。
人から離れ、ソーシャルメディアの世界に閉じこもると、心がどんどん醜くなる。
新聞などお金を払って購入する情報源(悪い考えをフィルターで落とした情報)と人と人との昔ながらの顔を合わせた交際が大切な理由はそこにある。
人間には「物事を悪く考えた方が正しい」と思う癖がある。
だからちょっと能天気なぐらいが、物事を正しく見ている状態なのかもしれない。
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