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2019年12月23日23:25

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聖典の必要性

神社は神主、寺は坊主、教会は牧師と、それぞれ聖職者が説法をしているのだが、どれも話す内容は似たり寄ったり、道徳論みたいな話である。

またテレビをつけても映画をみても、漫画を読んでも、そこで感動はするものの、おおよそ似たり寄ったりの内容。

なぜならそれらの説法やエンターテイメントは人間の感情が心地よくなるように構成されているのであり、それらが真実とは限らない。

そんな時、聖書を開いてみれば、牧師が語る内容とはかけ離れた話が書かれており、いかに牧師がいい加減なことを言っているのかよく分かる。

もし聖書がなければ、牧師の説く綺麗事をそのまま信じ、この競争社会で右のほほを打たれたら左のほほを差し出し、ぼこぼこに殴られすべてを奪われてしまう。

「右のほほを打たれたら左のほほを差し出せ」と言っているイエスが、また他の個所では「もし今、剣がないなら、持ち物を売ってでも剣を買い求めなさい」とも言っている。

しかし牧師は前者の話はするが、後者の話はしない。

結局、説教台から話されるのは、今、この時代にとって、人々の受けがよい個所だけであり、全体ではない。

だから宗教には聖典が必要であり、また聖典がない宗教は、今の時代、人々の受けねらいで適当なことを言っているエンターテイメントにすぎない。

そんなエンターテイメントを信じて生きていけば、人生ドツボにはまってしまう。

私たちが心地よく感じる道徳やら常識は、結局、今の時代の気分でしかない。
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