mixiユーザー(id:67474720)

2020年05月30日10:47

11 view

幼年期の終わり

 おはようございます。SANTABUNNYです。

 今朝もラジオ配信をしましたので聞いてください。今日は、画材とかツールについてお話ししております。

「画材・ツール」 SANTABUNNYのクリエイティブライフ | stand.fm
https://stand.fm/episodes/5ed17d3100ec6ed5be3b0e9d

 また昨日のノートの記事を、ボイスブログとして、YouTubeにアップにしました。前の記事に貼り付けていますので、「ながら聴き」していただけると良いかな〜と思います。チャンネル登録者が既に2人もいる。。ありがとうございます。びっくり!

 ラジオでもお話ししましたが、昨日でnoteを1ヶ月更新し続けることができました(パチパチ)。いつもありがとうございます。なんとか毎日更新して行けるようにして行きたいですね。

 で、今日のnoteは、さっきからずっと考えているのですが、全然思い浮かばない。。。ネタがない。。。どうしよう。。。今週は月末と言うのもあって、結構バタバタしていたので、昨日はくたくたになって寝落ちしてました。

 うん。

 今日は雑談にしましょう!

 ぱっと思いついたのが、僕の幼年期の話ですね。僕は大阪の八尾の片田舎の町で生まれ育ち、小学校3年生まで、そこにいました。ちょうど昭和と平成の間。その当時がよぎったので、その頃の話を、思いついた順に記録していこうかなと思います。

 ちなみに一番古い記憶は、2歳位で公団の8階の和室で、文字を書いていたのが最初です。昭和の赤いレンガ張りの団地でした。窓を開けると、住宅街が広がって、ベランダの下には桜並木がある幅がそんなに広くはないんですけどもバス通りがあって、いわゆる田舎でした。小さな工場があって、商店街も小さくてですね、夏になるとスーパーの駐車場で縁日みたいのがあって、金魚すくいをした記憶があります。


 近所のゴム工場で祖母が働いたのを、迎えに行った記憶が遠くにあります。ちなみに同じ団地で祖母と祖父が違うフロアで住んでいて猫が2匹いました。

 自宅には赤いブラウン管のテレビがあって、グリーンの据え置きタイプの大きなクーラーが1台。父がまだ免許をギリ持っていたので、よく飛ばしてました。


 3歳になると幼稚園へスクールバスで隣町まで向かいます。毎日よく泣く、面倒な引きこもりの子供でした。スポーツが全く得意ではなく、ずっと室内で窓からじっと見てるタイプでした。その頃から図画工作の時間がすごく好きで、粘土の授業とかも楽しくやってました。お弁当はおアルミのお弁当で、冬は朝一番に、クラスにある保温器に入れてみたいなやつに入れて、あっためるんです。

 絵で町の公募で賞を取った記憶があります。(多分図工の先生が出したのでしょう)

 夏は父に弟とプールに連れて行ってもらった記憶があります。「ひやしあめ」って言う飲み物があるんですけど、生姜の味がする甘い飲み物で、美味しいんですけど、飲む人選ぶ味でした。僕は結構好きで飲んでましたが。

 本当に目立たなかった少年でした。小学校に上がると、近くの借家に引っ越すんですが、スイミングスクールに週一回通い、書道教室にも一時期週一回通っていました。水泳は強制的に通わされ、バスでプレッシャーと共に、車酔いをするという。スクールバスの匂いがダメなんですね。それに対して、書道は自分から積極的にやりたいと行って、通いました。とても楽しかったですね。今より確実に字は丁寧でした。白髪のロングヘアの先生で、ご夫婦でやられてましたね。一昨年の末にちょっとその辺を、散策してきましたが、時が止まってしまったというか、人がいなくなっちゃって、閑散としていましたが、空気がきれいで奈良の生駒山の山脈がきれいに見えて、空気も良く、過ごしやすいところでした。インターネットだけで、遠隔だけで仕事ができるとかそんな夢みたいな話があれば、住んでみてもいいかなぁ〜と思ったりしますが、なかなかそうはいかないですね。。戻ってみたいなあと思うことも多々あります。というくらい居心地がいい(物騒ではあるけど)。

 小学校に上がると、近所の子たちと友達になり始めるというか、友達がいるのが楽しいとお思い始めました。幼稚園の頃はなかなか自分からは声でかけるタイプではなかったです。だから、ドッチボールの時間とかすごい大変でした。なんであんな痛い思いをして、球を投げあってるんだろうって、不思議に窓から見てました。跳び箱で頭から打って、記憶が飛んだ、なんてこともありました。(現世に戻ったら、側溝でゲーしてる笑)

 その当時は電車がすごい好きで、祖母に連れて行ってもらい、窓に張り付いていました。レールが結合するところのブレで車両が一瞬揺れるんですが、大人になってもそこで、「ハッ」って思い出しました。感覚を。

 あと、最寄りから一駅ずつ行名前を覚えていって、プラレールみたいなもので遊んでいました。窓のサッシのところで1個ずつ駅名を書いた紙を並べたりなんかして。

 たまに広島から父の母が遊びに来て遊んでくれました。すごいタフな方で、町の運動会とかも一緒に出た記憶があります。結構お土産を毎回持ってきてくれて、喜んだ記憶があります。

 その近所に住んでた女の子と仲良くて、その後父の転勤で突然引っ越すことになるんですが、結構ショックでしたね。良い人間関係が終わるというのは。向こうも僕のことを想ってくれていたので、ふと今はどうしてるんだろうとか、思い出したりすることもあるんですね。


 担当の先生もすごいユニークな人で優しい方でしたね。先生としてはNo.1かなあ。毎日帰りの会でギターを片手に、森山良子さんの「今日の日はさようなら」を歌う先生でした。勉強ができて、優しい、足も速いし、面白い。こういう大人になりたいなあ、と子供ながらに思ってました。僕が転校になる夏休みに、先生はわざわざスクーターで自宅まで来てくれて、漢字の宿題ノートにはなまるをつけて、金賞のシールを2〜3枚つけてくれました。そう、先生の机の引き出しにはたっくさんのシールが、入っていました。僕は眼をキラキラさせていました。

 僕にとっては一番バランスの良い。満たされた、幸せな時間というか、帰りたい場所です。

 過去を振り返るときはまず、その時代に立ち止まります。

 今日はこんな感じで、故郷をテーマに雑談をしてしまいました。
 最後まで読んでくれてありがとうございます。
 ま〜た〜会う〜日まで〜♪

(引用元:https://note.com/santabunny/n/n1f302ccfbb70
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを投稿する

2020年05月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

過去の日記

2020年