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2019年12月15日03:45

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母の死。

 11月9日の深夜、私の母が亡くなった。享年78歳。医師によれば肺の機能の寿命とのことで、トリガを考えれば非結核性細菌云々と辿ることはできるけれども、解釈としては肺の病は年齢とともに非可逆的に進行するもので、寿命と捉えた方が自然だと言われた。


 実は今、私は苦しんでいる。悲しみがおさまらない。後悔の思い。母は1年近くに及ぶ入院生活。日に日に弱っていく姿を見ていて死の覚悟はできていた。そのつもりであった。危篤から臨終、通夜、火葬まで、別れの悲しみは湧くものの、母の緩やかな死は様々な思い出とともにまた日常に戻る。戻らなければならない。すべてはすぐに受け入れられるものだと思っていた。


 ところが、12日火葬が終わり、お骨を自宅に持ち帰り、居間で父と妹とで、母の写真の整理を始めた時だった。父と夫婦で信州の観光地で撮った2015年あたりの写真に映る母の元気な姿を見た途端、愕然と激しい後悔に襲われてしまった。1年にもなる入院でやせ細り、表情の動きもあまりなくなった母を長いこと見てきたせいで、元気な頃の母がこんなにまで生き生きとしていたことが蘇り、残酷なまでの再認識を強いられた思いだ。実直で真面目な母は直立でうっすらな微笑みのカメラ目線で豊かな表情を見せている。ああ、なぜこの時に戻ることができないのだろう。またこの時に戻りたい、元気な母に再び会いたい。どうすればいいか。

 私は、なんとか早く立ち直るために、様々な本を購入したり、図書館から借りたりして、毎日読みまくっている。老いや死にまつわる科学の本、スピリチュアルな本、特に、矢作直樹先生の『人は死なない』を何度も読み返している。母の死が、自分にとって納得がいくように。
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