は、朝から何か特別な気持ちだった。
というのも翌日は九州新幹線が鹿児島まで開通する日だったから。
その当時の職場は博多駅前の大博通りにあるビルにあって、正午過ぎに明日の式典に花を添えるブルーインパルスのデモンストレーションの訓練飛行がこの通りの真上で行われる、昼食を掻き込んで職場の人たちと屋上へ。周りのビルの屋上はどこもブルーインパルス見物の人でいっぱいだった。
初めて観るその凄い技術に感動することしきり。
その日の空は眩しいくらい青く澄んでいた。
午後の仕事が始まりしばらくすると、地震の一報が。
翌日の開業式典は中止になり、それに伴う残業
その後友だちと約束していた居酒屋へ。
帰宅してテレビの画面に釘付けになった。
友だちと楽しく過ごしていた時間 ニュースを見てなかったとはいえ、こんな状況になっていたとは。
状況を知らなかったとはいえ、苦い思いが残った。
翌日、前から予約してた那珂川市の丘の上のレストランで、
今日は、お客様いないねってのんきに飲んでいました、友人と。
主人は、メルトダウンだと言ってましたが。
福岡市は浮かれてましたよね。
翌日からは、涙なくしてはテレビを見れませんでした。
そんなに辛いならテレビを見るなと主人に言われました。
東北復興なしでは、日本は前に進めません。
未だに風評被害で苦しんでいる方達もいます。
亡くなった皆さんに黙祷。
オリーブさんとは反対に涙も出ませんでした。
こんなことが現実に ・・・と
その数日前別の課の人から、「東北行ったこと無いの?リアス式海岸は綺麗で、魚も美味しい。ぜひ、行ってみて」と
その方は石巻辺りの出身でした。
津波で家族を失って呆然とする姿や、5才くらいの男の子とか切なかったです。
震災直後の映像は唖然とするばかりでしたが、日が経つに連れて、やるせなさでいっぱいに。
人はあまりのことを見聞きするとすぐには涙も出ないものだと実感しました。