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2020年06月18日12:00

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●雅(みやび)●をかし●滑稽(こっけい)●風情(ふぜい)

●雅(みやび)●をかし●滑稽(こっけい)●風情(ふぜい)
★雅(みやび、まさ〔名乗り〕)
https://ja.wikipedia.org/wiki/雅_(曖昧さ回避)
上品で優雅なこと。宮廷風・都会風であること。風采の立派なこと。
元は地方風・田舎風を意味する「鄙び」の対義語として用いられた。
動詞形は「みやぶ」。本居宣長は「もののあはれ」を知る上での基礎概念として「みやび」を重要視した。
人名など - 女性に対しては「みやび」と訓読みで、
男性に対しては「まさ」と音読みで、それぞれ命名される場合が比較的多い。
・雅(が)
詩経の六義の一つ。⇒詩経#構成
   https://ja.wikipedia.org/wiki/詩経#構成
構成
その構成は、
1.各地の民謡を集めた「風(ふう)」すなわち国風(160篇)
2.貴族や朝廷の公事・宴席などで奏した音楽の歌詞である「雅(が)」(小雅74篇、大雅31篇)
3.朝廷の祭祀に用いた廟歌の歌詞である「頌(しょう)」(40篇)
の3つに大別される。

★が【雅】 の解説
[名・形動]みやびやかなこと。奥ゆかしいこと。また、そのさま。風流。
「馬が尿 (いばり) するのをさえ―な事と見立てて」〈漱石・草枕〉
[名]「詩経」の六義 (りくぎ) の一。周王朝の儀式や宴席でうたわれた詩歌。大雅・小雅に分かれる。

★雅(みやび)  https://ja.wikipedia.org/wiki/
雅(みやび)は日本の伝統的な美的理念の1つである。ただし、その観念はいきやわび・さびほど普及していない。現代日本語ではこの言葉は通常「優雅さ」、「洗練された」または「礼儀正しさ」として、時には「甘く愛する人」と解釈される。

★頌(しょう、じゅ):https://ja.wikipedia.org/wiki/
・『詩経』の分類である「風・雅・頌」のひとつ。詩経#構成を参照。
・賛歌。
・仏典の韻文。「じゅ」と読む。またはシュローカの1詩節にあたる32音節をいい、仏典の長さを示すのに用いる。『八千頌般若経』、『二万五千頌般若経』、『十万頌般若経』など。偈、伽陀、シュローカを参照。

★詩経(しきょう、拼音: Shī Jīng ) https://ja.wikipedia.org/wiki/詩経
『詩経』(しきょう、拼音: Shī Jīng)は、中国最古の詩篇である。古くは単に「詩」と呼ばれ、また周代に作られたため「周詩」とも呼ばれる。儒教の基本経典・五経あるいは十三経の一。漢詩の祖型。古くから経典化されたが、内容・形式ともに文学作品(韻文)と見なしうる。もともと舞踊や楽曲を伴う歌謡であったと言われる。

★しょう〖頌〗 ショウ・ジュ・ほめる
1.人の美徳をほめたたえて詩歌にする。功徳をほめる。ほめことば。「頌歌・頌辞・頌徳・頌美」。たたえて祝う。
「頌春」
2.《名》詩経にいう詩のスタイルのうち、人君の盛徳をほめて神に告げる祭りの詩。
「風雅頌・周頌・商頌」
3.仏の功徳をほめたたえる詩。じゅ。げ(偈)。
「偈頌(げじゅ)」
・じゅ【頌】
げ(偈).

★もののあはれ(もののあわれ、物の哀れ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/もののあはれ
もののあはれ(もののあわれ、物の哀れ)
平安時代の王朝文学を知る上で重要な文学的・美的理念の一つ。
折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁である。
苦悩にみちた王朝女性の心から生まれた生活理想であり、美的理念であるとされている。
日本文化においての美意識、価値観に影響を与えた思想である。
・「もののあはれ」の発見
「もののあはれ」は、江戸時代後期の国学者本居宣長が、著作『紫文要領』や『源氏物語玉の小櫛』などにおいて提唱し、その頂点が『源氏物語』であると規定した[2]。江戸時代には、幕府の保護、奨励した儒教思想に少なからず影響を受けた「勧善懲悪」の概念が浸透し、過去の平安時代の文学に対しても、その儒教的概念や政治理念を前提にして評価され、語られた時期があったが、この本居宣長の「もののあはれ」の発見はそういった介入を否定し、文学作品の芸術的自律性という新しい視点を生み出した。

★無常(むじょう、Skt:anitya) https://ja.wikipedia.org/wiki/無常
無常(むじょう、巴: anicca, アニッチャ、梵: anitya, アニトヤ)とは、仏教における中核教義の一つであり、三相のひとつ。生滅変化してうつりかわり、しばらくも同じ状態に留まらないこと。非常ともいう。
あらゆるもの(有為法)が無常であることを諸行無常といい、三法印の1つに数える。

★諸行無常(しょぎょうむじょう)https://ja.wikipedia.org/wiki/諸行無常
(sabbe-saMkhaaraa-aniccaa, सब्बे संखारा अफिच्चा)とは、仏教用語で、この世の現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。この場合、諸行とは一切のつくられたもの、有為法をいう。三法印、四法印のひとつ。

★いろは歌(いろはうた)  https://ja.wikipedia.org/wiki/
すべての仮名を重複させずに使って作られた誦文のこと。七五調の今様の形式となっている。のち、手習いの手本として広く受容され、近代にいたるまで用いられた。また、その仮名の配列は「いろは順」として中世から近世の辞書類や番号付け等に広く利用された。ここから「いろは」は初歩の初歩として、あるいは仮名を重複させないもの、すなわち仮名尽しの代名詞としての意味も持つ。
またその仮名の配列は字母表の「いろは順」として、中世から近世の辞書類や番号付け等に広く利用された。

★をかし     https://ja.wikipedia.org/wiki/をかし
日本文学(平安期の文学)上における美的理念の一つ。
語源は愚かな物を表す「をこ(痴、烏許、尾籠)」が変化した物という説が有力である。
・をかし意味
をかしの意味は5つ挙げられる。
,海辰韻い澄おかしい。変だ。
興味深い。心が引かれる。おもしろい。
趣がある。風情がある。
としい。優美だ。愛らしい。
イ垢阿譴討い襦8事だ。すばらしい。
・平安時代
平安時代の王朝文学において、「もののあはれ」と共に重要な文学的・美的理念の一つ。「もののあはれ」が「しみじみとした情緒美」を表すのに対し、「をかし」は「明朗で知性的な感覚美」と位置づけられる。
「をかし」は、景物を感覚的に捉え、主知的・客観的に表現する傾向を持ち、それゆえに鑑賞・批評の言葉として用いられる。この美的理念に基づき記されたのが『枕草子』である。そのため『源氏物語』を「もののあはれ」の文学と呼び、一方『枕草子』を「をかし」の文学と呼ぶ。しかしこの理念は『枕草子』以外の平安文学ではあまり用いられず、それゆえ「をかし」の文学理念は、『枕草子』固有になっている。
・室町時代
室町時代以降、「をかし」は滑稽味を帯びているという意味に変化した。世阿弥の能楽論では狂言の滑稽な様を「をかし」と呼び、これが江戸時代に滑稽本などに受け継がれて、現在の滑稽味のあるという意味の「おかしい」に至ったと思われる。この他、和歌などの評価に「をかし」を用いる場合が見られる。
 
★志方あきこ「をかし」【歌詞版】
493,543 回視聴 2018/09/05 https://youtu.be/vXZXhXuc-j4
yorusaki0215
チャンネル登録者数 752人
映像制作:夜崎いくや(yorusaki/Ching)
 
★もののあわれ
http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/kaisetsu/momnonoaware36.html
 歴史的仮名遣いでは「もののあはれ」と書く。
「もののあわれ」とは、『石上私淑言』で宣長は、歌における「あはれ」の用例をあげながら、「見る物聞く事なすわざにふれて情(ココロ)の深く感ずる事」を「あはれ」と言うのだと述べている。つまり、揺れ動く人の心を、物のあわれを知ると言うのだ。歌や物語もこの心の動きがもとになる。たとえば、宣長が高く評価した『源氏物語』も、「この物語、物の哀れを知るより外なし」と言っている。文学はそのような人間の本性に根ざしたものであり、そこに存在価値があるとした。
 これは、宣長が、和歌や『源氏物語』から見つけた平安時代の文学、また貴族の生活の底流を流れる美意識である。
 この「もののあわれ」と言う文学的概念の発見は、宣長に和歌の発生からその美的世界までの全局面を把握し説明することを可能にした。『安波礼弁』で、「歌道ハアハレノ一言ヨリ外ニ余義ナシ」と言い、歌の発生はここにあるとする。「もののあわれを知る心」という、人が事にふれて感動し、事の趣を深く感受する心の働きから歌が生まれること、そしてその感動を言葉にしてほかの人へも伝えたいという伝達の欲求から「よき歌」への関心もまた生じる事が説かれた。
> >『安波礼弁』
> >『石上私淑言』
> >『源氏物語玉の小櫛』
 
★烏滸(おこ)  https://ja.wikipedia.org/wiki/烏滸
馬鹿げていてあるいは滑稽で人の笑いを買う様な有様を指す。
記紀に「ヲコ」もしくは「ウコ」として登場し、「袁許」「于古」の字が当てられる。平安時代には「烏滸」「尾籠」「嗚呼」などの当て字が登場した。
平安時代には散楽、特に物真似や滑稽な仕草を含んだ歌舞やそれを演じる人を指すようになった。後に散楽は「猿楽」として寺社や民間に入り、その中でも多くの烏滸芸が演じられたことが、『新猿楽記』に描かれている。『今昔物語集』(巻28)や『古今著聞集』など、平安・鎌倉時代の説話集には烏滸話と呼ばれる滑稽譚が載せられている。また、嗚呼絵(おこえ)と呼ばれる絵画も盛んに描かれ、『鳥獣戯画』や『放屁合戦絵巻』がその代表的な作品である。
南北朝・室町時代に入ると、「気楽な、屈託のない、常軌を逸した、行儀の悪い、横柄な」(『日葡辞書』)など、より道化的な意味を強め、これに対して単なる愚鈍な者を「バカ(馬鹿)」と称するようになった。江戸時代になると、烏滸という言葉は用いられなくなり、馬鹿という言葉が広く用いられるようになった。
 
★滑稽(こっけい) https://ja.wikipedia.org/wiki/滑稽
中国古代の歴史書『史記』中の列伝の篇名として知られる用語であり、当時は、饒舌なさまを表した。後世、転じて笑いやユーモアと同義語として日本にも伝わり、滑稽本などを生んだ。
一説には、滑稽の語源は、酒器の一種の名であり、その器が止め処無く酒を注ぐ様が、滑稽な所作の、止め処無く言辞を吐く様と相通じるところから、冗長な言説、饒舌なさま、或いは智謀の尽きないさまを、滑稽と称するようになった、という(北魏の崔浩による『史記』等の注釈に見える)。
古代の『楚辞』、揚雄の『法言』や、『史記』に立伝される人物の滑稽は、全て弁舌鮮やかなさまを表しており、笑いの要素は含まれていない。但し、滑稽として取り上げられた人物の中には、優孟(ゆうもう)や優旃(ゆうせん)のような俳優が含まれていた。その、おどけた、ウィットに富んだ言動が、笑いやユーモアと通じるため、後世、笑いやユーモアに富んださまを、滑稽と表現するように転じたものと考えられている。

★もののまぎれ   https://ja.wikipedia.org/wiki/もののまぎれ
源氏物語に記された3つの事件で起こった事象を言い、中でも藤壺事件に伴う事象を言う。
源氏物語において重要な概念とされ、時に「主題である」とされることもある語である。
・藤壺事件
光源氏が義母である藤壺と密通し、その結果表向きには桐壺帝の子で
あるが実は光源氏の子である皇子が生まれ、その皇子が冷泉帝として即位し、
冷泉帝が自身の出生の秘密を知ったことにより実父である光源氏に
譲位しようとしたが叶わずその代わりに光源氏を太上天皇に准ずる待遇
(准太上天皇)にした。
・女三宮事件
柏木が光源氏の正妻である女三宮と密通し、
その結果表向きは光源氏の子であるが実は柏木の子である薫が生まれた。
・浮舟事件
浮舟が薫だと思って匂宮を迎え入れてしまった。

★勧善懲悪(かんぜんちょうあく)https://ja.wikipedia.org/wiki/勧善懲悪
「善を勧め、悪を懲しめる」ことを主題とする物語の類型の一つである。
勧懲(かんちょう)と略して使われることもある。
欧米圏の文学において「詩的正義」(英: Poetic justice)と呼ばれる類型と比較できる。
善を勧め、悪を戒める倫理規範や、因果応報を説く思想はさまざまな社会集団や宗教でみられるが、本項では物語の類型としての「勧善懲悪」を中心に扱う。
物語類型
善を勧め、悪を戒める倫理規範や、因果応報を説く思想はさまざまな社会集団や宗教でみられるが、本項では物語の類型としての「勧善懲悪」を中心に扱う。
勧善懲悪の文学様式は、時代劇や多くのハリウッド映画、スーパー戦隊シリーズに於けるシナリオにおける典型的パターンである。これは善玉(正義若しくは善人)と、悪玉(悪役・悪党・搾取する権力者など)が分かれており、最後には悪玉が善玉に打ち倒され、滅ぼされたり悔恨するという形で終結する。一般にはハッピーエンドとされる形で物語は終幕を迎えるパターンである。悪としてよく扱われるのが、一般に強大な権力を保持し、正義を好まない人物や組織である。対象は作品によって異なるが、その時代や特定勢力を風刺していたり、または架空に作り上げたりと行った場合が多い。
欧米圏の文学において「詩的正義」(英: Poetic justice)と呼ばれる類型と比較できる。

★因果(因果応報から転送)   https://ja.wikipedia.org/wiki/因果
因果(いんが、梵 hetu-phala)は、もとは仏教用語であった。
因果(いんが)は、原因と結果を意味する用語。
仏教用語として用いられる場合は業(カルマ)論と関連せしめられて
自己の境遇に関する因果関係として語られる。
時代の関係を考慮し、ヴェーダ、仏教の順で解説する。
因果は 転じて原因と結果のことを指すようになった。
ある事象を惹起させる直接的なもとと、それによってもたらされた事象。
一般には、事象Aが事象Bをひき起こすとき、AをBの原因といい、
BをAの結果という。
このとき、AとBの間には因果関係があるという。

★因果応報  https://ja.wikipedia.org/wiki/因果#因果応報
一切が、自らの原因によって生じた結果や報いであるとする考え方を、因果応報と呼ぶ。
「善い行いが幸福をもたらし、悪い行いが不幸をもたらす」といった考え方自体は、仏教に限ったものではなく、世界に広く見られる。ただし、仏教では、過去生や来世(未来生)で起きたこと、起きることも視野に入れつつこのような表現を用いているところに特徴がある。

★因果性(いんがせい、英: causality、コーザリティ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/因果性
2 つの出来事が原因と結果という関係で結びついていることや、あるいは結びついているかどうかを問題にした概念である。日本語では「因果関係」という表現も用いられる。

★『◆勧善懲悪(かんぜんちょうあく)』
「善行を勧め励まし、悪事を懲らしめること。」が意味になる。
言葉としての意味は凄く良い。
でも総てにこの意味を持たせた組織が出来たら怖いことになる。
イスラムには この言葉が現実に使われて取り締まる組織まであるという。
理念としては日本では江戸時代からが始まり。
現在の日本では
水戸黄門漫遊記にしろ、大岡越前にしろ、遠山金四郎にしろ、
悪党は、最初から決まっていてそれを主人公がやっつける。
こんな感じで扱われる事が多い。
現実は違うとある程度の年齢に達すると思い始める。
だから、今では、勧善懲悪は、少年少女の物語だと思われている。
これが今 国会ではほとんど無視で ある人へ習えで勝手仕放題。
これ以上 日本という国の基本ので完全に破壊されようとしている。
知らない事が余りにも多い。
今は 知る事 知らないことは悪である。
もっと積極的に知るのか背人の道である。
ほし

★●亡者(もうじゃ)【上方落語】など
★はてなキーワード > 亡者 (もうじゃ)
死者のこと。特に成仏する前の死者や地獄にいる死者を言う。仏教用語。
迷いがある者、欲や執念に取り憑かれた者のことも指す(→我利我利亡者)。
僧家で魚の隠語(広辞苑)。
ちなみに、猛者は「もさ」と読む。

★地獄八景亡者戯 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/地獄八景亡者戯
地獄八景亡者戯』(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)は、上方落語の演目の一つである。『八景』は「はっけい」ではなく、「ばっけい」と読まれる。江戸落語では『地獄めぐり(地獄巡り)』と呼ばれる。





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