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2020年01月18日09:03

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●これも日本の庶民文化だよ

◆これも日本の庶民文化
●梅は咲いたか(東山芸妓)
https://youtu.be/eWw2cZOC8Lw
●桃山晴衣の端唄/深川(三下がり)
https://youtu.be/hm8IuPkb0II
●三味線 酒呑めば
https://youtu.be/YrhPnxZ2qDo
●うめ吉 "山中節"
https://youtu.be/wJte07JpXGQ
●清元國惠太夫×清元延美雪 若菜摘
https://youtu.be/i4T4SnTBRys
●《日本舞踊》 清元 「お祭り」 坂東三津二郎」 2016/08/22
https://youtu.be/ATrnXBqXR5s
●坂東玉三郎 「藤娘」
https://youtu.be/sPgtX-ljHi4
●坂東玉三郎 「鷺娘」
https://youtu.be/geJbmqOL_Cs



●粋(いき)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/いき
◆いきとは、江戸における美意識(美的観念)のひとつであった。
江戸時代後期に、江戸深川の芸者についていったのがはじまりとされる。
身なりや振る舞いが洗練されていて、格好よいと感じられること。また、人情に通じていること、遊び方を知っていることなどの意味も含む。反対語は野暮である。

「いき」には、単純美への志向など、わび・さびなどの日本の美的観念と共通部分もある。
また、これまで海外ではわび・寂びが日本の美学の代表のように捉えられていることもある。
だが、無常などの宗教観念と関連するわび・寂びは難解とされ、日本人でも説明するのは簡単ではない。
また、現在の日本人の日常生活からは、わび・寂びはむしろ遠のきつつあるともいえる。これに比較して、「いき」は「さっぱり」「すっきり」などという形容が当てはまるように、より親しみやすく、意味は拡大されているが、現在でも広く日常的に使われる。

「いき」に対して「いなせ」という言葉がある。
「いき」は火消しのことで「いなせ」は魚屋の事だといわれている[要出典]。
「いきでいなせな」と続けて用いられることも多いが、必ずしも使用者が明確に使い分けているとは限らない。


◆ 九鬼による「いき」
九鬼周造『「いき」の構造』(1930)では、「いき」という江戸特有の美意識が初めて哲学的に考察された。九鬼周造は『「いき」の構造』において、いきを「他の言語に全く同義の語句が見られない」ことから日本独自の美意識として位置付けた。
外国語で意味が近いものに「coquetterie」「esprit」などを挙げたが、形式を抽象化することによって導き出される類似・共通点をもって文化の理解としてはならないとし、経験的具体的に意識できることをもっていきという文化を理解するべきであると唱えた。
また、同書中で九鬼周造はいきには必ず異性に対する「媚態」が根本にあり、異性間の緊張がつねに存在している状態がいきの構成要素である「つやっぽさ」や「色気」を作り出すとしている。

また別の面として、いきの要諦には江戸の人々の道徳的理想が色濃く反映されており、それは「いき」のうちの「意気地」に集約される。
いわゆるやせ我慢と反骨精神にそれが表れており、「宵越しの金を持たぬ」と言う気風と誇りが「いき」であるとされた。
九鬼周造はその著書において端的に「理想主義の生んだ『意気地』によって媚態が霊化されていることが『いき』の特色である。」と述べている。

九鬼の議論では、伝統的にはむしろ野暮の代表である侍を持ち出すことで「いき」が町人の文化であることを軽視している点、西洋哲学での理屈付けをしている点には批判もある。

◆ いきと粋
いきは粋と表記されることが多いが、これは明治になってからのことで、上方の美意識である「粋(すい)」とは区別しなければならない。
「いき」は「意気」とも表記される。
上方の「粋(すい)」が恋愛や装飾などにおいて突き詰めた末に結晶される文化様式(結果としての、心中や絢爛豪華な振袖の着物など)、字のごとく純粋の「粋(すい)」であるのに対し、江戸における「いき」とは突き詰めない、上記で解説した異性間での緊張を常に緊張としておくために、突き放さず突き詰めず、常に距離を接近せしめることによって生まれると言われる[要出典]。
『守貞謾稿』には、「京坂は男女ともに艶麗優美を専らとし、かねて粋を欲す。江戸は意気を専らとして美を次として、風姿自づから異あり。これを花に比するに艶麗は牡丹なり。優美は桜花なり。粋と意気は梅なり。
しかも京坂の粋は紅梅にして、江戸の意気は白梅に比して可ならん」と書かれている。

●九鬼周造 「いき」の構造 - 青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/cards/000065/files/393_1765.html
 序
 この書は雑誌『思想』第九十二号および第九十三号(昭和五年一月号および二月号)所載の論文に修補を加えたものである。
 生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。我々は「いき」という現象のあることを知っている。しからばこの現象はいかなる構造をもっているか。「いき」とは畢竟わが民族に独自な「生き」かたの一つではあるまいか。現実をありのままに把握することが、また、味得さるべき体験を論理的に言表することが、この書の追う課題である。

  昭和五年十月
著者

●『粋(すい)と粋(いき)と通(つう)』:粋人と通人の意味を考える。
http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/16fde21d9a7cd5d0336e06b0227ac1ea

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◆すい 【粋】
[1] 世の中や人情の機微に通じていること。特に、男女のことや遊里・芸人社会などに通じ、とりなしがさばけていて、言動などがあかぬけていること。また、そうしたさま。いき。
⇔無粋(ぶすい)
[1] 人情の機微を解さないこと。特に、男女間の情愛の微妙さがわからないこと。また、そのさま。
[2] 情緒のないこと。また、そのさま。
⇔野暮(やぼ)
[1] 世情に疎く、人情の機微を解さない・こと(さま)。そのような人をもいう。
[2] 洗練されていないこと。あか抜けていないこと。また、そのさまや人。
[3] 遊里の事情に疎い・こと(さま)。そのような人をもいう。


真心(まごころ)もあつき朋友(ともだち)の粋な意見に〔出典: 当世書生気質(逍遥)〕

[2] すぐれていること。また、そうしたもの。
[3] まじりけのないこと。また、そうしたもの。純粋。

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清元協会ホームページ
http://www.kiyomoto.org/f_history.htm
◆清元
1.歌舞伎の伴奏音楽−清元節
清元節(通常、単に清元と呼ばれます)とは、江戸時代後期(文化11年 1814年)に生まれた三味線の伴奏による豊後節系浄瑠璃の一つで、浄瑠璃の諸流派の中では最も新しいものです。
創始者は清元延寿太夫(初世、1777〜1825)で、初代富本斎宮太夫の門弟になり、二世富本斎宮太夫を襲名しました。その後富本節から独立して、文化5年豊後路清海太夫を名乗り、文化9年9月中村座にて再春菘種蒔(またくるはるすずなのたねまき)に出演しております。その後文化11年11月、市村座公演より清元延寿太夫を名乗り清元節を興しました。
清元は、主に歌舞伎の伴奏音楽として発展してきましたが、歌舞伎を離れた、純粋な観賞用音楽としての作品群もあります。




2.古典声楽の中の「語りもの」−浄瑠璃
清元は浄瑠璃の一つです。この「浄瑠璃」という言葉は、清元を理解する上で一つのキーワードなわけですが、その時代や人々、状況によって異なる使われ方をして、多義的で曖昧な単語ですから、少なからず説明が必要と思われます。
伝統的に古典声楽におきましては、その諸作品を「語りもの」と「唄もの」に大別しており、この「語りもの」を通称、浄瑠璃と呼んでいます。又、この浄瑠璃を語る人のことを、一般的に太夫と呼びます。
「語りもの」には、義太夫節、常磐津節、清元節、浪曲、等があり、「唄もの」には、地歌、長唄、小唄、等があります。
「語りもの」はその名のとおり本来的には、叙事的な、ストーリー性の強い歌詞を歌い、又、「唄もの」は叙情的な歌詞を歌うわけですが、実際は「語りもの」の中にも叙情的な部分があり、「唄もの」のなかにも叙事的な部分はあるわけで、音楽的にはこれは、程度の問題と言わざるをえません。
例えば、浄瑠璃(「語りもの」)の一つであった繁太夫節は、現在地唄に吸収されていたり、又、各浄瑠璃にしましても、当時のはやり唄を取り入れていたりと、両者の違いは、その歴史的な系統ということが、主な違いであります。
その為、演奏者の意識としては、「語りもの」では、旋律的な美しさの追求よりは、日本語の抑揚を活かし言葉を語るような感覚で歌う事が重要視され、又、「唄もの」では、この語る感覚よりは、旋律的な美しさを重要視する、という傾向にあると思われますが、これも個々の演奏者の解釈により差があり、更に、一つの流派の中でも、各作品によって違い、当然、一つの作品の中でも、場所によって違うわけであります。
つまり、この「浄瑠璃」という言葉は、現在において、古典声楽を分類する際に、その系統上の違いを表すために便宜上用いられているだけといった感じで、浄瑠璃と唄ものを概念的に区別するのは、非常に困難な事でしょう。
因みに、「浄瑠璃」という言葉の起源ですが、これは、織田信長の侍女であった、小野お通の作であるといわれる、牛若丸と浄瑠璃姫を題材にした「浄瑠璃十二段草子」という物語を、室町時代後期に琵琶法師たちが琵琶の伴奏で語りだしたものが普及して、その為、「浄瑠璃」という登場人物であるお姫様の名前が、語り物の代名詞として用いられ、現在にいたっています。


【監修】 清元美治郎  【補佐】 清元菊一朗、清元協会庶務部

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清元節 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/清元節
清元節(きよもとぶし)または清元(きよもと)とは、三味線音楽のひとつで、浄瑠璃の一種。主として歌舞伎や歌舞伎舞踊の伴奏音楽として用いられる。

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端唄 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/端唄
端唄(はうた)は邦楽の一種である。
解説
端唄とは、江戸初期にあっては長唄との対語であり、元禄年間に刊行された「松の葉」あたりからこの名を確認できる。端唄には二つの意味合いがあり、江戸端唄の前身をさす場合と、短い上方唄(地唄)をさす場合とがある。
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長唄 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/長唄
長唄(ながうた)は、近世邦楽の一ジャンル、三味線音楽の一ジャンル、江戸の音曲の一つであり、正式名称は江戸長唄(えど ながうた)という。

またこれとは別に、地歌の一分類として上方長歌(かみがた ながうた)がある。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/義太夫節
義太夫節(ぎだゆうぶし)・ 義太夫(ぎだゆう)は、江戸時代前期、大坂の竹本義太夫がはじめた浄瑠璃の一種。国の重要無形文化財。

なお、浄瑠璃は義太夫節のことであるという説明が往々にして見られるが、これは誤りである。義太夫節はあくまでも浄瑠璃の一流派であって、同一のものではない。

17世紀末に成立。播磨節、嘉太夫節、小唄などを融合した、豪快華麗な曲節が特徴。近代においては豊竹山城少掾が芸格を広めた(山城風)。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/浄瑠璃
浄瑠璃(じょうるり)は、日本の伝統芸能における近世邦楽、劇場音楽、音曲の一種、語り物(かたりもの)の総称。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/歌舞伎
歌舞伎(かぶき)は、日本固有の演劇で、伝統芸能の一つである。重要無形文化財(1965年4月20日指定)。世界無形遺産(2009年9月登録)。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/小唄
小唄(こうた)には、もともと端唄から派生した俗謡である。一般には江戸小唄とされる端唄の略称。
略称として定着したのは、明治・大正年間である。

ほかに現代小唄・清元小唄・常磐津小唄・義太夫小唄(豊本節)・新内小唄などがある。ここでは主に江戸小唄について述べる。

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色んなモノが縦糸となり横糸となって日本文化は発展してきて江戸時代に発酵熟成させている。
マダマダ沢山有ると思うけど思い出せないし調べきれない。
日本とは不思議な国である。
本当に懐の大きな国である。
絵画では漫画から始まりふすま絵や屏風などに発展していき今では世界のアニメになっている。

他国から見れば羨ましい限りの国では無いかな。

遊びでは貝殻遊びや言葉遊びまである。
ゲームもそこから出てきている。
双六やボード遊び 今はゲーム機になってきている。
発展するのは良いけれどもそんなモノにうつつ抜かして居る子供ばかりの国になってしまった。

そんなモノにウツツ抜かして平和ボケがはびこるご時世になっている。

権利ばかり主張して肝心な義務を唱える人は少ない。
ソモソモ義務の意味を知ってる人は何人いるのだろう。




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