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2019年12月08日13:00

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過去の出来事 (第一段)

男性依存症とも思える価値観を持った双子の姉から、小さい頃から利用され続けてきた私。
色んな事に巻き込まれた思い出が沢山ある。
人が話す言葉を歪曲し、話の中身を自分の都合で変えるのが得意だった姉と、思い込みが激しく躾と称して暴力を振るう実母から私は沢山の暗い過去を与えられた。

そんな母と姉に囲まれて過ごす旧姓時代の葉を狩る愛。

どす黒いものが常に家庭の中で渦巻いてた。

悲惨でしかなかった自分の家庭。
そんな人生だった私なのに旧姓時代の家族と離れるだけで180度も変われた。
こんなにも、何も揉めない日々が来るとは思わなかった。
満ち足りた幸せを送る毎日。

あれだけ悔しかった日々も、暴力も惨めさもない普通の日常。
それがこんなにも身近にあるなんて、結婚して初めて体感させてもらってる。

過去の自分からは到底想像が出来なかったほど、現在は幸せしかない。

良い旦那様と巡り会えたと思う。

金銭で悩むことも、身内が起こすトラブルにも巻き込まれることもなくなった。
それがどれだけ日々を幸せに感じさせてくれるかなんて、毒姉や毒母から離れて初めて知った。

簡単に母や姉にやり込められた旧姓時代。
負けっぱなしの利用されっぱなしだった。

今日ここに書く話は実際にあった私の過去の話。

証人を含め、私の過去は偽りでないと言える。

私がわざわざ嘘ではないと念を押してまで書く理由は、自分の思い通りに話を練り固め、それを事実のように吹聴する癖が私の姉にあるからだ。
自分がしていることはすべて隠したまま、人の言質の粗捜しをしては、誇張して語る姉。

自分の行動は全て美化して語り、自分の醜悪な過去はなかったことにする姉。

そんな姉に巻き込まれた苦しい過去を、姉の虚言でなかったことに決してされたくはない。


自分の本当に辛かった過去を語ると、絶対に姉の暴挙が絡む。

姉主体のトラブル。

それを姉が何一つ妹の私を巻き込まなけば、現在でもこんな過去にはならなかったんだろうと心から思っている。
私が『私の辛かった過去』を語る時、そこに姉の名前があるとするなら、それは姉自身が一人で解決もせず、妹の私を巻き込んだからに他ならない。
そうでなければ姉の名前など出るはずもない。

どんなふうにして姉が私を利用してきたかは、自分の辛かった過去を振り返るだけで説明になると思う。

今日はそんな辛かった思い出を書きたいと思う。

姉にやられた話の中でもダントツのワースト1の話。
最悪過ぎる最低な思い出。

レイプ被害者を悲劇のヒロインぶりたいから傷付いた振りをしていると、はっきりと被害者の私に言えた姉から、セカンドレイプを受け続けさせられたのが私の過去最大の嫌な話だ。

それは17歳の頃の話になる。

14歳の頃に処女で受けた集団レイプへの執拗なまでの暴言と暴力が、なぜかレイプから3年後の『姉の堕胎』を境に始まった。

集団暴行を知った直後の当時でさえレイプへの暴言だけだった母が、姉の堕胎直後、唐突に激しい暴力と暴言を私に振るうようになったのだ。

初めての経験が集団暴行という、人には言えなかった苦しい体験を抱えていた私には、なぜ母が今さらになってこうなるのか、その原因を探ることも出来なくなるほどに、母からの言葉と暴力は私の心を的確にえぐり、私の思考力を奪った。

『お前は汚ないんだと自覚できるように体に教え込んでやっている』とせせら笑いながら、レイプにあった女の私は姉と違って恋愛する価値がないんだと、私の髪の毛を鷲掴みながら罵しるようになった。

どれだけ真面目に付き合おうとも、レイプされた女が男と付き合えるのはレイプを喜んでいた証拠だと、母が私を嘲笑う。
そしてその横で未成年で簡単に堕胎した姉が母に詰られることなく、堕胎から数ヶ月で出来た新しい彼氏(姉の現旦那)との日々を笑って過ごしていた17歳のあの当時。

なぜ、3年前のレイプを3年後の17歳になってから母に罵られるのか、なぜ17歳で子供を身籠った姉が、堕胎後すぐに新しい男を作っても罵られないのか、不思議に思えても当時は考える余裕が私には無さすぎた。

『処女で5人と経験(※レイプ)して喜んでるインバイ』と母に罵しられる日々。

ある時は母に殴り倒され、履いている下着を無理やり脱がされそうにもなった。

『レイプされた女の汚ないあそこを見せてみろ!』

そんな言い分で母に渾身の力で倒され、母が馬乗りで私の履いているパンツを脱がそうとしてきた。

泣いて懇願する私の言葉さえ母には届かず、母は女性蔑視の言葉を叫びながら、下腹部(子宮)に狙いを定めて体重を乗せた拳を振り下ろした。

『レイプされた汚い女が将来子供生むとか気持ち悪いねん。お前みたいなレイプされた女は子供も出来へんように子宮潰してしまえばえーねん!!』

そう叫びながら何度も執拗に下腹部を全力で殴り続けた母に、子宮だけは止めてと叫んだあの時の心理状態を、どう書けば表現出来るのか分からないほど、今でもあの日の思い出は死にたくなるほど痛い。

女の初めてを全て奪われたからこそ、将来初めての妊娠位は心から喜びたいんだと、そこだけは何があっても守ると決めたんだ!と泣きながら説明している自分の惨めさに、必然と発狂に近いほどの大声で泣きわめいてた。

何度も何度も『いい加減なことをしておろしたのは私じゃない!』と叫びながら下腹部(子宮)をかばい続けた。

床に落ちている自分の引き千切られた髪の毛の束を見つめながら、延びきった下着を両手で掴み、ヨロヨロと立ち上がったあの日の私の心の激痛は、自分の欲望に忠実に生きているような姉には決して分からないだろう。

初めての経験が長時間に渡る集団レイプだった私。
そのレイプでの妊娠に死ぬほど怯えたからこその『二度と怯えないようにしたい覚悟』と、中学のときから『好きな人=結婚(子供=生)』と、初体験から彼氏とは生でしかしない主義の姉との性の価値観は、初めから天と地ほど違ったのだから。

おろしたのは姉だと泣きながら、母に何度訴えても、その言葉は母には届かなかった。

なぜ?おろしたのは姉だ!!!

私は性犯罪の被害者だ!
そんな言葉は何年にも渡って空をきり続けた。

悲鳴に近い泣き声で泣き叫べば叫ぶほど、姉と母は私の心を見ることなく、悲劇のヒロインぶりたいだけだとお互いに影で言い合っていた。

『お前が男と付き合うなんて事を考えれなくなるまで、お前に教えこむ』と母が私の体に傷が付くほど何年も罵倒しながら殴った。
母は私が男性と付き合えないように私の心を傷付ける事に必死になったあの当時。

なぜ未成年でセックスしてばかりの姉が、腹の中の子供を殺しても何も言われず、強姦と言う完全な『犯罪』で処女を失くした私が、女として最低だと日々の中で罵られるのか分からなかった。

毎日、毎日、いつトラウマを刺激されるか分からず、その矛先が真剣に交際していた旦那様に行かないようにビクビクして過ごしていた。

そんな辛い日々が結婚する20歳までの3年間続いたのだから、凄惨極まりない。


そして、結婚して子供も授かり、幸せになったと胸を張って人に言えるようになった25歳の頃、母と和解の話し合いで発覚したのが、姉の当時の行動だった。

『誰にでも股開く女』と罵倒されるように仕向けたのが実は姉だったと、この時に初めて母から聞かされた。

あの当時、姉の堕胎に母の嫌悪が家中を覆った。

異様な空気が2ヶ月ほど続いていたある日。
母の嫌悪が急に私にまで降りかかるようになった。

未成年の自分の子供の堕胎と言う経験に耐えられなくなった母が自分のイライラを止められず、こっちにも回ってきたんだとそう勝手に解釈していたあの当時。

まさか姉が母への居心地の悪さから逃れるために、私の過去のレイプ被害の話を使って、私のことを語っていたんだと母があの当時のことを教えてくれるまで、私はまったく想像すら出来なかった。

母から聞いた話では姉の自分の都合のみに歪曲されきった話だった。


17歳のあの当時、ある日を境に姉は飄々と過ごし、私が罵られる。
この原理がよく分からなかった。

母も過去に堕胎している。その経験を姉に突かれて責めるのを止めたのか?
ではなぜ私が3年前のことでいまさら殴られているか?

どれだけ考えても私に答えが出せるわけがなかった。

姉の本当の腹黒さに目を背けていた私に、答えなど見つけれるはずがなかったのだ。

暴言の対象が姉ではなく、私一人になってると気が付いたときには、姉はおろして一年も経っていないのに新しい彼氏(現旦那)と同棲を始めて笑って過ごしていた。

姉が暴力的な母から未成年で堕胎した罰(暴力)をなぜ受けていないのか、姉が東京に行くまでの間、真横で見ていながら何も見えていなかった。

自分が堕胎したことで母の暴言を毎日受けるのが嫌だった姉は、自分への母親の怒りの矛先を妹の私に向けるために、堕胎の謝罪という名目の話し合いの場で私の話を延々としていたそうだ。

自分の堕胎の話ではなく、姉の堕胎になんの関係もない私の話を何時間にも渡ってしていた姉。

上記に書いたような不思議な日々。

堕胎した罰(暴力)を受けていない姉。

突然始まった過去のレイプへの暴言、暴行。

何一つ結びつけれなかったのは、私のセカンドレイプでの思考の停止力がずば抜けていたと言えるだろう。

結婚してから母から初めてこのときの話を教えられた時に『やっぱりな』と素直に納得した。

保身のためならどんな悪巧みでも瞬時に思い付くのが姉だったから。
同じような場面に遭遇しても私と姉とでは幼い頃から状況は全然違っていたから。

母に真紫になるほど首を絞められた時、私は気が失いかけるまで怖くて絞め続けられる両手に抗ってしまう。
だけど、姉は同じように絞められたはずなのに、母の手はすぐ首から離れる。
何故なんだろう?と姉に聞けば『アホやなぁ、必死で抵抗するから本気で苦しい目に遭うねん。あんなん、一瞬だけ本気で苦しくて抵抗してるようにみせてからさっさと息止めて、クタって力抜けばヤバイって思って止めるやん(笑)だから私の番では首絞め終わるの早かったやろ?ホンマお前って要領悪いなwww』と姉が嗤った。
※これは小2の話(苦笑)

私はいつも素直に殴られてたので、本当に瞬時にそういう発想ができる姉が凄いと幼い頃から思ってた。

※18年のmixiの日記でも姉自身が書いてますよ。
私は妹と違ってけろっと出来るくらい飄々としてたって(-_-;)
私はひねくれてるのでケッって思う方だったと。

※まぁ、これも自分を美化して妹の私が虐待のPTSDで頭がおかしくなったと歪曲していますが、実際はかなりの悪知恵で姉はやりたいことをやっていただけなんですが(苦笑)


そんな姉だからこそ、自分の保身のためならどんなことでも騙るだろうなぁと姉と離れられた結婚後には痛感している私。
ただ、当時は姉がそこまで醜悪だとは身内フィルターがかかっていた私は、思い至らなかっただけで…
どうやったって姉の堕胎には、妹の私にはまったく関係ないと、悪知恵で押し付けることも出来ないだろうとたかをくくって第3者的な感じで傍観してた。

そう、中学の頃から子作りが大好きな姉の醜悪な結果に、真横で失笑していた私が浅はかだっただけ。

まさか、14歳の初体験での集団暴行の話を姉の堕胎の時に利用されるとは、私だけではなく誰だって想像しないことだと思う。

17歳の当時、突然レイプ関係での暴力が始まった理由に遅まきながらやっと合点がいった。

あの当時、堕胎を素直に謝った姉は、自分の行動や思うことを話したいと言う主旨で母と話し合いをした。

その日のことは私も覚えている。

堕胎してしまった後悔とか含めて自分の気持ちをちゃんと話し合いたいと言って、席をどけるようにお願いされていたからだ。
あんなしおらしくお願いされたあの姿で、まったく逆の事を企てていたとは思わなかった。

そして私が知っているあの日の『自分の気持ちを話し合いたい』と言っていた話し合いは、姉の気持ちと言う『妹の話』で埋め尽くされていた。

姉は必死に『妹が』と話の中で何度も訴えてきたと母が言う。
告白の中身の酷さを克明に覚えていた母が教えてくれたものは、母の姉への嫌悪が妹に移行するほど、言葉回しを巧みに使った中身だった。

第2へ続く。
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