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2019年12月15日14:08

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ツキを呼ぶ魔法の言葉 五日市 剛 講 演…2

二つ目の箱

 僕の二十八歳の誕生日が来ました。皆さん、驚くかもしれませんが、あの箱がね、出てきたんですよ。ヒエ〜。「どこから」というと、送られて来たんです。「誰から」というと、なんと、彼女からなんですね。いやぁ、本当に驚きました。だって、同じ黒いラッピングで細長く、その箱を持った重量感も同じなんですね。それは僕しか分からないことなんですが、間違いなくあの箱。もう腰が抜けそうで、震えちゃって、怖くて開けられないんですよね。そこで、すぐに彼女の家に電話をかけました。彼女が出ると、
「こっ、この箱、いったいどうしたんだ!」
と大声で聞きましたら、彼女はびっくりして、
「どうしたもこうしたもないでしょう。今日はあなたの誕生日じゃないの」
「えっ?」
彼女は僕への誕生日のプレゼントということで、それを豊橋駅前のデパートで買ったと言いました。あれ、そうなの?意外に思いましたが、それでも緊張しながらそっとその箱を開けてみました。すると、中にはペンが入っていたんですね。ギフト用のペン。その時僕は、あの息子さんが言った気になる三つの言葉を思い出しました。
 一つは、『恐らく、うちのお袋が一番大事にしていたものでしょうね』
 おばあさんと二人で話したときの状況を思い浮かべると、おばあさんは僕のことを何も聞かないで自分のことばかりしゃべっていましたが、その中で、自分の趣味の話もしたんです。
「五日市さん、私の趣味はね、ペン集めなの。このペンはね、ドイツに旅行したときに買った物なの。ちょっと変わってるでしょ。こっちのものはね、アイルランドにいる友達が送ってくれたものなのよ。かわいらしいでしょう」おばあさんが大事にしていたものは、『ペン』なんですね。
 二つ目。『大丈夫、必ず出てきますよ。もしかすると、あなたの誕生日に』本当に、これがそうなんでしょうか。
 そして三つ目。『それは、あなたに幸せをもたらすものでしょう』
 その黒い箱の中には、彼女からの手紙も入っておりまして、僕のプロポーズに対する返事が書いてありました。


 運命・感謝・ありがとう

 不思議な話ですよね。妻にこの話をしましたら
「え〜、そんなことがあったの〜」と言って、泣き出しましてね。
そりゃ驚きますよね。だけど、考えれば考えるほど、このおばあさんは何者なのだろうと思ってしまいます。やはり魔女?まさかね。
 おばあさんと二人きりで話をしていたとき、一方的にいろいろな話を伺ったのですが、いくつか強く印象に残っていることがあるんですね。例えば、

 おばあさん 五日市さん、運命というのはね、あるのよ。私たちの人生はね。最初からほとんど決まっていたのよ。
僕は、その類の話にはあまり関心がないので、「まぁ、あるかもね」と相づちをうちました。続いて、
 おばあさん 私、ユダヤ教徒の人間だけど、『生まれ変わり』を信じているの。過去世や、来世というのはあると思うわ。
このことについても、あまり関心がなかったので、
「うん、あるかもね」すると、おばあさんは、
 おばあさん ツイてる、ツイてない、という『ツキ』というのもあるのよ。
と言うので、「そりゃあ、あるんだろうね」と答えましたら、
 おばあさん そのツキというのはね、簡単に手に入るものなのよ。
「えっ?・・・どうしたら手に入るんですか?」
 おばあさん ツキを呼び込む魔法の言葉があるのよ。これさえ唱えていれば、誰でも
ツキっ放しになるわよ。
「本当?どんな言葉かな。難しい言葉?」と聞くと、
 おばあさん すご〜く簡単で、単純な言葉よ。
「何、教えて下さいよ」
 おばあさん いいわよ。誰でもよく使う言葉なんだけど、二つあってね。
 一つは『ありがとう』、
 もう一つは『感謝します』 ねっ、簡単でしょ。
「・・・・・月並みな言葉なんですね。どう使い分けするんですか?」
 おばあさん もちろん、どんなときでも自由に使っていい言葉なんだけで。そうねえ・・・、ある状況の時に、これらの言葉を使い分けたら効果的かもね。
「ありがとう」という言葉は、そうね、何か嫌なことがあった時に使ったらどうかな。例えば、朝寝坊しちゃって、「わぁ〜、学校に遅刻する!」とか、「会社に遅れる!」なんて時、イライラするでしょ。そんな時、「イライラさせてくれて頂き、ありがとう」と言うの。車を運転中、事故っちゃった、そんな時も「ありがとう」。五日市さん、あなたの親が亡くなっても、歯を食いしばって「ありがとう」と言うのよ。どうしてかというとね。イヤな事が起こるとイヤなことを考えるでしょう。そうするとね、またイヤな事が起こるの。不幸は重なるというけれど、それは、間違いなくこの世の法則なのよ。だけど、そこで「ありがとう」と言うとね。その不幸の鎖が断ち切れちゃうのよ。それだけでなく、逆に良い事が起こっちゃうの。「災い転じて福となす」という言葉があるでしょう。ドンな不幸と思われる現象も、幸せと感じる状況に変えてくれる。絶対にね。だから、「ありがとう」という言葉はね、魔法の言葉なのよ・・・・・。

 僕があるとき、自分の部屋でボ〜ッとしながら、おばあさんが言った言葉を思い出していると、たまたま目の前にペンと紙があったんですね。何気なく、おばあさんが言ったこの「ありがとう」という言葉を漢字で書いてみましたら、な、なんと、『有り難う』。ドキッとしましたよね。
「ああ、そうか。難が有るときに、『有り難う』か!」偶然の一致にしては、スゴイですよね。おばあさんは漢字を知らないはずなのに。

 それから、もう一つの「感謝します」という言葉については、おばあさんは次のように言いました。
 おばあさん そうねえ、何か良いことがあったら、「感謝します」と言ってみてはどうかな。例えば、明日、待ちに待った運動会。晴れて欲しいなぁ〜と思っていて、実際にはれたら「感謝します」。
 そうそう、この言葉はとても便利でね。まだ起こっていない未来のことでも、「明日、晴れました!晴れさせて頂き、感謝します!」とか、「一週間後、○○○に合格させて頂き、感謝します」とイメージしながら言い切っちゃうと、本当にそうなってしまうのよ。難の疑いも不安も心配もなく、力まずに自然とそう思いこめればね。


 ちょっとつまらない例を一つ。僕はこのように太っていまして、運動不足気味なので月に一回くらい、地元のオジさん、オバさんたちと卓球をやって汗を流しているんです。ある日、若くてとっても卓球の強い、市の大会のチャンピオンと呼ばれる人がやってきて、練習試合をさせてもらいました。もちろん勝てっこないと思ったのですが、まあ〜いいやと思って、試合を行いました。
 まず、レシーブ。「相手のサーブをうまく返せていただき、感謝します」と相手がサーブのたびに一球一球思ったんですね。そしたらですね、どんどんリードしちゃって、結局ストレートで勝ってしまったんですよ。な〜んと、僕よりも実力が上の人に。スゴイでしょう。そりゃ〜相手は怒りますよね。「あんなデブになんで負けるんだ!」と言う顔をしてで『もう一度試合をやりましょう』と言われ、結局三回やりましたけどね。三回とも勝ってしまったんですよ。僕はこのとき、この言葉は使える!と思いましたね。
 そういえば、イスラエルのおばあさんは、かなり大事なことを言っていました。絶対、言ってはいけない言葉があるらしいのですね。これだけは言っては駄目!という言葉。

 おばあさん 五日市さん、言ってはいけない言葉があるのよ。言っちゃうと、ツキが吹っ飛んじゃうの。「へえ〜、どんな言葉なんです?」
 おばあさん まずはね、汚い言葉。「てめ〜」とか「死んじまえ」とか「バカヤロー」、「クソッタレー」とかね。そういう汚い言葉を平気で使う人というのはね、そういう人生を歩むのよ。だから綺麗な言葉を使いなさい。
 思い返してみると、僕が学生の頃、そんな汚い言葉ばかり使っていたような気がするんですね。その頃、人間関係にひどく悩んだり、些細なことで苦しんだりすることが実に多かったんです。だから、おばあさんの話には、本当にドキッとしましたね。
 おばあさん それからね、絶対に人の悪口を言っちゃダメよ、絶対ダメ。あなたが自分の部屋にポツンと一人でいる時でさえも、人の悪口を言っちゃダメ。それに、人を怒ってもツキは逃げて行っちゃうわ。怒これば怒こるほど、あなたがせっかく積み重ねたツキがどんどんなくなっていくのよ。だから、ネガティブな言葉は使っちゃダメ。分かった?どんな言葉にもね、魂があるの。本当よ。だから、ねっ。きれいな言葉だけを使いましょ。

 おばあさんのお話は、何ていうか、決して飛び抜けて変わっているわけではなくて、とても道徳的な話ですよね。つまり、しゃべる言葉には気をつけようね、ということなんですよ。自分の口から発する言葉が自分の人生を創る。今まで、いろいろな指導的立場にある人がこのような「言葉の大切さ」を伝えてきたのかもしれませんが、僕は初めて聞きましたね。しかも異国の地で。とにかく、おばあさんが言ったことは、すべて腑に落ちました。
 それ以来、ひたすら「ありがとう」「感謝します」を実践しています。意外と早くきれいな言葉を使えるようになりました。そしてもう、人を怒れなくなりました。本当ですよ。その結果、自分の人生は、ガラッと変わってしまいましたね。「ツイてるツイてる、ツキっ放し!」だから、こうしたおばあさんの話、自分では、とてもいい話だなぁ〜と思っているんですね。


 交通事故

 実はね、おばあさんに出会ってから今に至るまで、二回交通事故を起こしているんです。恥ずかしい話なんですけどね。一回目は学生時代。豊橋でおばあさんをバイクではねちゃったんです。(イスラエルのおばあさんではないですよ。日本人のおばあさんをね。)僕がスクーターに乗っているとき、道を横切ろうとしたおばあさんにちょっとぶつかり、おばあさん、道ばたに勢いよく倒れましてね。でもその時、自然と「ありがとう」という言葉が出たんですね。信じられないでしょう。後々、自分でも大したもんだだなあと思いましたね。
「お、おばあさん、大丈夫?」
おばあさんはムクッと立ち上がり、しりもちついたお尻をさすりながら、やがて来た救急車に誰の手も借りず、ヨイショと自ら乗り込みました。救急隊の方々は、そんなおばあさんを見て苦笑いしていましたね。おばあさんは、病院に運ばれて検査を受けましたが、結局どこも異常なく、僕自身ホッとしました。この縁がきっかけで、以後おばあさんとの家とは家族ぐるみのお付き合いをするようになりました。おばあさんの家はお茶をつくっている農家でして、僕は学生だったものですから、お茶摘みの時期になると、必ず手伝いに行きましてね。おばあさん、たくさんアルバイト料をくれるんですよ。二、三時間お手伝いしただけなのに一万円くらい頂きましたね。僕なんか全然お金がなかったですから、ラッキー、ラッキーという感じでしたね。
 それから、中学生のお孫さんの家庭教師もやりましたね。その男の子、登校拒否でして、ずっと学校に行ってなかったんですよ。でも立ち直ってくれて、とても嬉しかったですよね。おばあさんも大喜びでした。今では彼は大学を出て立派な社会人。
 あっ、そういえば、僕の結婚披露宴のときなんか、そのおばあさん、自ら進んで趣味の太鼓を叩いてくれたんですよ。三河太鼓といってね、あれは見事でしたね。本当に素晴らしかった。バイクでひいたおばあさんに、まさか自分の披露宴で太鼓を叩いてもらうなんてね。信じられます?
 それから、会社に就職してからのことですが、車で正面衝突をしてしまいました。僕はカローラに乗っていたんですが、前から若い奥さんの運転するルシーダが僕の車線にいきなり入って来たんですよ。すれ違う直前でした。僕としてはど〜することもできない。モロでガチャ〜ンと正面衝突!僕の車線に入り込んでからぶつかる瞬間まで、その奥さんは前を見て運転できていませんでした。どうやら、後部座席の三歳くらいの娘さんに気を取られたようですね。お互いの車の前方はグシャグシャになってしまいました。
 でも、その時も、ぶつかる瞬間「ありがとう!」と大声で言えたんですね。するとね、妙に心が落ち着き、全然怒りが出てこないのですよ。普通でしたら「このヤロー、人の車線に勝手に入って来やがって、どこ見て運転してるんだ!」とか何とか言って怒るじゃないですか。それが、不思議と怒る気分にならなくて、むしろ相手の体が心配になって、「大丈夫ですか?」と声をかけたんですね。
「あれ、娘さん、口元を少し切ってるね。大丈夫かなあ。すぐ病院に連れて行こうか」
という具合でしたね。そうすると、その奥さんが、
「す、すみません、私の不注意で。すみません。すみません」
「しょうがないよ。別にわざとやったんじゃないのだから」
なんて言葉が自然に僕の口元から出てくるんですね。その後、すぐにご主人とおじいさんが飛んで来て「すみません、すみません」と頭を何度も下げられました。お互いケガがなかったし、全然怒る気分になりませんでした。まあ、普通でしたら、事故に関わるとお互いムキになって自分の正当性を主張しあい、そのためにうそも平気で言ったりして、人間の一番イヤな面が出やすいですよね。やれ保険だの、示談だの。おまえが悪いからもっとカネ払えとか。人間のドロドロした部分が思いっきり出て、お互いイヤな思いをすることが多いですよね。
 もし、事故直後、僕がその女性を怒鳴っていたらどうなっていたでしょうか?もしかすると、交通事故にありがちなドロドロ劇の始まりでしょうね。どうしても、そうなっちゃうんです。言葉って怖いですよね。
 こんな衝撃的な事故がきっかけでその家族と知り合え、実は家族ぐるみのお付き合いが続いています。特に彼女のご主人とは何かと気が会いましてね。人の出会いとは、実に不思議なもんですね。
 まぁ、つまらない例でしたけど、やはり、口から発する言葉のエネルギーというのはスゴイな〜と実感しましたね。

 ところで、先ほど箱の話をしましたよね。あの話がつじつまの合う首尾一貫した話だとすると、一つだけどうしても分からないことがあるんですね。最初に開けた箱が空だったでしょう。「開けたら分かるわよ」とおばあさんが言ったのに、分からないんですね。ず〜と考えていたのですが。でもある時、分かったんですよ。空の意味が。これからちょっとの間、その話をさせて頂きますね。
 交通事故

 実はね、おばあさんに出会ってから今に至るまで、二回交通事故を起こしているんです。恥ずかしい話なんですけどね。一回目は学生時代。豊橋でおばあさんをバイクではねちゃったんです。(イスラエルのおばあさんではないですよ。日本人のおばあさんをね。)僕がスクーターに乗っているとき、道を横切ろうとしたおばあさんにちょっとぶつかり、おばあさん、道ばたに勢いよく倒れましてね。でもその時、自然と「ありがとう」という言葉が出たんですね。信じられないでしょう。後々、自分でも大したもんだだなあと思いましたね。
「お、おばあさん、大丈夫?」
おばあさんはムクッと立ち上がり、しりもちついたお尻をさすりながら、やがて来た救急車に誰の手も借りず、ヨイショと自ら乗り込みました。救急隊の方々は、そんなおばあさんを見て苦笑いしていましたね。おばあさんは、病院に運ばれて検査を受けましたが、結局どこも異常なく、僕自身ホッとしました。この縁がきっかけで、以後おばあさんとの家とは家族ぐるみのお付き合いをするようになりました。おばあさんの家はお茶をつくっている農家でして、僕は学生だったものですから、お茶摘みの時期になると、必ず手伝いに行きましてね。おばあさん、たくさんアルバイト料をくれるんですよ。二、三時間お手伝いしただけなのに一万円くらい頂きましたね。僕なんか全然お金がなかったですから、ラッキー、ラッキーという感じでしたね。
 それから、中学生のお孫さんの家庭教師もやりましたね。その男の子、登校拒否でして、ずっと学校に行ってなかったんですよ。でも立ち直ってくれて、とても嬉しかったですよね。おばあさんも大喜びでした。今では彼は大学を出て立派な社会人。
 あっ、そういえば、僕の結婚披露宴のときなんか、そのおばあさん、自ら進んで趣味の太鼓を叩いてくれたんですよ。三河太鼓といってね、あれは見事でしたね。本当に素晴らしかった。バイクでひいたおばあさんに、まさか自分の披露宴で太鼓を叩いてもらうなんてね。信じられます?
 それから、会社に就職してからのことですが、車で正面衝突をしてしまいました。僕はカローラに乗っていたんですが、前から若い奥さんの運転するルシーダが僕の車線にいきなり入って来たんですよ。すれ違う直前でした。僕としてはど〜することもできない。モロでガチャ〜ンと正面衝突!僕の車線に入り込んでからぶつかる瞬間まで、その奥さんは前を見て運転できていませんでした。どうやら、後部座席の三歳くらいの娘さんに気を取られたようですね。お互いの車の前方はグシャグシャになってしまいました。
 でも、その時も、ぶつかる瞬間「ありがとう!」と大声で言えたんですね。するとね、妙に心が落ち着き、全然怒りが出てこないのですよ。普通でしたら「このヤロー、人の車線に勝手に入って来やがって、どこ見て運転してるんだ!」とか何とか言って怒るじゃないですか。それが、不思議と怒る気分にならなくて、むしろ相手の体が心配になって、「大丈夫ですか?」と声をかけたんですね。
「あれ、娘さん、口元を少し切ってるね。大丈夫かなあ。すぐ病院に連れて行こうか」
という具合でしたね。そうすると、その奥さんが、
「す、すみません、私の不注意で。すみません。すみません」
「しょうがないよ。別にわざとやったんじゃないのだから」
なんて言葉が自然に僕の口元から出てくるんですね。その後、すぐにご主人とおじいさんが飛んで来て「すみません、すみません」と頭を何度も下げられました。お互いケガがなかったし、全然怒る気分になりませんでした。まあ、普通でしたら、事故に関わるとお互いムキになって自分の正当性を主張しあい、そのためにうそも平気で言ったりして、人間の一番イヤな面が出やすいですよね。やれ保険だの、示談だの。おまえが悪いからもっとカネ払えとか。人間のドロドロした部分が思いっきり出て、お互いイヤな思いをすることが多いですよね。
 もし、事故直後、僕がその女性を怒鳴っていたらどうなっていたでしょうか?もしかすると、交通事故にありがちなドロドロ劇の始まりでしょうね。どうしても、そうなっちゃうんです。言葉って怖いですよね。
 こんな衝撃的な事故がきっかけでその家族と知り合え、実は家族ぐるみのお付き合いが続いています。特に彼女のご主人とは何かと気が会いましてね。人の出会いとは、実に不思議なもんですね。
 まぁ、つまらない例でしたけど、やはり、口から発する言葉のエネルギーというのはスゴイな〜と実感しましたね。

 ところで、先ほど箱の話をしましたよね。あの話がつじつまの合う首尾一貫した話だとすると、一つだけどうしても分からないことがあるんですね。最初に開けた箱が空だったでしょう。「開けたら分かるわよ」とおばあさんが言ったのに、分からないんですね。ず〜と考えていたのですが。でもある時、分かったんですよ。空の意味が。これからちょっとの間、その話をさせて頂きますね。


 
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