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2019年12月15日14:06

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ツキを呼ぶ魔法の言葉 五日市 剛 講 演 筆 録

      五日市 剛さんの

ツキを呼ぶ魔法の言葉

             講 演 筆 録









 はじめに

 昨年、あるプロのコンサルタントの講演を聴く機会がありましたその方によりますと、日本で毎年新しく設立される会社は、だいたい八〜九万社くらいあるそうです。ところが、三年後にはそのうちの四十%は倒産というかたちで消えてなくなるらしく、さら五年経つと八十五%はなくなってしまうそうです。厳しい世の中ですね。
 そこで、そのコンサルタントがそれぞれの社長さんに、「勝因は何ですか?」「敗因は何ですか?」と聞いて見たそうです。すると、生き残った社長曰く「運がよかった」、倒産した社長は「運が悪かった」。みな、運、運というのですねそれでは運というのはいったい何なのでしょうか。まあ、本質的なことは僕にはよく分からないですけど、実は、本当に簡単なことでツキというのを手にすることができる。ツキっ放しになっちゃう。今日はそんな不思議な話をさせて頂きたいと思います。


 イスラエルのおばあさんとの出会い

 僕は二十八歳まで学生生活を送っておりましたが、二十五歳くらいの時、あることがきっかけで中東問題に興味を持ちました。
 理工系の学生なのに、イスラエルやアラブ諸国の諸問題、特に民族問題が気になりましてね、それで、どうしてもイスラエルに行きたいなぁ〜と思い始め、とうとう湾岸戦争が起こった年の冬に、イスラエルへ行くことになったのです。その時の経験がきっかけで、人生がガラッと変わってしまいました。ちょっと御伽噺みたいな話なんですけど、本当にあった話なのでどうか聞いてください。
 湾岸戦争があった年の冬、クリスマスの数日前に、日本を発ってイスラエルへ向かいました。一ヶ月間という長い旅行です。大きなリュックを背負い、ジーパン姿で向かいました。イスラエルというと、とても暖かい国のように思うかも知れませんが、その年はなんと数十年に一回あるかないかという大寒波の年で、旅行中にドカ雪まで降りました。そんなこと、現地へ行って初めて分かったので、本当にまいりました。薄着だったので、寒くて、毎日ぶるぶる状態でした。
 クリスマスの日の夕方に、ハイファという港町に着きました。イスラエルの中では大きな都市でして、有名な港町です。バスを降りた瞬間、「うわ〜寒い、なぁ〜」という感じで、まずホテルを探し始めました。「早く、暖かい部屋でのんびりしたい!」ところが、あちこちホテルに行ってみたものの、どこへ行っても閉まっているんですね。その港町にホテルやユースホステルはたくさんあるのに。どうしてだろう?時間がどんどん過ぎていって、夜七時、八時、九時、・・・・・外はものすごく寒いんですよ。ハイファには、誰も知っている人はいないし、一人旅だし、ひどく心細くなりましてね。「俺って、もうここで終わりかな?」なんて、縁起でもないことを考えちゃいました。できるだけ明るいにぎやかな通りを歩こうと思いながら、肩をガクッと落としてトボトボ歩いていました。
 にぎやかな通りも、夜遅くなってくると灯りがだんだん消えてきましてね。本当に心細くなって、本気で「もう〜駄目かなぁ〜」と思ったその時に、一人のニコニコしたおばあさんが僕の方へ近づいて来たんです。
「どうしたんですか?顔色が悪いですよ」
と英語で話しかけてきました。イスラエルのユダヤ人は英語がけっこう上手でしてね。
「日本から来た者なんですけど・・・、泊まるところがないんです」
 それから五分ぐらい話をしたでしょうか。そのおばあさんは微笑んで、
「よかったら、私の家へどうぞ」
と言いました。いや〜、驚きました。僕たち、日本にいても、同じ日本人にだって、そんなこと言いませんよね。だけど、そのおばあさん、見ず知らずの外国人の僕に、私の家へどうぞって言うんですよ。ぼくもさすがにちょっと構えましてね。すぐに「うん」と言わずに、
「もうちょっとホテルを探してみます。それで、もし見つからなかったらおじゃまするかもしれません。その時はよろしくお願いします」
と言って、紙に住所と簡単な地図を書いて貰い、その後タクシーに乗ってホテルを再び探し始めました。でも、結局、どのホテルもみんな閉まっていて、営業しているホテルは見つからなかったんですね。もうおばあさんの所へ行くしかないなぁ〜と思って、勇気を振り絞っておばあさんの家に行ったんですね。

 おばあさんの家を見て、唖然としました。その家は外壁の一部は草で覆われていましてね。驚いたことに窓がないんですよ。(翌日、明るくなってからまた見たんですけど、確かに家の外には見かけ上、窓はあるのですが、家の中にはどこにも窓がないんですね。まるで棺桶みたいな家)それで、玄関が少し高いところにあり、階段をちょっと上がるとドアがありました。ドキドキしながら、「ピンポン」とボタンを押したんですね。すると、押すや否や、すぐにドアが開いて、
「お待ちしておりました」
とおばあさんが出てきました。ヒャー、心臓が飛び出るかと思いました。もう驚いちゃって。おばあさんはドアのところにいて、待っていたんでしょうかね。
「どうぞ、どうぞ。寒いでしょ。中へどうぞ」
「は、はい。おじゃまします」
外は本当に寒くて、手が凍えてね。でも家の中は取とっても暖かい。驚きましたけど、救われた思いでいっぱいでした。
 おばあさんは、
「スープがあるわよ、食卓へどうぞ」と言うので奥へ入ると、丸いテーブルがあり、本当にスープが二皿盛ってありました。
 おばあさんと僕の分なんですね。そのスープ、口に含むと熱いんですよ。とっても美味しいし。ということは、・・・・・待てよ、おばあさんは一人暮らし。やはり事前に二人分つくって、二人分皿に盛って、その後玄関に行って僕を待っていたのかなあ?なんて考えると夜も眠れなくなりますよね。もう、そんなこと考えるのは止めようと思いました。
 スープを飲みながら、おばあさんと二人でいろいろ話をしました。といっても、僕はほとんど聞き役でしたね。でも、知らない人を家に泊めるんだから、普通は僕のことをいろいろ聞きますよね。僕は自分の名前と日本から来た大学院の学生と言っただけで、自分について他のことは何もしゃべりませんでした。おばあさんはひたすらご自分のことばかり話すわけです。本当に穏やかな、ニコニコした方でしてね。
「私はね、ドイツから来たユダヤ人なのよ。だから、戦争中はけっこう大変だったの。
主人は大学で数学を教えていたの。三年前になくなってね。息子夫婦は、隣町に住んでいるのよ。私の趣味わね、・・・」
 あばあさんは、僕のことは本当に何も聞かなくて、ただ、僕のみ目をじっと見つめながら話をするんです。どうも時々、自分の心が見られている気がして、恥ずかしいというか、妙な気分でした。だから、僕は時々、視線をそらしていました。そんな不思議な雰囲気のおばあさんでした。家の中を見ると変わった飾りや画が掛けてあって、ユダヤ教の影響かな、と思いました。
 時計を見ると、もうだいぶおそくなっていまして、おばあさんは、
「今日はもうおそいですから、おやすみになって下さい。こちらの部屋にベッドメイキングがしてありますから」
「おばあさん、いろいろありがとう。それじゃ、おやすみなさい!」
ということで、ベッドのある部屋に入りました。

 ベッドの枕元には、一人の少女の絵が飾ってありました。その絵がとっても不思議で、目元がボア〜ンとぼけていましてね。見ていると魂が吸い込まれそうな、この世の者ものとは思えないような絵でしたね。そんな部屋に泊めていただきました。


 おばあさんの贈り物

 次の朝、目覚めたらおばあさんはすでに起きていました。
「おばあさん、おはようございます」
「おはよう。さあ、こちらでいっしょに朝食をとりましょう」
パンとスープをごちそうになりました。その時、おばあさんがニコニコしながら、
「今日はね、私の息子夫婦がうちにくるのよ。いっしょに国内を旅行することになっているの。私は数日不在にするけど、五日市さん、ここにいたかったら、もっと泊まっていってもいいのよ」
一人で泊まってもいいなんて、びっくりです。僕のこと信頼してくれたんだな、と思うと嬉しかったですね。
 僕は、実はこの町で調べたいことがあり、できればもう一日滞在したいなと思っていました。どうせその日も泊まれるホテルは見つけにくいだろうと思ったものですから、お言葉に甘えてもう一日泊めてもらうことになりました。僕一人だけで図々しいかなと思いましたけどね。
 その後、しばらくすると、息子さん夫婦がやって来て、「どうも、はじめまして」と
挨拶し、握手しました。すると、おばあさんは、
「じゃ、私行くからね。あとはよろしくね」
と言って出かけようとしました。その時、
「あっ、そうそう、忘れてた、忘れてた」
と言って、寝室に戻り、何やら箱を二つ持ってきたんですね。そして、
「これ、あなたにあげるわ」
と言って、差し出してきました。僕は箱を受け取りはしましたが、
「いや〜、そんな。おばあさんにこんなにお世話になりながら、贈り物までもらうわけにはいきませんよ」
と遠慮しながら言いましたら、それまでニコニコしていたおばあさんが急に真剣な顔をしまして、
「そうですか。それなら、買って下さい」
と言うのです。意外な言葉にギョッとしました。
「お、おいくらですか?」
と聞きましたら、
「そりゃ、いくらでもいいわよ」
まさしく、一円でも千円でもいい、というような感じなんですね。僕は学生でしたし、そんなにお金あるわけではないのですが、お世話になりましたので、一万円相当の現地のお金をお渡ししたんです。一万円相当というと現地の方にとっては、とても大きなお金だと思うんですね。その時、おばあさんが、どうしてこんなことを言ったのか未だに分からないのですが、
「やっぱりね」と、ポツリと言いました。
「だけど五日市さん、一つだけ約束してね。あなたの誕生日が来たら、箱を開けてね」
「えっ、どうして誕生日に?」
「開けたら分かるわよ」
つまり、僕の誕生日が来たら、二つの箱のうちの一つを開けてね。そして次の誕生日が来たら、もう一つを開けてね、と言うのです。その二つの箱は、外観上同じではなく、一つは大きくて白い箱、もう一つは小さくて黒い箱でした。大きい箱は軽く、小さい箱はやや長細くて重量感のある重さでした。
 玉手箱みたいですね。
そのときは、あまり気になりませんでした。
 おばあさんとお別れした後は、もう一泊させて頂いて、その後約三週間、イスラエル国内をあちこち旅行して回り、日本へ帰って来ました。


 一つ目の箱

 長いイスラエル旅行から戻り、自分のアパートに着いてかばんを開けますと、箱が二つ出てきました。
「あぁ、あのおばあさんから頂いた箱だ。何が入っているんだろう?だけど今、開けちゃいけないんだよなぁ〜」そう思い、箱を本棚の上に置いたんですね。


 それから半年くらい経ち、僕の二十七歳の誕生日がやってきました・学生生活最後の誕生日です。
「今日は俺の誕生日。そうだ、あばあさんから頂いたあの箱、開けなきゃ」
 本棚を見ると、大きい白い箱と、小さな黒い箱がありました。どっちにしようかなぁ・・・僕はどっちかというと、いつも大きい方を選ぶ癖があるもんですから、軽いけど大きい箱を選んじゃいました。まあ、それなりに軽い物が入っているんだろうなと思って開けたのですが、「あれ?」意外にも何も入っていませんでした。何も入っていないような軽さではないと思っていたんですが、実際、開けたら空だったということです。変な話ですよね。別に、気味が悪いというより、おばあさん、何かを入れるのを忘れたのかなぁと思いました。だって、「開けたら分かるわょ」と言ってましたからね。でも、これじゃ分かんないよ。おばあさん、それはないでしょう。という気持でしたね。もう一個の小さい箱は重量感がありますので、空ということはありえません。絶対に。

 それから半年くらい経ったある日のこと。寝ているときにおばあさんの夢を見ました。どんな夢か具体的なことは何も思い出せないのですが、とにかくニコニコしたおばあさんが夢の中に出て来たわけです。その後、真夜中にもかかわらず、目が覚めて眠れなくなり、ガバッと起きてしまいました。それまで、もう一つの箱についてはあまり関心がなかったのですが、「あの黒い箱には、一体何が入っているんだろう?」と急に好奇心が出てきましてね。ますます眠れなくなりました。「約束を破ることになるけど、思い切って開けよう!」急に胸がドキドキしてきました。無意識に部屋の中をキョロキョロと見まわして、誰もいないことを確かめました。一人住まいだから、誰もいるわけないのにね。それだけ妙な緊張感が高まっていたんです。そして、ベッドを離れて本棚のところに行きました。 そしたら、「あれっ?」本棚を見ると、箱が見当たらない。どこに行ったんだろう?そうか、本棚の後ろに落っこちたかなと思って、本棚を後ろにずらして見たんですが、ない。「そんなバカな。どこに置いたんだよ」
部屋中、あちこし探し回ったんですが、どうしても見つからない。ますます気になりますよね。
「オレが約束破って開けようとしたから、おばあさんがどこかに隠したのかなぁ」なんてことを考えたりしてね。そう思えば思うほど気になっちゃって、結局、朝まで探したんですね。でも、どこにもありません。胸がますますドキドキしてくるし、これはやばいぞぉと思って、怒られるのを覚悟で、イスラエルのおばあさんのところに電話したんですね。
 電話事情が悪いせいか、なかなか通じにくかったんですけど、何回目かにようやく通じました。そしたらおばあさんの息子が出てきました。なんと、おばあさんは三ヶ月前に亡くなっていたそうなんですね。
「いや〜、そうだとは知りませんでした。あの〜、ご承知かもしれませんけど、おばあさんから別れ際に箱を二つ頂きましてね。誕生日に開けてといわれましたので、一個目を開けたら、空だったんです。それで、もう一つ・・・」
と僕が言った途端に、その息子さんは、
「あんた、開けようとしただろう?」
「えっ」
一瞬、心臓が止まるかと思いました。息子さんは、続けて低い声で、
「誕生日が来る前に、開けようとしただろう?」
僕は、震えちゃってね。声が出なくなりました。こういう場合、どんなことを言ったらいいのでしょうね。それから向こうの方も、僕と同様に何も言わなくなったんですよ。お互い黙り込んでしまった・・・。
といっても、これは国際電話ですからね。高額の通話料がどんどん飛んじゃうわけですよ。
何かしゃべらなきゃ」 と思うのですが、何も言葉が出てこなくってね。何か言ってよ〜と思いながらも、沈黙が続きました。
 それでも勇気を振り絞るように、恐る恐る、
「だ、だ、だけど、あの箱には何が入っていたんでしょうね?」
と白々しいことを聞いて見たんですね。
 そしたら、その息子さん、気になることを三つ言いましてね。
「恐らく、うちのお袋が一番大事にしていたものでしょうね。」
二つ目、
「大丈夫、必ず出てきますよ」
「えっ、でも、いくら探しても見つからないんですが」
と言うと、
「いや、出てきますよ。もしかすると、あなたの誕生日に」
そして三つ目、
「それは、あなたに幸せをもたらすものでしょう」
 英語でのやり取りですから、多少ニュアンスが違うかもしれませんが、多分このような意味だと思うんですね。息子さんから聞いた言葉の意味はそれぞれ分かったのですが、どうもその三つの言葉の繋がりが理解できません。とにかく、電話はそうした会話で終わりました。これは十二月の話なんですが、一月、二月、そして三月には、僕は大学から学位を頂きまして、ようやく就職。大手化学会社の長野県の事業所に配属となり、そこの独身寮に荷物を移すことになりました。三月の下旬に、それまで住んでいたアパートを引き払うためにどんどん荷造りして、部屋のあちこちを掃除しました。一所懸命掃除をしていると、どこからか黒い箱が出てくるのではないかと少しは期待したんですがね。残念ながら、どこにもありませんでした。

 それから会社の寮に移りまして、それが四月。そして五月、六月となりました。僕の誕生日は七月なんですね。六月に、以前住んでいたアパートの近くに住む、親しいおばさんから電話がかかってきて、
「五日市君、元気?まだひとり?」と言うので、
「うん。独身だよ」と答えると、
「素敵な女性がいるんだけど、合ってみない?ねっ」
と、びっくりするようなことを言ってきました。
「へえ〜、いいねえ」
 早速、週末にその女性に会いに豊橋まで行くことになりました。車で高速道路を使って三時間くらい。ワクワクしていたせいか、その時間はとても短く感じられました。
 そして豊橋について、そこであった女性が、まあ、結局的には今の妻なんですね。
 その時、初対面だというのに、とても話が合いましてね。こんなに話が合う女性は初めてだなぁ〜と思いました。
「それじゃ、また来週も合おうか」ということで、また次の週末も豊橋まで行って、彼女に会ったんですね。
それで、あまりにもたのしかったもんだから、
「結婚しようか」と言っちゃいました。早々と。
そりゃ〜相手は驚きますよね。こんな感じで、一応、形の上ではプロポーズしたんですけど、返事はもらえませんでした。
 そして、次の週、僕の誕生日が来ました。

 
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