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2019年12月15日11:12

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 あ ま び き  資…料 3


共依存から老け出すには?

1「共依存」って何?
〜苦しんでいるあなたのために〜
 家族の中に薬物依存症者がいると、その人を「何とかしよう」として家族はあらゆる手をつくします。懇願したり責めたり、薬をあげたり・・・。依存症者の起こす問題の尻拭いにも負われます。けれどいくらがんばっても依存症者は薬をやめず、問題はどんどん進行し、あなたは今までとても苦しんできたはずです。
 あなたの心の中には、こんな感情が渦巻いているのではありませんか?


〈怒り〉
 あの人(薬物依存症者)はちっとも家族のことを考えず、自分のことしか考えていない。おかげで私はその分まで、家族の面倒を見なければならない。あの人の健康を心配したり、あの人のために周囲に言い訳したり、嘘をついたり、どうして私ばっかりこんな目にあわなければならないの?


〈恥ずかしさ〉

 あの人が薬に溺れてまともにやれないことを知ったら、会社の人や、親戚や、近所の人たちはどう思うだろう。いつかあの人がみっともないことをするか分からないから、家に人を呼ぶことだって出来ない。


〈孤独〉

 あの人のせいで私がこんな辛い思いをしていることを、家族の誰もわかってくれない。親戚に何か言えば、どうせ私が悪者にされてしまう。心配を打ち明けられる友達もいないし、私は一人で耐えるしかない。


〈自責感〉

 だけどもしも、私がもっといい妻だったら、(いい親だったら、いい子だったら)、あのひとはこんなことにならなかったかもしれない。あのひとをちゃんと立ち直らせることができない私は、妻として(親として、子どもとして)失格なのではないだろうか。


〈絶望〉

 何度約束してもあの人は薬物をやめないし、私がいくらいっても自分の責任を自覚する気配がない。ヤク中はどこまでいってもヤク中だし、自分勝手でだらしのないのは変わりっこない。こんな不幸な生活がずっとこのまま続くのだ。


 薬物依存症者本人が「使うことで頭が一杯」になっているように、家族は「依存症者のことで頭が一杯」です。こうした家族のことを共依存といいます。
 身近な人が問題を抱えているとき、「何となしなくては」と思うのは自然なことです。けれども、何とかしようと、もがけばもがくほど家族はつらくなり、薬物依存も進行してしまうのです。


〜一体何が起きているのでしょう〜
依存症者を支えているつもりが、実は「依存症という病気」を支えている



依存症者のことに囚われて、自分のことに注意を向けなくなる

2「共依存」の背景
〜子供時代を探ってみよう〜
 ここまで読んでみて「なるほど、そうか!」と納得した人も、中にはいるでしょう。洋服のボタンのかけ違いに気がついたようなものです。正しい場所さえわかれば、上から順にかけ直すことが出来ます。でも多くの人は「そんなこと言っても、この状況でほかに何ができるっていうの」と思ったはずです。できることはあります。それはあなた自身を変えることです。すると依存症者をとりまく状況も変わります。
 長年の生活で身につけた考え方や、行動のしかたを変えるのはかんたんなことではありません。小さい頃から共依存のパターンの中で生きてきたために、自分でほとんど意識していない人もいるかもしれません。あなたの小さい頃をふりかえってみてください。あなたが育った家庭の中に、こんな〈ルール〉はありませんでしたか?

※ 問題について話し合うのはよくない
 例えば良心の仲がうまくいっていないのに、二人がその事をきちんと話し合っているのを見たことがない。誰かが問題を持ち出すと、食卓に気まずい雰囲気がたちこめる。ある人は話をそらし、ある人はテレビに夢中のふりをすし、ある人はそそくさと席を立ってしまう。

※ 感情を素直に出すのはよくない
 あなたが無邪気にはしゃぐと「こんなときだから静かに」とたしなめられる。甘えようとすると「今日は○○なんだから」とはねつけられてしまう。つらい気持をぶちまけると、「我慢しなさい」と怒られたり、親がもう片方の親を「あなたのせいでこの子が・・・」と責め立てる結果になり、誰もあなたの気持ちに注意を払ってくれない。

※ 相手を信頼してもいいことはない
 「お母さん、こっちに来て」「お父さん、聞いて」といったちょっとした頼みごとが、いつも「忙しいから」と後回しにされる。約束しても、裏切られてばかり。両親も相手の期待をはっきり口にせず、皮肉を言ったり、怒鳴ったり、不機嫌に黙り込むことで言うことをきかせようとする。あるいはあなたをだしに使う。誰かにしてほしいことを言うと、それがかなえられる、という信頼関係が家庭にない。

※ 自分を大切にするのはよくない
 「私は○○したいの!」と自分の立場を主張すると、「他の人のことも考えなさい」「うちは今、それどころじゃないのわかるでしょう」と叱られる。自分勝手な子、わがままな子と言われないためには、自分のことはさておいてつねに周囲の状況をうかがい、困っている人はいないかと気を遣わなければならない。

※ リラックスしてはいけない
 親に認められるには、もっともっと努力をし、決して間違わず、完璧でなければならない。「それぐらい、できなくたってどうってことはない」とか「間違ったってかまわない」とは誰も決して言ってくらないので、リラックスして気を抜くひまはない。

 こうした〈ルール〉は、親に飲酒に問題があったり、父親が仕事一筋で家庭は二の次だったり、両親の間にいさかいが絶えなかったりなど、親も依存症だったという人が少なくないのです。
 この〈ルール〉のもとで育った子どもは、ありのままの自分を愛するのが苦手になってしまいます。だから「自分のため」ではなく「誰かのため」に一生懸命やることで、自分の存在を認めてもらいたいと思う。これが共依存の背景なのです。

   あなたの今の暮らしも同じルールが支配していませんか?
   あなたの子どもにこのルールを伝えていませんか?


3「共依存」からの脱出
〜あなたを帰る行動のヒント〜
● 問題について話し合うのいいこと
● 感情を素直に表現するのはいいこと
● 相手を信頼するのはいいこと
● 自分を大切にするのはいいこと
● リラックスするのはいいこと
助けを求める
今まで問題を表沙汰にせず、「自分で何とかしよう」とがんばってきたパターンをまず変えましょう。依存症の専門病院や、地域の保健所など、薬物問題を理解してくれる専門家のもとに出かけることで、あなたはきっと楽になります。もし依存症者の暴力に悩んでいるなら、安全な場所の確保が必要です。
 あなたがすでに専門家の援助を受けているなら、依存症者のことを相談するだけでなく、あなた自身の苦しみを専門家に話してみてください。

仲間に出会う
 病院の家族教室、保健所の家族教室、依存症者の家族自助グループ「ナラノン」「アラノン」各地のACグループなど、あなたと同じような体験をした家族が集まる場があります。そこに出かけてください。
 あなたにはホットできる場所、安心して感情を表現できる場所が必要です。仲間はあなたの苦しみに共感してくれるはずです。仲間の話を聞くことで、今まで自分には見えにくかった自分のパターンも見えてきます。
 もしも、仲間に会うとかえってつらくなるような気がしたら、あなたは疲れすぎているのかもしれません。専門家に相談して、必要なら治療やカウンセリングを受けてください。

依存症や共依存について知る
 日本の社会には、「依存症者は意志が弱くてだらしがない」という病気への偏見や、「耐えて夫につくすのがよい妻」という価値観が根強くあります家族教室や自助グループで依存症者や共依存について勉強したり、専門家にすすめられた本を読むことは、あなたの役に立ちます。あなたを苦しめていたものの正体を知ることで、共依存から抜け出すのが楽になるのです。

自分を主語にして話す
 「あの人は○○だ」とか「うちの子は○○だ」ではなく、「あの人が○○だと私はどうしてよいかわからなくてつらい」というように、「私」を主語にして話をしてみましょう。

自分のために何かをする
 今まであなたは、一日の時間のほとんどを依存症者や家族のために占領されていました。自分のために時間を使ってみましょう。
 たとえば美容院に行く。座っているだけで誰かが自分の世話をしてくれるのは、とても気持ちのいいものです。新しい服を買う。気分がぐっと引き立ちます。公園を散歩する、おいしいものを食べる、部屋で本を読んだりレコードを聴く、昔の友人に電話する、日帰り旅行をする、何もせずにボーッ過ごしてみる。いろいろありそうです。

 そんなムリ、できっこない、と思いましたか?今までのやり方を変えようとする、抵抗を感じるのが普通です。だからこそ、一人ではなく仲間が必要なのです。
 これはわくわくするチャレンジです。小さな変化を積み重ねていくうちに、あなたはきっと自分を変えることが楽しくなってきます。










必殺!尻ぬぐい

「イネイブリング」や「イネイブラー」という言葉が、依存症の治療・援助の場でよく使われます。これはイネイブル(enaible)
とう英語から来ています。
   e n a b l e=〈誰か〉が〈何か〉をするのを可能(able)する
 薬物依存の分野でイネイブリング、イネイブラーという場合、《誰か》とは薬物依存症者のこと、《何か》とは薬物を使い続けることです。
 イネイブリング(enabling)=依存症者が使い続けるのを可能にする(周囲の人の)行為
イネイブラー(enabler)=依存症者が使い続けるのを可能にする(周囲の)人

◎行動が裏目に出るのは何故なのか?

 もっともイネイブラーになりやすいのは、依存勝者の家族です。
 薬と行動の問題で困っているはずの家族がなぜ、イネイブラーになるのでしょうか。それは、よかれと思ってやった行動が裏目に出てしまうからです。
 本人を心配しての行動や、家族の立場から見ればやむをえないと思える行動が、結果的にはイネイブリングになってしまうのです。
 たとえば・・・
● 薬物使用をコントロールしようとする。

 薬物や有機溶剤を捨てたり、隠したり使用できないようにする。
 結果は・・・
 依存症の人は、離脱症状や脅迫的薬物欲求があるため、光明に薬物を手に入れようとする。

● 薬物でやんでいる(狂っている)人を説教する。

「いい加減にして!」「全く情けない」「昔はそんな風ではなかったでしょう」と責める。
 結果は・・・
 薬物使用中の依存者は、選択的記憶システム(自己中心的回路)より、責められた印象だけが残り、怒りや恨みをためこみやすい。

● トラブルなどの肩代わりをする。

「借金」「窃盗」「万引き」「交通事故」などの後始末。
 結果は・・・
金銭的に困らず、罪の意識がない。

● 脅しに屈して、薬物を与える。

暴言や暴力によってお金(薬物)を用意する。
 結果は・・・
家族を脅かせばお金(薬物)が手に入ることとなり、暴言・暴力はエスカレートする。

● 実行できない脅しを繰り返す。

「今度やったら家を出て行ってもらう」
結果は・・・
お互いの信頼をさらに損ない、相手の態度をうかがいながら薬物を手に入れたり、どうせ口だけだとタカをくくって薬物を使い続ける。

● 世間体を気にする。

「家庭内のトラブルを隠す」「本院の薬物依存症を隠す」
結果は・・・
私の家は平穏だと繕う(薬物依存症者のことを隠そうとする)
イネイブラーの本当の顔

 イネイブリングの関係は、夫婦、恋人、友人同士、親子、師弟、雇用関係、政府対国民など人間関係が多様であるように、限りなく多彩です。
 イネイブリングは世代や性別に関わりなく起こりますが、男性よりも女性のほうに多く見られるようです。母性本能に加えて、家族の世話は女性の役割だという社会観念が、女性のイネイブリングを当たり前にしています。また女性は、自分に人生を切りひらく力があるとはあまり思わずに、むしろ他人が自分を頼ってくれるように仕向けることで、伝統的な役割分担を乱すことなく他者をコントロールする力を得るのです。
 何らかの援助を必要とする人をケアする立場にある人たちには、イネイブリングの罠にはまる危険があります。特に、心身を病む人を世話するパートナー、親、友人、看護人などは要注意です。適切な援助とイネイブリングの間に線を引くのはなかなか難しいものです。イネイブラーは本当は自分の足で立てるはずの人に手を貸してしまいます。


 イネイブラーは、犠牲者は自分のほうだと思いがちです。しかし、誰かに依存されるという状態は、イネイブラー自らが選んだものに他なりません。どこかで弱々しい依存的な人に捉まってしまい、気がついたらイネイブラーになっていたなどということはありえないのです。イネイブラーは誰かの世話をするように強制された訳ではありません。労力を上回る報酬があるからこそ、イネイブラーは人に尽くします。
 この社会は「善人に見える人」を賞賛します。イネイブラーは、自分の並外れた博愛的性格だけでなく、その能力を見せつけます。他の人たちの責任まで引き受けることが出来るのは、実に格好のいいことです。こうして彼らは周囲からの賞賛を集め、うぬぼれを強めます。

 イネイブリングは、育つ中で身についてしまった生き方です。子どもが社会性を持ち協調性のある大人になる過程で、多くの「よい子」が作られてしまうのです。子どものうちは言われたことをやり、周囲の欲求に自分を合わせたりすることでほめられるものです。よい子になることは、回りからの圧力に対処するために子どもが取り入れる、ありふれた手段なのです。人の欲求に答えて何らかの利益を得るという振る舞いは、大人になったときイネイブリングという習慣に引き継がれるのでしょう。他者からの承認というご褒美を得るために行動するようになるのでしょう。
 イネイブラーは、常に他の人のことを第一に考える習慣を身につけています。こんな風には育っていない子どもは、自分の想像力や欲求の赴くままに振る舞うという、もっとも健全な喜びを求めます。

 イネイブラーは、徳のある立派な人間であろうとします。そして、誰が見てもすばらしい資質をたくさん備えています。順応性、忍耐強さ、勤勉、親切、気丈、有能、寛大、賢さー。数限りない「美徳」は世間の人たちにとやかく言わせません。
 私は、これらの資質に南お勝ちもないといっているのではありません。ただ、彼らの努力は注意深く見直す必要があります。それぞれの美徳には、陰の面もあるのです。相手の有能さを見せつけられれば、人は無力感を抱きます。寛大さは相手に罪悪感を植え付け、親切な振る舞いは相手の負担となるかもしれません。忍耐は、しばしば虐待の誘因となります。柔軟性は物事の限度というものをわからなくさせ、強さは依存を招きます。
 イネイブラーは善人の役を演じ、ときには自分を虐待させてまで相手に快を与えようとすらします。しかし善人を演じることは、本当に徳が高い人間であろうとすることとはほとんど関係がありません。こういう形の善行は、むしろ依存関係を強めてしまうものです。
 この社会では、「人を助けようとする性格」は文句なく賞賛されます。しかし、批判的に観察してみると、その背後にある、あまりほめられなたものでない一面が見えてきます。

 子どもの頃、私の家で当たり前になっていることがあり、最近になってやっと私はそれが重要な意味を持っていることを理解しました。
 夕食にローストチキンが出ると、母は決まって首の部分を取っていました。だからr私は、母は首の肉が好きなんだと思っていて、先日、母と食事をしたときも、当然のように首肉を母の皿に置きました。ところが年齢のせいで正直になったのでしょうか、母は「私、首肉なんて嫌いなのよ」と言って、私を驚かせたのです。
 母がいわば「チキンの首」を取ることは、我が家の人間関係ではありふれたことでした。思い出してみれば、何かいいことを分け合う時も、嫌な仕事を分担する時も、母はいつも、誰も手を出さない「首肉」を選んでいました。利己的になるまいとしていたのでしょう。その結果、いつでも不利な立場に立つことになりました。
 今の私は、公平に誰もが交替でそこへ立つべきだと思っています。


                ◇


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