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2019年12月14日02:06

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鴎外選集  第十巻  石川 淳 編  3

奈良五十首








京はわが先づ車よりおり立ちて古本(ふるほん)あさり日をくらす街(まち)
識りける文屋(ふみや)のあるじ気狂(きくる)いて電車のみ見てあれば甲斐なし
夕靄(ゆうもや)は宇治をつつみぬ児(ちご)あまた並居(なみい)る如き茶の木を消して
木津過ぎて網棚(あみだな)の物おろしつつ窓より覗く奈良のともし火
奈良山(ならやま)の常磐木(ときわぎ)はよし秋の風木の間木の間を縫いて吹くなり
奈良人(ならびと)は秋の寂しさ見せじとや社(やしろ)も寺も丹塗にはせし
蔦かづら絡(から)む築泥(ついじ)の崩口(くえくち)の土もかわきていさぎよき奈良
猿の来(こ)し官舎の裏(うら)の大杉は折れて迹(あと)なし常なき世なり

正倉院
勅封(ちょくふう)の笋(たかんな)の皮切りほどく鋏(はさみ)の音の寒きあかつき
夢の国燃ゆべきものの燃えぬ国木の校倉のとはに立つ国
戸あくれば朝日さすなり一とせを素絹(そけん)の下(した)に寝つる器(うつわ)に
唐櫃(からびつ)の蓋(ふた)とれば立つ絁(あしぎぬ)の塵もなかなかなつかしきかな
見るごとにあらたなる節ありといふ古文書(こもんじょ)生ける人にかも似る
少女をば奉行の妾(しょう)に遺りぬとか客(きゃく)よ黙(もだ)あれあはれ忠友(ただとも)
恋を知る没日(いりひ)の国の主(ぬし)の世に写しつる経(きょう)今も残れり
はやぶさの目して胡紛(ごふん)の註を読む大矢透(おおやとおる)が芒(すすき)なす髪
み倉守(も)るわが目の前をまじり行く心ある人心なき人
主(ぬし)は誰ぞ聖武のみかど光明子帽(こうみょうしぼう)だにぬがで見られんものか
三毒はおぼるる民等法(のり)の手に国をゆだねし王を笑ふや
蒙古王来(き)ぬとは聞けど冠(かがふり)のふさわしからむ顔は見ざりき
晴るる日はみ倉守(も)るわれ傘さして巡りてぞ見る雨の寺寺
とこしへに奈良は汚さんものぞ無き雨さへ沙に沁(し)みて消ゆれば
黄金(おうごん)の像は眩し古寺(ふるでら)は外(と)に立ちてこそ見るべかりけれ

東大寺
別荘の南大門の東西(とうざい)に立つを憎むは狭しわが胸
廬舎那仏(るしゃなぶつ)仰ぎて見ればあまたたび継がれし首の安(やす)げなるかな
大鐘をヤンキイ衝(つ)けりその首はをかしかれども大なる音

興福寺慈恩会
いまだ消えぬ初度の案内(あない)の続松(ついまつ)の火屑(ほくず)を踏みて金堂に入る
観音の千手(せんじゅ)と我とむかひ居て講読(こうどく)が焚(た)く香(こう)に咽(むせ)びぬ
本尊をかくす画像の尉遅基(うちきち)は我よりわかく死にける男
梵唄(ぼんばい)は絶間絶間に谺響(こだま)してともし火暗き堂の寒さよ
なかなかにをかしかりけり闇のうちに散華(さんげ)の花の色の見えぬも
番論議(ばんろんぎ)拙(つたな)きもよしいちはやき小き僧をめでてありなむ

元興寺址
いにしへの飛鳥(あすか)の寺を富人(とむひと)の買はむ日までと薄(すすき)領せり
落つる日に尾花匂へりさすらへる貴人(うまびと)たちの光のごとく
なつかしき十輪院は青き鳥子等のたづぬる老人(おいびと)の庭

般若寺
般若寺は端(はし)ぢかき寺仇(あだ)の手をのがれわびけむ皇子(みこ)しおもほゆ

新薬師寺
殊勝なり喇叭の音に寝起(ねおき)する新薬師寺の古き仏等(ほとけら)

大安寺
大安寺今めく堂を見に来(こ)しは餓鬼のしりへにぬかづく恋か

白毫寺
白毫の寺かがやかし痴人(しれびと)の買ひていにける塔の礎(いしずえ)
踊る影障子にうつり三味線の鳴る家の外(と)に鹿ぞ啼くなる
酔ひしれて羽織かづきて匍ひよりて鹿に衝かれて果てにけるはや
春日なる武甕椎(たけみかづち)の御神(おんかみ)に飼はるる鹿も常の鹿なり
旅にして聞けばいたまし大臣(おおど)原獣(けもの)にあらぬ人に衝かると
宣伝(せんでん)は人を酔はする強(し)ひがたり同じ事のみくり返しつつ
ひたすらに普通選挙の両刃(もろは)をや奇しき剣とたふとびけらし
暁(さと)らじな汝(な)が偶像の平等(びょうどう)にささげむ牲(にへ)は自由なりとは
富むといひ貧しといふも三毒の上に立てたるけぢめならずや
貪欲(どんよく)のさけびはここに帝王のあまた眠れる土をとよもす
なかなかに定政賢(さだまささか)しいにしへの奈良の都を紙の上に建つ
現実の車たちまち我を率(ゐ)て夢の都をはためき出でぬ












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