俺ん家時がしずんでゆく木洩れ日の そのなかで日に日にうつろうしぜんの色の鮮やかな淋しさをああ ああああああああああ あああああああああああああああ ああああ古墳のような 丘があり丘のまんなかの窪んだところに家があってそこが俺ん家だった生きて
闘う時がしずんでゆく木洩れ日の そのなかで日に日にうつろうしぜんの色の鮮やかな淋しさをぼくは眸に焼きつくす生きているのだろうと 思うものは動かず死んでしまったものは消えてゆく消えてゆくものはやがて忘れてしまう生きよ 生きよ 生きよ呼吸のよう
人間の明日午後 3時14分円周率つめたい てのひら部屋の中の秩序無秩序人間は生まれかわれる と聞かされた釦のかけちがいを正す方法 を 知らずとも生きられる なら昨日の過ちに押しつぶされず未来を見て生きられるならこどものような眸をして生きること
水族館のうた水族館は いつも哀しいときに 行くところかなしくても 泣けないときはいつも 水族館にゆきぼくの悲哀は 癒されるルルルルルルル リリリリリルルルルルルル ラララララ水族館は 海のそばひとりになりたいときに行くひとりにな
東日本大震災で被災した少女の物語である。彼女はその名をハル(モトーラ世理奈)と言った。ハルは生まれ育った岩手県大槌町に暮らしていたが、両親と弟、つまり親兄弟すべてを震災のために喪っている。当時ハルは9歳であった。あれから8年、いまは広島で
冒頭、脈絡があるかないか曖昧で、断片的な映像を、あたかも無作為につないだかのように、連続させて描く手法が面白いと思った(モンタージュ理論に詳しくないが、こういうのをモンタージュ技法というのだろうか?)。主人公遼一の世界観、虚構と現実をごった
岩本山の頂にもう 富士山に登るのもつらいから岩本山の頂に 富士山麓の夜景を眺めた生きることは育つことであり老いることでもある人を憎まずして生きられたらいいと思うしひとを愛して生きられたらもっといい眼下の富士宮の夜景はちいさな銀河のようにあど
やさしい雨うつくしい雨は草木に やさしいが淋しいじゃないかその朝 遠足の日がきえたのも雨のせいなら硝子を伝う いじわるな雫セッちゃんも カンちゃんも てるてる坊主も見ている空お弁当だってつくってもらったのに母さんのつくったお弁当には海苔をか
■「障がい」表記で差別はなくなりますか?アルビノ当事者が語る現実「イメージの良い言葉」が隠す社会の矛盾(ウィズニュース - 10月07日 07:00)https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=6258818第一章誰かが燃やし終えた焼却炉から烟
1953年の木下恵介の同名の名作を小林政広が知らないはずはない。知っていて、敢えてこの名前を本作品に付けた。2013年の日本映画である。一部を除いてほぼ全編モノクロ映像。音楽は一切使われておらず、主人公の家から一歩も出ない撮影はカメラ一台に
佐々木昭一郎の1980年のドラマ。彼を代表する作品の一つである。主演のA子こと志木榮子(中尾幸世)の顔のアップに、このドラマは始まる。彼女は見ているのだ。自分と兄の来し方を。雪の情景。ピアノの調律師をしているA子。ドラマは彼女の一期一会を、
生きたいうたうことお酒の最後の一滴を味わうこと死のうとしているかなしみによりそうことこどもと笑いあうことたいせつなひとを抱きしめること洗濯物を干すこと風にふかれることうしろ姿をみつめること朝日につつまれることあくびをすること声を出すこと本を