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2020年10月05日01:33

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四季〜ユートピアノ〜

佐々木昭一郎の1980年のドラマ。彼を代表する作品の一つである。
主演のA子こと志木榮子(中尾幸世)の顔のアップに、このドラマは始まる。彼女は見ているのだ。自分と兄の来し方を。雪の情景。
ピアノの調律師をしているA子。ドラマは彼女の一期一会を、きめ細かく撮ってゆく。自分の幼い頃、母(中尾幸世:二役)も若かった。電話ボックスの中でトランペットを吹く少年。浜辺の蓄音器。外で焼く目玉焼き。理屈で考えると、わからないシーンの連続であるが、イメージ映像としてこの難解なシーンを観ていると、わからないなりに面白い。映画芸術だけでなく、芸術というものは、わかる、わからないではなく、面白いか面白くないかで考えるべき。そういう視点から見るとこのドラマは際限のない面白さがある。
場面、場面のつなぎに「音の日記」という、A子のナレーションが入る。A子はこの音の日記を書くことで、人生の旅を記録してゆく。つらいこともうれしいことも、記録することで彼女のこころの移ろいがわかる。
佐々木昭一郎のドラマはどれも戦争の暗い影が差している。幼心に見た、戦争の体験が忘れられないのだ。兄と林檎を捨てに行ったり、大切なレコードをハンマーで割ったりするシーンに、戦争の痛ましさ、癒えない傷を感ずる。この痛み、決して忘れてはならない火傷の痛みのようなものなのだろう。
A子の追憶のなかで彼女は、少年の兄を見つめるだけで、何も言いはしない。校舎の火事。兄が死んだシーンだが、どのように死んだか、ドラマは語らない。ただ通りすぎてゆく機関車に、何かを暗示させているだけだ。
佐々木昭一郎のドラマは、どれも音楽と仲が良い。音楽のエッセンス〈精髄〉を、ドラマの一要素にしている、そんな一面がある。音楽のジャンルは問わない。音楽のエッセンスが彼のドラマを美しい映像詩にしてゆく。
祖父母の元を離れ、A子は小さなピアノ工房で働くことになる。新しい仲間が何人もできた。けれども秋になって仕事が来なくなり、冬、工房は閉鎖される。
A子の人生の旅はつづく。宮さんという老人にあった。ピアノの調律師をしている。チャップリンと同い年の宮さん。旅の客船ではぐれたきり、生き別れになってしまった。佐々木作品では、人の死を露骨に見せない。今わの際など見せなくても、観客の想像に訴えかける映像を見せれば、観客は死というものを思いえがき、受け入れてくれる。こういうところ、佐々木演出は垢抜けている。
さまざまな人との出会いと別れ。A子は最後に、少々無理をしてアップライトピアノを買い、貨物列車で運んでもらうことにした。ふるさとである、北国の生家の雪の上に置いてもらった。兄への贈りものだという。
A子の心の旅はつづく。バイオリンのケースに調律の道具一式を入れて。
ラストはA子の顔のアップ。カメラを見つめつづけるA子。その瞳から大粒の涙がいくつもこぼれた。そこには遠い兄への追慕の想いもあろう。父や母への思いもあろう。いままで会ってきた、沢山のひとへの追憶・思慕の想いもあろう。あまたの感情が彼女の心に押し寄せ、それがこの、うつくしい涙となったのだ。何とも忘れがたい、ラストシーンであった。
文化庁芸術祭大賞(TVドラマ部門)受賞作であり、海外ではTVドラマに与えられる世界でもっとも栄誉ある賞、イタリア賞のRAI賞にも輝いた。
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