mixiユーザー(id:67124390)

2020年03月30日10:52

76 view

コタキ兄弟と四苦八苦(第十話〜)

「第十話・老苦」
さっちゃんは、俺たち(古滝兄弟)の妹だ。さっちゃんは、腹違いの兄がいることも、父親・古滝零士(小林薫)の正体も知らない。5年前、笹谷さん(手塚理美)と名乗る女性が、古滝家を訪ねてきた。話は父親・零士のことだ。零士は行き倒れたホームレスとして発見されたが、身元を示すものが何もなく、ただこの、笹谷さん(名を瑞樹という)の書いた婚姻届だけを持っていたため(優柔不断な零士の性格である、捨てるに捨てられなかったのだろう)、笹谷さんに警察から連絡が行った。零士は今、千葉県市原市の「希望苑」という、福祉施設(老人ホーム?)にいるという。五月(さっちゃんの本名)には、6歳のとき、船の事故で死んだと母が嘘をついた。船乗りと偽ったのは零士。行きつけの喫茶店(それがシャバダバだった)に帆船模型があったから、口から出まかせを言ったのだ。
さっちゃんとは生涯他人のふりをしようと、一路が二路に言いだした。こんなことさっちゃんに言えるか。お父さんとの美しい思い出を、全部嘘でしたと、ひっくり返すのか。できないだろそんなこと。
このために、いままで兄弟の憩いの場だった、喫茶シャバダバが、世界でいちばん居づらい場所になってしまった。行けばついぽろっと本当のことを言ってしまいそうで怖い。どうしよう。
二路が言う。兄貴は親父に逢いに行った。それもあんたのこどもだと名乗ってだ。何で名乗ったんだよ。面倒見る気か。
そうだ。
あっちはちっとも親らしいことしてないだろ。
お前はいつも母親と一緒だったからな。俺たちが食うものに困っていた時も、お前は母さんの横浜の実家でうまいものをたらふく食って、帰ってきてその自慢をした。夫婦喧嘩するたびに、お前は母さんと横浜の実家だ。親父は耐えられなくなって、どこかの女のところへ身を寄せる。俺はひとりここに残って飯を食う。だがな、そんなこと、親父と逢ったらどうでもよくなった。どうだ。お前も逢うか。
市原の「希望苑」にやってきた兄弟。零士はボケボケの認知症真っただ中のようであった。一路を発明の新案特許申請に関することを依頼している、弁護士だと思い込んでいる様子である(画像がみだれて音声も飛びまくり、字幕もないためよくわからない)。亡き妻、たか子のことを「たかちゃん」と呼ぶが、どこのたかちゃんか、何をどう認識しているかがあやしい。二路がたかちゃんの物語を聴かせた。病んで寝たきりになったたかちゃんは、二路を枕もとにいつも呼んで、そばに居させたがったが、それは二路が零士によく似ていたからだ。病状が進行するにつれて、たかちゃんは二路と零士を混同するようになり、罵詈雑言(ばりぞうごん)を二路に浴びせかけた。自分はいないほうがいい。二路はそう悟り、母の見舞いをやめた。それを聞いていた零士はこんなことを言った。
「たかちゃんにはしあわせになって欲しかったなあ。俺と結婚すればよかったのに」。
5年前はここまでボケてはいなかった。一路が逢いに行くと、ちゃんと一路を認識。「帰れ! 俺にこどもなんかいない! 俺の遺産欲しさにやってきても無駄だからな。帰れ!」と罵られた。こんな思いをするのは、俺だけでたくさんだ。このことは誰にも言うまい。そう決めた一路だった。
瑞樹さんが逢いに来た時、さっちゃんの名前の由来について話していた。名付け親は零士。「俺は0。俺も数字の名前だから、この子にも数字の名前を付ける」。それで五月(そう言えば、一路、二路も数字の名だ)。このとき五月は20歳であった。
(一路の日記の抜粋から)2007年3月末日付で予備校との契約終了。自由の身となるが、あれからひと月、新しい職場は見つからない。ネットで瑞樹さんの娘、五月を検索したら、あった。「楓カフェ」で働いているとのこと。楓カフェに行き、珈琲を飲みながら五月を盗撮。やっていることは実の兄でもまるでストーカーの所業だ。名乗りたいができない苦しみ。写真は古い菓子箱の封筒の中に念入りに幾重にも納めて入れ、保管してある。
その後、ある時街角で五月とすれちがった。喫茶シャバダバの前だった。五月はシャバダバに入っていった。どうやらここで働きはじめた様子。見ていたい。見守るくらいならいいだろうか。以来一路にとってシャバダバは彼の行きつけの喫茶店になった(日記の場面終り。って、いったい今年は何年なのだろう。2007年退職って。)。
きょうはレンタルオヤジの無料券を使って、二路は六花と有花への家族サービス。ショッピングの途中で買い忘れたものがあるって、場を外そうとする六花。「子はかすがい」。六花は父と母のよりを戻させてあげようと、仲を取り持とうとしているのだ。ほんとうに両親想いのいい子である。夜の街。俺は有花がおばあちゃんになって、ボケボケにボケちゃっても、どんなことになってもそばにいるから、何にもできない旦那だけど、それだけはできるから。二路はいつしか涙ぐんでいた。
その夜、一路は一般社会人として、レンタルオヤジの依頼でムラタさんを呼んだ。ムラタさんに自分のレンタルオヤジになってもらおうというのだ。きっと切なかったのだろう。そこは居酒屋である。一緒に酒を飲んだ。こういうレンタルもありか。
「老苦・老いる苦しみ」。

「第十一話・生苦」
この第十一話は20分経過したあたりまでは生で観ていたのですが(なので、さっちゃんの同棲相手が女性で、一路がさっちゃんのことを不用意な言葉で傷つけてしまうところまではかろうじてわかりました)、そのあとは画面が真っ暗になり音声もストップ、観られませんでした。そのあと録画できているか見てみたら、最初からまったく撮れておらずダメ。仕方がないので、6月17日発売というDVD‐BOXを予約購入し、観るつもりでおります。ご了承ください。

「第十二話・愛別離苦」
第十一話で何があったか知らないが、出入り禁止にもならず以前の通り、シャバダバの客となっている一路と二路。さっちゃんの猯人瓩澆舛襪旅餡隼邯海侶覯未蝋膤福みちるはさっちゃんとのことをとやかく言う両親と訣別することにしたという。さっちゃんは飛騨高山の母の旅館へ行き、働くことに。つまりシャバダバを辞めるのだ。それも今月(3月)いっぱいで。みちるは岐阜で実習を受けることになった。岐阜ならいつでもさっちゃんに逢いに行ける。そうか。さっちゃん今月いっぱいで辞めちゃうのか。って、今月あと何日ある? 空調の整備と定休日で2連休があるから、もう幾日もない。二路が突拍子もないこと言いだした。古滝家一泊二日ツアー、さっちゃんウチへ来ない? え、中年男ふたりとうら若い美女が一つ屋根の下。そんなのあるわけないだろと一路。けれども。行こうかなとさっちゃん。
翌、さっちゃんの来る日。古滝家は朝から迎えるための大掃除である。男所帯だからちらかってるわ、汚れてるわ。それよりも重大なことがある。古滝家から零士と瑞樹さんの痕跡を残らず隠さねばならない。第十一話では、結局本当のことは言えなかったのだ。風呂場トイレの掃除、掃除機をかける。窓ふき、洗面所の掃除。庭の草むしり。等々。やることいっぱいだ。
午後。古滝家の掃除のさなか。さっちゃんは例のY字路まで来ていた。右は行ってはいけない道(たぶん母親からそう言い聞かされていたのだろう。なぜか。それはもちろん古滝家があるからだ)。だから右へ行くさっちゃん。ローマはこっち。そして古滝家の前に来た。あれ?と思うさっちゃん。この家に見覚えがあるのだ。呼び鈴を鳴らすさっちゃん。そのとき、まだ零士の最後の爛屮帖蔑垢里土産)瓩魃せずにいる兄弟。押し入れへ入れよう。え? もしさっちゃんが押し入れに入りたいって言ったら? 知らないよそんなこと。やっぱ物置だよ。物置。それでも鳴りつづける呼び鈴。やっと迎える準備ができた古滝家。玄関の三和土(たたき)で二路がさっちゃんは古滝家の妹。家にいる間、俺たちは兄妹ということにしよう(仲良くなるためのルールだ)。二路。お前天才だな、と一路。もう一度家に入るところからやりなおすさっちゃん。さっちゃんはドアを開けて言った。「ただいま」。兄弟も「お帰り」と迎えた。
居間で瑞樹さんのお土産さるぼぼが見つかりそうになるが、うまくはぐらかそうとする兄弟。だが結局見つかっての言い訳が凄い。「古滝家では来客とさるぼぼを取り合い、手にできた客は、古滝家に泊まれる」。そうかあ。よかったあとさっちゃん。見事に騙されてくれた。
さっちゃんの進言で今夜は「闇鍋」をすることに。いなりの巾着に、普通鍋では食べない「怪しげなもの」を入れて、食べるのだ。たとえばプチシューとか、フルーツグミとか。あ、干瓢(かんぴょう)忘れた。いいよ。アニキのちくわがある。どうやって使うんですか。輪切りにして、とめるんだよ、ちくわしばり。二路は六花のお弁当も作っていたから、こういうことに関してはプロなのだ。有花をパワハラしていた教務主任が、4月付で異動になったから、二路のことをとやかく言う人間がいなくなった。よって有花との離婚騒動もとりあえず収束。夫婦って他人なんだから、自ら絆を深めることを日常的にしていないと、だんだん相手のことがわからなくなってくる。運命共同体という意識も薄れてしまうと、何で一緒に暮らしているのかという理由も曖昧になってくる。他人なんだから当たり前だ。
闇鍋の準備はできた。一路は外出。「さがや(佐賀屋)」でもも焼き(600円!)を3本!一路は目一杯奮発して買った。ケチだケチだと言われているが、目の中に入れても痛くないかわいい腹違いの妹を思えば、このくらいの出費、どうということもない。むしろうれしい出費と思えるくらいだ。永かった。まるまる2年半は買ってない。しかしでかい。これはもも焼きではなく、クリスマスにたべるローストチキンだ。日本風に言ってもも焼きなんだなと、わかる。おかみさん、この心意気に割引を惜しまなかった。うれしいじゃないですか。
零士と一路たちの母親がけんかするとき、いつも一路はひとりで飯を食っていた。そんな孤独な一路にとって大人になってからの、月に一度の「佐賀屋のもも焼き」はささやかな自分へのご褒美だったのだ。二路にはどうでもいいことでも、一路には重大な意味合いがあった。それを無惨に食べつくされた時の怒りは、想像するのも気の毒である。二路の無神経は知らず知らずのうちに、一路の細い神経を度々傷つけていた。そういうことかと、視聴者としてやっとわかった一瞬だった。
闇鍋開始。あ、これバナナだ。あ、おいしい。何だろこれ。さっちゃんのしあわせそうな顔が目の前にある喜び。あ、俺のはしるこサンドだ。あ、ひでえ。うわあ、まずい。
5年後。8年後になったら、事態は変わって、すべてがいい方に向かうかもしれない。重荷をひとりで背負うな。そういうものは大人に任せて、さっちゃんは生きたい道を行け。そう言う一路に涙ぐむさっちゃん。ほんとうのお兄ちゃんみたい。お兄ちゃんですよ。ほんとうのお兄ちゃんだ。(ところで、さっちゃんの行く飛騨高山といえば、芳根さんの旧作、短編映画「わさび」の舞台になった場所。芳根さんとは縁のある場所だ)
翌朝、みんな揃って朝食を食べ、後片付けをするさっちゃんを横目に見て、またおいでなんてさ、言えないかな。来る理由がないだろ。でもさ。……なんて兄弟が話し合っている間に、さっちゃんがひょんなことから物置の扉を開けた。わかりました。なぜお二人を懐かしく感ずるのか! これです! ローマのたぬき。私、幼い頃ローマを探しに出かけたさきで、お二人に出逢っていたんです。その証拠がこのたぬき。このローマの字、あの時のおにいさんが書いてくれた時の文字です。そのときお二人が言ってくれたんです。「いつかまた道に迷ったら、いつでもおいで」って。
「愛別離苦(あいべつりく)・愛するものと別れる苦しみ」。
それからも一路はシャバダバに通っている。が、店にはバイトの青年と後藤米吉さんがいるばかりで、さっちゃんがいたころの華やいだ明るさはない。二路がやってきて言う。オレ凄いことに気づいちゃったよ。親父の名が零士(0)、俺たちが一路(1)、二路(2)、さっちゃんが五月で(5)。3と4が抜けているんだよ。て、ことはだよ。いるんじゃねえのか。まだ弟妹が。それを聞いて思わず頭を抱える一路(この続編を匂わす色気たっぷりのエンディング。是非とも続編を希望したい。)。
チーフ・プロデューサー・阿部真士。脚本・野木亜紀子。演出・山下敦弘。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを投稿する

<2020年03月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    

最近の日記

もっと見る

過去の日記

2020年
2019年