かなしみに彩られた、陰影の深い映画である。
原作：島本理生。ナラタージュとはナレーションとモンタージュをかけあわせた映画用語。ある人物の語りや回想によって過去を再現する手法のことをいう造語。行定勲監督作品。脚本：堀泉杏。
行定勲というと、どうしても「世界の中心で愛を叫ぶ」を思い出す。力のある演出のできるひとだと思っている。その証拠に、この「世界の中心で愛を叫ぶ」は原作が退屈極まりない愚作だったにもかかわらず、緊張感あふれる青春映画の名作になっていた。
工藤泉（有村架純）は、映画雑誌の編集部で働いている女性。止まったままの古い懐中時計を大切にしている。ものがたりは泉の回想のかたちで語られる。葉山先生（松本潤）は高校の演劇部の顧問だった。社会科準備室。先生はいつもそこにいた。まるでそこに住んでいるかのように。映画を深く鑑賞することを泉は先生から教わった。泉が好きだと言った、トリュフォーの「隣の女」。良人のいる身でありながら、越してきた元彼との三角関係に悩み、精神を病んだ果てに元彼を殺し、自分も死んでしまうヒロイン。確かそんな映画だったと思う。デカダンというか、この世をはかなむような暗澹たるトリュフォーの晩年の傑作である。
先生は人生に苦しんでいる。誰にも言えない苦しみを抱えているひとだった。
フラッシュバックのように甦る、妻、美雪の記憶。美雪は精神を病み、倉庫に放火した。先生の母親を殺そうとしていたという。この場面、一瞬のみ映される市川実日子の凄惨な表情が、強烈に印象に残る。非常に秀逸なシーンである。数秒の出演で台詞はほとんどないが、市川実日子、名演であった。先生の苦悶のあまりの嘔吐。社会科準備室で苦しむ先生を見てしまった女子高生時代の泉。人の痛みのわかる先生であり、それゆえ泉の傷ついた心にも気づいていた。こういう先生に恋愛感情を抱いてしまうのは、無理もないことだと思う。松本潤、いい役作りをしている。演技そのものは特筆すべきものはないが、役作りは立派だと思った。
泉には受け止めきれなかったかも知れない、先生の苦しみ、つらい記憶。先生も泉を巻き込みたくなかったから、泉を結果的に拒絶するかたちになってしまった。
小野玲二（坂口健太郎）。泉が大学の演劇部で知り合った学生である。心の空白を抱えた泉は玲二と交際を始めた。傘の記憶。映画館でヴィクトル・エリセの「エル・スール」を観た泉。ヴィクトル・エリセは思慮深い監督である。台詞には表れないが映像でこころを表現する、そういう演出の巧みなひと。映画館を出ると、雨。傘がなかった。女子高生の頃を思い出す泉。先生が傘で送ってくれた。
先生は記憶が残した心の傷に苦しんでいる。泉の心は染まりやすい。玲二と付き合ってはいても、彼女の心は先生の色に染まったままなのだ。このことがいずれ玲二との恋愛関係の破綻をみちびくことになるのだが、こういう微妙な演技を有村架純は無理なく演じている。こういう演技がそつなくできるようになったこと。僕は彼女の女優としての成長だと認めたい。彼女も少しずつ成長している。
暗く憂鬱な映画だが、グレーがかった蒼い映像は、まさに�猗��瓩魎兇困襦⊃爾だこΔ鮃獣曚靴討�り、「誰の人生も、たたけば哀しい音がする」という夏目漱石の古いことばを思い起こさせる。映像と俳優の演技が共鳴することによって、はじめて築き上げられる世界であり、そのことによって物語の奥行きは深められてゆく。脚本にも破綻はなく、この映画、ほころびらしいものは見当たらない。万人に受け入れられる世界観ではないにしても、これを「退屈な映画」と斬りすてるには当たらないとぼくは思う。
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」。観るのもつらい映画である。懸命に生きている目の不自由な女性の物語である。悪事らしい悪事も働いていない女性が、目が見えないゆえに誤ってひとを撃ち殺してしまう。そのため裁判で有罪になり死刑判決が下される。映画は死刑執行の場面まで容赦なく映す。僕は一度観ただけでやめてしまった。この映画を愛した美雪から完全に離れることができなかった先生。
先生を描いた憂鬱なものがたりということで、僕はどうしても漱石の「こころ」との共通点をみてしまう。本作は小説の映画化というよりも、この映画自体が小説の文脈を持っている。巧みな世界の構築のしかただと思う。
ベッドシーンがいくつかあるが、猥褻というものではなく、エロチシズムを前面に押し出しているわけでもなく、小説の文脈にそって淡々と語られるので、観客である僕も平常心で観ていた。
淡々とはしているが、底辺には嵐も内包した世界なので、映像を見つづけていても、飽きるということがない。それどころか、自分のこころの�猴匹讚瓩魎兇犬覆�ら観ているので、ある種の緊張感が映像の底に張りつめているのを感ずる。その緊張が�牋イ靴げ鮫瓩鯲�てているのがわかるから、観客はたまらない気持ちに襲われるのだ。わかってはいるが、哀しい映画である。
人間、ほんとうに哀しいときは、泣くことができないものなのだ。泣ける人間はしあわせだ。先生は泣くことができなかった。誰が悪いのでもない。だが、複数の人間が絡む恋愛模様は話をこじらせ、こころに消えない傷を残し、時としてひとを死の淵に立たす。
雨のシーンが多い。そのことで物語は深みを増している。この演出をした行定監督はわかっていて演出を行っている。泉は先生の「癒し」になりたかったのだ。癒しそのものになりたかったのだ。けれども先生のこころは深い森のようで、泉のこころを迷わせるのだ。泉はものがたりの世界の中で、いつも迷子であった。先生に愛された夜。はじめて自分のアイデンティティをリアルに受け止めることができたのではないだろうか。そんな気がする。
懐中時計。ものがたりの最後に登場したそれは、先生の父のものだった。止まったままの時計。彼女のこころの時計は動いているのだろうか。はっきり言えると思うのは、この逢瀬の訣れの場面ではじめて泉は涙らしい涙を流せたこと。先生は過去の存在になった。そして同僚宮沢のことばで笑顔になれた。泉はもう過去ではなく、未来へ生きてゆけるであろう。それを暗示して映画は終わってゆく。
雨のあとの朝の陽射し。それを感じさせるエンディングにやっと救われる思いがした。深くかなしいが、ひとのぬくもりを感ずる映画であった。冷たい映画などではなかった。
（ただ、難点がひとつあるとするなら、それは物語の骨格が若干弱いこと。映像や描写では見るべきものが多いが、骨格の弱さに対する対処ができなかったことが、観客の評価が思ったほど高まらなかった点だと、言えばいえる。そこがちょっと残念であった。）
ログインしてコメントを確認・投稿する