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2020年06月01日01:26

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だからといって

■テリー伊藤、『テラハ』誹謗中傷は「演出に責任」 カズレーザーも「作り手が配慮を」
(しらべぇ - 05月31日 14:21)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=202&from=diary&id=6102237

制作側の責任ねぇ。

推理サスペンスなどで、殺人を犯した犯人に対して主人公が真相を語ります。
そんな時、犯人が被害者の事を言うのです。

「あいつが悪いのよ!」

確かにそういう時の被害者は、大抵ドラマの中での人物像がひどいもので、
視聴者の中には「こんなやつ死んで当たり前」と思う人もいるかも知れません。
善人が殺されるよりも後味が悪くならないよう、そういう役柄にしているんですね。

でも、刑事が聞き込みをしている時、被害者像をいろんな人が語るんです。

向かいの人は「挨拶程度でよく知らない」
隣の人は「困った時に手伝ってくれる感じのいい人」
同僚は「仕事がバリバリできて有能な人でした」
脅されていた人は「私だって殺してやりたかったわよ!」

などなど。
でも犯人はひとり。他は誰も殺しなどしないのです。

テラスハウスという番組を、私は見た事がありませんが、
世間の風評を見る限り、倫理的によろしくないものだったかも知れません。
でもそれに対して「誹謗中傷をおこなう」という選択肢は、
いくつかあるうちのひとつに過ぎません。
傍観する、誹謗中傷を受けている側を擁護する、
言葉を選んで批判をするなど、他の選択肢があったにもかかわらず、
わざわざ人を殺す誹謗中傷という選択をしたのです。
あの番組ならどんな人でも100%誹謗中傷する! という事はないはずです。

先のドラマの話で、例えば被害者が奇跡的に一命を取り留め、
犯人は殺人犯ではなくなったパターンがあったとします。
でも被害者の人物像がひどいのには変わりがありません。
そんな時、視聴者は「こんなやつ死ねばよかったのに」と思うのでしょうか。
思うのなら、それは番組制作側を非難している心理と同じでしょう。
選択肢の元となる事に対し、自分は誘導されたのだ、
だから番組側が悪いのだ、リアルと演出を明確にしないのが悪いのだ、
などと、自分が選んでしまった選択肢への言い逃れをしているに過ぎません。

「思っていても言うな」という場面に遭遇する事があると思います。
それでもキツく言ってしまい、雰囲気が悪くなってしまった場合は、
言わせるような態度を取った方が悪いのでしょうか。
そういう事を言わせてしまうような様相であっても、
「言わない」「気にしない」「言うけれど言葉を選ぶ」など、
いろんな選択肢があったはずなのです。

テラスハウスという番組の制作側には、配慮が欠ける部分があったのかも知れません。
しかし「だから誹謗中傷しても仕方なかったんだ」という事には決してなりません。
ドラマで殺された人がどんな極悪人であったとしても、殺人はダメなのです。
なんだか世の風向きが番組の制作側に向いてしまい、
誹謗愁傷した側へ向いていた矛先が引っ込められている気がしてなりません。
今この段階でそのような動きがあると、静観している人からすれば
「自分に矛先が向かないように必死だな」と捉えかねられないのではないかと思います。
殺人犯が「私は悪くない、あいつが悪い!」と必死になって矛先を変えようとしている、
そんな様子が浮かびます。少なくとも犯人にとっては、
殺されるだけの原因を持っていた、悪い人なのかも知れないですけどね。

ちなみに、だから選択肢の元となった側が反省しなくてもよいなどとは言いません。
そう言っているように感じるという場合は、番組を見てすぐに誹謗中傷に
転じる考え方と何ら変わりがありません。「そう感じる」だけでそう選択するのなら。

そもそも、これで番組制作側への風評が一段落した後には、
今度は誹謗中傷した側への非難が再燃する可能性があるのではないでしょうかね。
法設立案の話も出ているわけですし、それが本格化した時にはきっと。

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