コップ一杯の水で表現されるように、
幸せの分量は自分が決めるんだなあと常々思う。
親友の家に遊びに行ったとき、
彼女は、眼球を取り出す大手術をした
著名人の話をしてくれた。
「よくそんな手術怖くなかったのかって聞かれるんですけどね、全然怖くなかった。
だって私、失明してたから。」
その人は言ったのだそう。
「見えてる人は失明するんじゃないかって怖くなるんだろうけどね、私は失明してたから。
もう失敗したって元から見えてないんだからやっちゃって!ってなぐらい」
その話を聞いて、なんて深いんだろうと感服してしまった。
私はよく、
愛猫の死を想像して1人で泣く。
明日のことを思い煩って今を疎かにするのは愚かなことだというのは有名な言葉だけれども
頭では分かっていながら、
私はよく今を疎かにしていると思う。
それだけ今、愛猫に満たされているということでもある。失うことに臆病になっているのだ。
いま沢山の愛情を注いでくれていることに
目の前に存在してくれていることに感謝しなくてはいけない。
いたずらばかりするけれど、
おしゃれなファブリックチェアはぼろぼろ
お気に入りのラグはばりばり
ドアは噛みちぎられているけれども
それだけ元気いっぱいなのだ。
感謝感謝。
恐れを100パーセント捨てることは
まだ、出来ないけれど
20パーセントの感謝を25パーセントに引き上げることは出来るかもしれない。
いつかまた涙を流す日も、
幸せな記憶と感謝の気持ちも一緒に抱きしめられるといい。
そう書きながら既に涙ぐんでいる。
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