昔、めちゃくちゃ病んでいた時に養老孟司先生の話を聞いた。
妙に納得感があるから、聞き入っていたんだけど、そこに自分探しという言葉が出てきた。
どんな場面かと言うと、校長先生が新米の教師になんで教師になった?と聞いたら、五人中三人が自分探しと言ったらしいんだ。
その時の私、ポカーン。
確かにどっかの本で自分探しって書いてあったように思える。
なんだ、それ?と思ってた。
でも、今なら、分かる気がする。
なくしたものを見つけに来たんじゃないか?って。
なくしたから、見つかる。
でも、元々ないものを探そうとしても、ない。
だから、何かを失ったんだなと思った。
じゃあ、自分がなくしたものってなんだろう?って考えると、どんどん分からなくなる。
なんで、過去の失った自分が見つかるんだろう?
学校にあるものなの?
それってさ、他者との関係性の話なんじゃないか?って思う。
生徒だった自分がなくしたものを、先生になってから見つかるの?
子供だった自分がなくしたものを、大人になったら見つけられるの?
どうも不自然に思えてならない。
だって、幼かったとか生まれて間もないとかあるけど、どんどん年数経てば新しくなっていくはずなのに、なんで、老いるんだろう?
明らかに日付は一つ進んでいる。
どんどん新しく更新されていくのに、人の体は、どんどん成長し、老いていく。
いつだって進化系はご老人なんだよな。
白髪になる。自分探しができるの?その体で。
その状況で。見つけたらどうなるの?
先生が先生でなくなるの?
と考えると、分からなくなる。
子供の頃、友達と遊んでいて楽しかった。
あの気持ちがまた再燃するの?
んな訳ないよね?
逆上がりができた日の喜びをもう一度味わえるの?
忘れていたら、そりゃあ、できたら、嬉しいけど、やっぱり元には戻らない。
進むしかできない時の中で失われた時は、どう足掻いたって、元には戻らない。
だが、考えることはできる。
大人が高校生になることも可能だけど、同じ高校生たちと友達になれるのか?と考えると、微妙なんだよ。
顔かたち、経験、思考、まるきり違う人たちが仲良くすることは可能でも、高校生や中学生のように振る舞っても、やはり、大人は大人なんだと思う。
自分探しと口実作って、言い訳ばかり考えるんじゃなくて、これからどうしていきたいか考える必要があるんだと思うんだ。
グズグズしてられるほど、時は待ってちゃくれないからね。
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