昨日の夜から色々と考え込んでもうダメかな?と一人虚ろに部屋に閉じこもっていた。
何をするわけでもなく、ただ絵を描き、腹を鳴らしては、また過去のことを思い出してしまう。
この先、自分はこんなことをしていて良いのだろうかと不安に陥る。
大多数の人は父や母の援助があるのだろうが、私にはない。
逆に父には、兄という大きな味方がいる。
私は、兄にもかなり甘えていたが、物をもらっても、空虚な心は埋まらなかった。
結局、私は兄に行動をしてほしかったのだと思った。
例えば、今日、ご飯を食べに行こうとか、体調が悪いのなら病院に連れて行ってあげるよとか。
そういう、思いやりのある行動が欲しかった。
前の職場でも、上司が私に自殺教唆する言葉を浴びせた。
私は黙った。そして、その上司は勤務時間を終えて、家に帰った。
私は、もうどうして良いのか分からず、ただ呆然と立ち尽くしてしまったのだ。
その日以来、朝、目覚めても行けなかった。
電話することすら嫌だったが、仕方なく電話した。
休みます。と。
私にとってはかなりダメージが大きかった。
昔、違う職場で働いていた頃、社会人一年目だった私は我慢するしかないと思って頑張っていた時期があった。
我慢の限界を超え、体に変化が出た。
髪の毛が抜け落ち、出勤前には吐き気、言葉も出ない。
理由もなく、涙が勝手に出た。
その頃に比べるとまだ生易しいのかもしれないが、年々歳をおうごとに、弱くなっていったように思う。
我慢が溜まってしまうと、人は反撃に出る。
本来、持ってはいけない感情だが、散々自分を虐めた相手を容赦なく殺してしまいたいとすら思えるんだ。
それは、意識しているところでは、やめておけと理性が働くが、何度も繰り返されると、理性が吹っ飛び、無意識に相手を殺そうと体が自動的に反応して、そのような行動に出てしまう。
人間とはそんな風にできているんだと思う。
そして、そんな自分が殺人者にならないようにと、外に出たのである。
同じ場所にいるときっと殺してしまうだろうから、それならいっそ外に出て行こうと。
そして、また同じ目に遭わされる。
そして、敵が誰だろうが、自分を攻撃してくる相手を容赦なく抹殺してしまいと思うのである。
まるで、過去の自分がやられたように、相手も同じ苦しみを味わってもらわなければ、気が済まない復讐心のようなものに支配されてしまうのである。
これは厄介である。
なぜなら、空気を吸うのと同じように、悪意が身体中を循環するから。
そして、無意識にやってしまうこともある。
結局、習慣によってその人は殺人者にもなり得るのである。
これはきっと全員に共通することである。
自分はお腹が空いているのに、誰かが自分の分まで食べてしまったときと同じような気持ち。
自分は仕事でくたくたになって帰って来たのに、大の奥さんは、リビングで、煎餅をかじりながら大笑いしてくつろいでいる様子と同じである。
40人いる学校の教室の中で、自分一人だけがご飯がない、もしくは、粗末なものしかないのと同じである。
惨めな思いをするのである。
そういう経験をしてしまうと、他人に対しての期待などなくなる。
誰かが何かをやってくれる訳ではない。自分でやらねばと行動するがすぐに失敗する。
やはり、先人たちも同じ道を辿ってきているから、どうすれば、生きられるか、その方法を知っているのである。
ここでまた屈辱的な思いをするのである。
過去、敵だと思っていた人に頭を下げなければならない。
まるで、刃物を持って襲ってきたかつての相手に、教えてくださいなどと、戯言を言うようなものである。
敵に背を向けるような行為。
危なくて仕方がない。
そうこうしているうちに、腹は減り、傷つくことを恐れ、逃げまどい、また、同じスパイラルを人は辿るのである。
おそらく、人間の肉体の中にある血のつながりを持った人間とは、価値観がどうしても似てくるのである。
感じ方が同じだったり、敵が誰かそういうフィルターを通して、世の中を見ているから。
いじめもありますが
そいじめられた相手を殺してはいけません
きちんと、労働基準局とかに相談するべきだと思います
労働基準局に相談しても問題解決にはなりませんよ。
したことありますが、結局は、自分で道を進むしかないんですから。