mixiユーザー(id:66952172)

2020年09月25日23:54

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同じにすると少しは楽になる気がする

最近、私の中で嫌な気持ちをどうしたら整理できるのか?と長年考えてみたら、ようやく少しはマシな案に出会えたような気がする。

まあ、タイトルにあるように、同じにするということが今のところ、とりあえずの答えだ。


さて、どの話からしようか。


こういう話を昔聞いたことがある。

軍人の話。

戦争が終わって軍人が元の一般市民になった。

数年が経ち、軍人は自殺した。

さて、どうしてでしょう?


戦地で何人も殺してきた彼らがなぜ、自殺するのでしょう?

敵だと思い、殺し続けたはずなのに。


それは、戦争が終わり、彼らは殺し続けた相手と一緒に仕事をするんだ。

訳が分からなくなったのだ。

戦地では殺される前に殺さなければやられる。

だけど、戦争が終わって、殺してきた相手と仲間のように思わなければならない。

つまり、彼の頭の中で、彼は、仲間を殺し続けてきたと認識し、自責の念にかられて、自殺したのだ。

この問題の唯一の解決策は禅しかないと私は思っている。


私が私ではない感覚に入る。
無意識の意識
座禅、瞑想


これをした人は、自殺願望に陥らず、いられたんだと聞いたことがある。

では、ここで考えてみようと思う。

殺したいという気持ちと殺される気持ちを。



狩られる気持ちと狩る気持ち。


自分は猟師でお腹が空いている。蓄えがないので、獣の肉を狩ろうとしている。

もう何日も食べていない。空腹で今にも倒れそうだ。

食べるために殺そう。生きるために。

獣を追い、仕留める。

獣は追われ、仕留められる。


だが、どうだろう?

猟師が優しいがために、獣は狩られるのではなく、矢でかすり傷を足につけられてしまった。
中途半端な傷。痛みが増す。逃げ足も遅くなる。
それなら、いっそのこと、殺してくれれば良かったのにと獣側なら思う。

猟師側は、仕留め損ねたとか、もう空腹で、人を食おうとさえ思うかもしれない。

獣はどんとん回復していき、人間を殺したいと思っているかもしれない。


戦争ってこんなもんなんだと思う。


今まで散々恨んでいた相手とともに仲良くする。
頭の中で敵かどうかの区別がつかなくなる。
味方だとすると、自分が食ってた肉はなんだ?

逆に敵だとすると、どうして自分の家族は、仲良くしているんだ?という気持ちになる。


追う側と追われる側

その両方の気持ちを知ってるとほんの少し救われるような気がする。


大人と子供のように。


奪われる苦しみ、与えてもらう喜び。

失う悲しみ、得る喜び。

逆に失う喜びもあれば、得る悲しみもあるのかもしれない。

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