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2020年01月18日20:53

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人生100年時代!生かされるのではなく、生き抜きたい!

たった一度の人生、私は、ただただ生き抜きたい!

今は、56歳。
一昨年の誕生月に役職定年を迎え、管理職でありながら給与は激減。
それよりも4年余り前に予期せぬ異動で、栄転と言われながらも本部に戻ったときから歯車が狂い、葛藤が始まった。

なぜか?
それまでの私の生き甲斐は、働き甲斐とニアリーイコールだったから。

前職では相手さまの満足を収益に結び付け、働き甲斐が拡大し、併せて生き甲斐も膨らんだ。
しかし、異動先は本部中の本部。必要部署だが、お客さま相手ではない、所謂、社内の嫌われ役(笑)
縮減した働き甲斐。
生き甲斐も同じように縮まれば好かったのだろうが、そうとはならず、生き甲斐は膨らみきったままだった。
生き甲斐の隙間に風が走り、ため息ばかりの毎日に。それが4年余り前の自分だった。

ただ、その時の私には、趣味で手掛けてきた渋皮栗の炊き込みと小学生で学童野球をしていた息子の存在があった。にわか野球コーチとして、息子と共に初心者ながらも、球拾いとかで白球を追いながら気持ちを紛らわせた。しかし、息子が中学に上がると、野球コーチの任もなくなり、再び溜め息が増えたた。
昨秋で手掛けて9年になったが、渋皮栗の炊き込みだけが、生き甲斐として残った。
渋皮栗の炊き込みがなぜ生き甲斐なのか?
それは、口にしてくださった皆さまにお喜びいただけるから。お喜びの形は実に多様だ。炊き込みをしている間は、皆さまのことを思うことが出来、生き甲斐を満たすことが出来る。
ただ、炊き込みに夢中になれるのは、9月から11月の3か月。残りの9か月、生き甲斐の空白を満たしながらどう生きるのか、それが課題となった。
野球コーチがなくなり、役職定年になった翌年4月から製菓専門学校の通信教育課程を受講し始めた。12月から8月に前に炊いた渋皮栗を二次加工するための技術を身に付けるためだ。
しかし、お菓子作りは、ずぶの素人。小麦粉にたんぱく質が含まれていることすら知らなかった。
1回りから3回りも年下の、経験豊富な女性らにまじり、洋菓子やパンを焼き、洋生菓子や和菓子を作った。皆、夢や目標を抱く者ばかり。座学も講師にもよるが、前の席が埋まる。教室は大学時代とは違う活気に満ちている。
まだ8か月余りだが、数十種類の菓子を作り、スクーリングや家庭での実習後はYouTubeで同じ菓子の焼き方や作り方を復習し、再び家庭実習をしながら自分のレシピを作っている。

時代の流れは変わるものだ。
兼業禁止が近々解禁となる見通しになった。
猿の枝渡り。
皆さまに召し上がってもらいたいレシピも出来つつある。
ようやく渡るべき枝も見付かった。

全て50代のこと。40代のうちは、考えるべきと知りながらその時の自分に酔い痴れ、慢心していたのだと思う。
仕事以外に生き甲斐があればだが、まだ40代ならどうにでも転身できるはず。また、猿の枝渡りを真面目に考えていれば、時間を掛けて転職先を見付けられたかもしれない。

何を言いたいのか!?
働き甲斐を生き甲斐とするのは好い。
一方で生き甲斐に結び付けられそうな趣味を持つべき。

危機はチャンスだ!
老いてなお心は若く。生きるためにことに臨み、生きるためにもっと恋もすべきだ、年齢を気にせずに。
人生100年を生き抜くつもりの、少し先輩からの提案だ。

フォト


不安感が強いのはもしかして…!?40代を襲う「中年の危機」とは
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=77&from=diary&id=5939844
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