mixiユーザー(id:66880466)

2019年03月11日00:23

93 view

明日は、あの3.11東日本大震災から8年目

8年前のあの日
次男の中学校の卒業式を終え
主人と私、次男の3人で
お昼ご飯を食べに行った後
疲れたこともあり
みんなそれぞれ
昼寝をしていた。

そんな時
いきなりの縦揺れの地震が襲った。

LDKのテレビ、冷蔵庫、電子レンジ、食器棚が
ありえないほどの音を立てて
揺れ動いた。

自分の部屋で寝ていた次男は
すぐさま、LDKに来て
食器棚を押さえ
私は電子レンジやレンジ台を押さえた。

主人だけが何故か呑気に
大丈夫だよ
と呟いていたが

「この状況見てよ!冷蔵庫押さえて!!」と
叫んだ。

数秒?数分後?
第一陣の地震は止んだ。

(絶対、余震が来る!!)

そう悟ったその何分か後?
またもや強い地震が襲った。

頭の中は真っ白で
とにかく家具が倒れないよう
押さえることしか出来なかった。。

揺れがおさまったあと
(…娘が学校にいる!!!迎えに行かなきゃ!!)

私は主人と次男の制止を振り切り
玄関を出て、小学校に向かった。

その間も、何度も余震に襲われ
駐車場に停めてある車は波打ったように揺れ
電線もうねるように揺れていた。

小学校には、何人かの母親が
押しかけ
「娘を連れて帰ります!会わせてください!」
「早く息子を連れてきてください!」

大パニックになっていた。

教師たちも、想定外の大地震に
生徒の引き渡しをどうして良いのか分からなくてパニックになっていた。

私は顔見知りの教師を見つけ
「娘を家に連れて帰ります!私のことはわかりますよね?きちんと親子関係があるとわかりますよね!」そう言うと
「分かりました!すぐに連れてきます!」と、娘を連れてきてくれた。

「家の中は大丈夫?パパは?お兄ちゃんは?」
心配する娘に
「大丈夫!大丈夫だから!早く家に帰ろう!」

歩いて5〜6分の所に学校があったのは
幸いだった。

私は娘を連れ帰ったあと
テレビをつけた。
画面に映る関東から東北方面
ほぼ全体に
大津波警報が出ていたことに
衝撃を覚えた…。

(終わった…日本が終わる…)

そんな想いが頭をよぎる中
いきなりの、衝撃波が我が家の窓ガラスに響いた。

(なに?なに?また余震?!)
そう思い、窓の外を見ると

我が家の数キロ先の
石油タンクが爆発して
真っ赤に燃え上がる光景が目に映り込んだ。

(ダメだ…もうダメだ…)

あの石油コンビナートのタンクが爆発したなら、ここはもう火の海になる。。

涙が唐突に流れてきた。

(…いや。まだ分からない。。生きられると信じよう)

まだ電気が通じている。
だったらすぐさま、ご飯を炊かなきゃ。

私は一升のご飯を炊いた。
それを全て、塩おにぎりにした。

ガスを使うことは危険だと思い
炊飯器で、ありったけの野菜を刻み
冷蔵庫にあった餃子を入れ
野菜スープを作った。

(…なにかあったとしても、これで2日間は、もつはずだ…)

テレビでは東北の津波の様子が
否応無く流れてくる。。

ただただ恐怖に怯えた。

何度も何度も余震がきて
その度に家具を押さえる。
次男はこの日からLDKで寝るようにしてくれた。余震のたび、すぐさま起きて
家具を押さえた。


次の日、食料の補充に行くと
食品棚は、全て空っぽ。
カップラーメンも、ティッシュもトイレットペーパーも
なにもかも買い尽くされた後だった…


(非常時って…こういうもんなんだ)

それを思い知らされた。

ガソリンを入れるのでさえ
5時間待ちとか当たり前だった。


電気もガスも使用することは大丈夫だと知るが、料理を作る食材が手に入らない。

(いつになったらスーパーの流通が開始されるんだろう…)

お米が無くなってしまってはどうにもならない。私はあるだけの野菜を駆使して
すいとんを作った。

家族の誰もが何も言わずに
普通に食事をしていた。

テレビで映される大津波や逃げ惑う人々を見たら、普通に暮らせてること自体が
どれだけ幸せなのかを
改めて感じさせられるからだ。

部屋の中で見た
あの石油コンビナートのタンクの爆発。。
真っ赤に燃え上がる炎。

何もかもがまだ脳裏から離れない。

それ以上に。
あの震災を直撃された方々は
どれだけの悲しみや不幸を乗り越えてきたのだろう。

何の手助けも出来なかったけれど
募金だけはしてきた。。。

それしか出来ない自分が悔しかった。

今でも悲しみに暮れ
家族を失い家を失い
途方に暮れながら
それでも、立ち上がろうと
復興に力を注ぐ
地元の人に

私は敬意の念しかない。

まだまだ、たくさんの苦労や心痛があるとは思いますが
どうか、東北の方々

負けないでください。。
1 2

コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年03月11日 03:19
    いいね。というのは
    意味あいが違います
    が。
    本当にそこにいた
    方々、そこで経験
    体験しなければ
    言えないこと。

    私は富山に
    住んでいて。
    その日、何を
    していたか?
    覚えていません泣き顔

    ニュースを
    見て、また
    とんでもない
    ことが起こったな
    と。
    大変失礼。
    申し訳ない。
    とは思いますが

    まるで他人事、
    自分の身に
    起こっていないので
    現実感が
    なかった。という
    のが。本音です。

    自分は無力です。

    ここで起こった
    ことは、ホントに
    本当のことで
    未だにめどが
    たってないこと
    まだ苦しんで
    おられる方も
    いらっしゃること。

    私は無力です。

    日々、ニュースの
    情報だけで
    口では、態度
    では
    気持ちを表すこと
    は出来るけど

    すぐに助けに
    何か援助を
    とか考えたり
    もしたけど。

    結局は
    何にもしなかった。

    口では。
    大丈夫?
    大変、可哀想?
    と、上部だけ
    で心配していた
    だろう。
    (よく覚えていないが
    近辺、近くに住んでる
    友達にはすぐに
    連絡をいれてた
    な、と今。思い
    出しました)

    いざ。自分の目の前
    にでも起こらんと
    「被害」と一言で
    語れないですが

    危機感。なんて
    考えないんでしょう

    普通に生活し
    普通に仕事にも
    行っていました。

    向こうでは
    あんなことが
    起こっていたのに

    私は私達は
    平気で?
    当たり前のように
    普通に仕事を、
    していた。

    妙な違和感を
    少し気持ち悪さ
    を感じてました。



    すぐに対応。
    援助。救済など
    すぐに行動を
    起こした方々は
    本当に尊敬
    致します。

    立派です。

    自分は無力です。
    ということを、
    自分は自分の
    生活を守らないと
    いけない。
    ということを、
    言い訳にして

    なんにもしなかった
    自分。



    いつか。どんな形に
    なるかわかりませんが
    きっと。きっと

    その地を訪れ。
    謝りたい。

    そこで暮らす
    人達に
    そこに携わった
    方々に
    お礼申し
    上げたいです。

    長文、そして
    大変失礼
    不適切な
    言葉を
    本当に
    申し訳ございません。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年03月11日 10:00
    > mixiユーザー 私にも岩手の大槌町に友達がいたので
    必死に連絡をしましたが、3日経っても携帯は繋がらないままでした。
    その後、ようやく生存が分かり安堵しました。

    私も熊本地震のことは
    あまり記憶にないです。。。

    地元の被災者の方々、すみません。
    でも、自分が被災者側にならないと
    分からないことって
    あるんですよね…。

mixiユーザー

ログインしてコメントを投稿する

2019年03月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

過去の日記